猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ⑥

2012年05月29日 14時59分41秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

おうしょうぐん ⑥

 さて、胡国の兵は、輿に乗せた木人形を、誠の王照君と思って、息も付かずに走り帰

りました。ケンダツ王は喜んで、

「そもそも、漢朝の奴輩(やつばら)が、この国に踏み込んで、王照君を奪おうなど、

蟷螂が斧(とうろうがおの:無謀の例え)というもの。漢朝の奴輩の耳、鼻切り落とし、

生きながらに追い返して、末代までも見せしめにしてくれん。」

と言えば、皆々、一度にどっと笑いました。それでは、王照君を輿から出して休ませよ

と、声を掛けますが、返事もありません。ケンダツ王は耐えかねて、輿のそばに立ち

寄ると、

「如何に、王照君。最早、漢朝のことは、ふっつと思い切りなさい。どうして出てこな

いのです。姿は夷だが、心の花は劣ったものではありませんよ。」

と、抱き上げて出して見てみれば、なんとしたことでしょう。人ではなくて木人形です。

「これは、物言わぬも当然。さても無念や。漢朝の奴輩に謀られるとは、口惜しい。最

早、生きる甲斐も無い。おのれ漢朝。」

と、自ら兵三百万騎を率いて、漢朝へと押し寄せる有様は、凄まじいばかりです。

 一方、漢朝では、思いのままに王照君を奪い取っての凱旋に沸き立ちました。ハンリ、

両将軍には厚く恩賞が下されました。しかしゲンシリョウは、これで終わった

訳ではないと、次のように言いました。

「まずまず、天下太平。目出度くは思いますが、今度は胡国のケンダツが直々に、攻め

て来ると思われます。今度は、私が一人で出向き、今後、漢朝へ仇をなさぬ様に、しか

と仕置きをいたしましょう。ちょっと持たせたい物があるので、人夫を少しお貸し下さい。」

光武帝はこれを聞いて、

「むう、あなたは只の人では無いので、何かお考えがあるとは思いますが、目に余る胡

国の大軍に、あなた一人では心許ない。せめて、五万十万の軍勢を連れて行きなさい。」

と心配しましたが、ゲンシリョウが、

「いやいや、万事、それがしにお任せを。」

と言うので、帝も諦めて、自分の黄金の具足と明陽剣(みょうようけん)という宝刀を

ゲンシリョウに与えて、万事を頼まれたのでした。

 さて、ゲンシリョウは、賜った金の鎧兜を身につけ、明陽剣を帯びると、人夫を集め、

猪や兎、鶏や犬、牛馬など、色々な生贄を用意させると、白雲山の麓の草原に祭壇を祀

り、四方に旗を立て、清き酒と生贄を献げました。すると、不思議なことに、どこから

ともなく、老人が一人珍しい馬に乗り、また恐ろしげな顔の二人の男が近づくと、供え

た酒や生贄を、むしゃむしゃと食べ始めました。やがて、口を開いて、

「この老人は、前漢高祖の頃、帝に一巻の巻物を与えたクホウセキコウという者である。

さてまた我等は、チョウリョウ、樊 噲(ハンカイ)と申す者である。兵法の奥義を究

め通力を得て、今は仙人となる。王照君へも力添えをしてきたが、今、この祀りに合い、

御味方いたさん。もうすぐ、夷どもがやってくるぞ。」

と言うのでした。案の定、しばらくしてケンダツ王が、白雲山の麓に到着をして、陣を

張って休憩しました。すると、どこからとも無く現れた土民らしい者が、立て文を竹に

結い付けてケンダツ王の陣の前に立てて、立ち去りました。ケンダツ王がこの文を開いて見ると、

『漢朝の大臣ゲンシリョウがこの文を書く。さてこの度、ケンダツ王は、三百万騎の軍

勢で漢朝を攻めようとなさっておりますが、このゲンシリョウと、クホウセキコウ、チ

ョウリョウ、樊 噲の三人で、あなた方の首を頂きに行きます。笑止ながら、三百万騎

の人々は、白雲山の苔に埋もれてしまいますがいいのですか。よくよくお考え下さい。』

と書いてありました。ケンダツ王は、いよいよ腹を立て、

「ええ、おこがましい。ゲンシリョウと言う痩せ男め。前漢の幽霊と共に向かうなど、

大嘘に違いない。三百万騎を三手に分けて、攻め立てて、漢朝の種を根絶やしにしてくれる。」

と、怒濤の如くに白雲山から出陣しました。ところが、その途端に辺りは霧に包まれ、

夜のように真っ暗闇となってしまいました。そして手足が竦んで動くこともできません。

そんな中でも、チクリトウとケンカイランは、もがきにもがいておりましたが、怒鳴っ

ても叫んでも、手足は縛られたようにピクリとも動かせないのでした。

 そうこうしているところに、ゲンシリョウの一行が、日月を刻印した旗を靡かせて

動けない両将軍の前を通りかかりました。

「やあ、これなる二人は先駆けの大将か。こうなると思ったので、予め(あらかじめ)

お知らせしておいたのに。これから、ケンダツ王も引っ捕らえてくるので、暫く待っていなさい。」

と、言い捨てると、一行はどっと笑って通りすぎました。二人は、口惜し、無念とばか

りにいきり立ちますが、道の端にころがったまま、どうにも動けません。

 やがて、ケンダツ王以下三百の大将達が、同じようにして捕らえられてきました。す

ると、ようやく霧が晴れてきたのでした。しかし、胡国の人々の身体はピクリとも動き

ません。ゲンシリョウが、

「悪逆を企んだ科(とが)により、只今、斬首いたす。臨終、良くたしなめよ。」

というと、チョウリョウ、樊 噲は、剣を構えてすり寄ります。しかし、その時ケンダ

ツ王は、はらはらと涙を流して、

「これまでの事、誠に誤りでした。この上は、御慈悲に命ばかりは助けてください。

これよりは、長く漢朝の家来となり、貢ぎ物も献げます。二度と仇はいたしません。」

と言うのでした。しかし、クホウセキコウは怒って、

「今はそんなこと言っても、やがて、約束を変じるに違いない。さあ、早く切ってしまえ。」

と言うのでした。チョウリョウ、樊 噲両人が、剣を振り上げるところを、ゲンシリョ

ウは、押し留めて、

「ここは、それがしに免じて、助けあげて下さい。」

と、命乞いをしたのでした。ゲンシリョウは、ケンダツ王に近づき、

「それでは、命は助けることにするが、最前に奪い取った漢朝の百余州を返還し、さら

に毎年の貢ぎ物を欠かさず、今後、漢朝に弓を引かぬと、固く誓うか。」

と言いました。ケンダツ王は涙を流し、

「命さえ助けていただければ、長く漢朝の家来となります。」

と誓うのでした。その時ようやく呪縛も解かれ、胡国の軍勢は、氷の解けるように元通

りになったのは、まったく稀代の有様でした。

 その後、都へ戻ったゲンシリョウは、帝に事の次第をお話になると、暇を賜り、元の

庵に立ち帰り、水草清い山の中で、光武帝の繁盛を祈ったということです。

目出度きとも中々に例えぬ方もなし。

寛文九年巳酉年陽月吉日(1669年)鶴屋喜右衛門板

おわり

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忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ⑤

2012年05月28日 21時48分09秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

おうしょうぐん ⑤

 このようにして、異国の夷「チクリキ」と「ヘンカイ」は、万里の嶮岨を乗り越えて、

ようやく胡国へと戻ったのでした。ケンダツ王の悦びは限りも無く、王照君の花のよう

な姿をご覧になって、

「さてもさても、世の中にこのような美人が居るとは、驚いた。かの漢朝には、このよ

うな美人が山のように居るのであろうのう。」

と感歎しましたが、王照君が、漢朝でも千人第一の美人で有ると聞いて、更に悦びました。

ケンダツ王は、姫君を慰めようと、様々の鳥を集め庭に放し、様々に気を引こうとしましたが、

王照君の心は晴れません。ただ、都のことだけを思って、沈み込んでばかりです。ケン

ダツ王は、この様子をご覧になり、

「いやいや、そのように心が弱くては困ったものだ。よし、これより野狩り、山狩りを

行うこととする。ちょうどケンリ山の花も盛りであるから、心の慰めにちょうど良い。」

と王照君を輿に乗せ、ケンダツ王を始めとして、一門の公卿大臣は、早速にケンリ山へ

と向かうのでした。

 さて、漢朝では、臣下大臣が集まり、評定の最中です。シバイリュウ、シバユウの両

将軍が言う事には、

「先日の胡国との戦いでは、味方が沢山討たれたために和睦して、王照君を胡国に遣わ

しました。万人の死に替えて一人の后を犠牲にすることは、万民には有り難い限りであ

り、後の世にも、女を惜しまぬ誠の聖王と、書き記されることでありましょう。

 

 しかし、我等両将軍は、大軍を率いて出陣したにもかかわらず、何の功も残せず、た

だ后を敵に渡しただけです。これを、知略などと澄ましていては、後の世の名も恥ずか

しいばかりです。ですから、我等両人が、手勢を率いて、王照君を取り返し、最前の恥

辱を雪ぎたく思います。」

と、奮い立っています。これを聞いたゲンシリョウは、

「ご両人の仰ることもごもっともです。しかし、胡国は多勢であり、かつ統率が取れて

いますから、いくらあなた方に、知謀、勇力があったとしても、簡単には行きませんよ。

よくよくお考えあるべきです。」

と言いました。しかし、両将軍は聞き入れません。

「もっともとは思いますが、最早、我々には生きる甲斐もありません。十死一生と思い

切ったからは、再び戻るつもりもありません。もし、后を救い出すことができたなら、

またお目に掛かりましょう。」

両将軍は、死をも厭わないと断言します。決意が固いと知ったゲンシリョウは、

「そうであれば、何よりも先ず、姫君を助け出してから、合戦に及ぶようにお願いしたい。

兎角、戦が先立っては、姫君を救い出すことが難しくなります。私の考えを聞いて下さい。

例えば、心が強く知恵の深い侍一人に、国中より大力の者を三十人選びだし、商人に仕

立てて胡国に遣わし、時間をかけて商売をさせるのです。又、王照君に良く似た人形を

作り、両将軍は時節が整うまで山に隠れて居て下さい。胡国の風習では、春になれば花

見という狩りを行い、后を伴って野山に出ます。その機会を狙って、一文字に駆け入って、

王照君を奪い取るのです。それから、人々が代わる代わるに背負って逃げなさい。途中

にかの人形を輿に乗せて置き、守ると見せて暫く戦い、その間に姫を落とすのです。道々

に兵は配置して、交代交代に姫を運んで行きなさい。それから、人形の輿を打ち捨てて

逃げれば、胡国の兵は、これを誠の王照君と思って取り返して帰るでしょう。その後の

戦いは、それがしに任されよ。如何か。」

と提案すると、両将軍を始め諸大臣は、あっとばかりに感じ入ったのでした。早速に

ゲンシリョウの提案通りに、王照君奪回の準備が整えられました。まず、ハンリを頭領

として、大剛の者三十人を商人に仕立てて胡国に送り込むと、両将軍は、三百騎を伴っ

て、胡国の山中深くに忍び込んだのでした。

 これはさておき、ケンダツ王は、王照君を伴ってケンリ山へとやって来ました。麓に

大幕を張ると、ケンダツ王は、犬や鷹を放して、波のように勢子を立たせ、鶉(うずら)、

雲雀(ひばり)、猪、兎などの獣を追い回し、日が暮れるのも忘れて、あなたこなたを

駆け回りました。幕内には、王照君と女房達、下働きの人々が残るばかりです。その

隙を狙って、ハンリは一気に幕内へ駆け入り、雑人をおっ散らすと、王照君の前に畏まり、

「それがしは漢朝のハンリと申す者、帝の嘆き深き故、君を奪い返しに参りました。

ゲンシリョウ、両将軍の謀(はかりごと)はか様か様。」

と言えば、王照君は夢とも弁えず、ハンリの背中に背負われました。ハンリは、ここを

先途とばかりに、飛ぶ鳥の如くに走り出しました。

 おっ散らされた雑人達は慌てて、ケンダツ王の所へ走り行き、王照君が奪われたと告

げました。聞いたケンダツ王が、怒り狂って、

「やあ、それ、追っかけ追いつき、引き裂いてしまえ。」

と言えば、胡国の兵は、我も我も怒濤の如くに追いかけ始めました。ハンリは、あっと

いう間に十里(約40Km?)程逃げましたが、獅子の如くに猛る胡国のテッケン、ヘ

ンカイは、もうすぐそこまで追っかけて来ています。その時、ハンリは、例の木人形

の輿を出させておいて、自分は王照君を背負って、脱兎の如くに逃げて行きます。胡国

の兵は、輿を見つけて、叫き(おめき)叫んで迫ります。輿を掻いていた漢の兵は、暫

く応戦していましたが、やがて輿を捨てて逃げ去りました。これを見て、テッケンとヘ

ンカイは、大きに喜んで、

「先ずは、この輿を掻いて王照君を君のお目にかけよ。我々二人は、どこまでも追っか

けて、一人一人、首を引っこ抜いてくれる。」

と言うなり、また漢軍の後を追っかけ始めました。しかしこの時、岩陰に隠れていた両

将軍が飛び出して、二人にむんずと抱きつくと、続けざまに刺し殺したのでした。こう

して、両将軍も王照君に追いついて、目出度し目出度しと、悦びの声をどっと上げて、

意気揚々と都を目指して帰って行ったのでした。

つづく

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猿八座公演のご案内 8月

2012年05月26日 10時38分06秒 | お知らせ

その1

 長野県長野市西光寺縁日公演 8月2日(木)午後6時より

 演目 山椒太夫 親子対面の段

 西光寺本堂に舞台を組んで行う予定です。 

 詳細は未定ですが、分かり次第アップいたします。

その2

 風の谷夏まつり 岐阜県揖斐郡揖斐川町 ラーニングアーバー横蔵・樹庵

 8月17日(金)午後6時 鳥越先生の講演と山椒太夫の公演

 8月18日(土)午後3時 三番叟・小栗判官車曳きの段

詳細は以下のビラをご覧下さい。

ブログでも紹介してきた猿八節山椒太夫のデビューになりますので、宜しくお願いいたします。また、三番叟ですが、猿八座独自の曲を、現在作曲中です。文弥節の三番叟は大変単純なものなので、これをベースとして、「揉み」「鈴の舞い」等を新たに作曲しました。現在「田植え唄」をどのように創るかを試行錯誤しているところです。猿八座三番叟も8月がデビューとなります。乞うご期待。

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猿八座公開稽古 山椒太夫 鳴子曳き段

2012年05月21日 09時47分24秒 | 公演記録

4月19日(土)午後二時から、新発田東光寺内心萃房で行われた「山椒太夫」は、山本角太夫の奥書がある浄瑠璃台本を使用していますが、今回、鳥越文庫である資料を見つけました。佐渡出身の渡部氏が残した「山椒太夫考」という小冊子によると、佐渡に安寿が来るというストリーのこの浄瑠璃は、正しくは、「山本河内掾」の作で、「伊藤出羽掾」の正本として出版されたものであると書かれています。この正本は元禄十五年のものです。山本角太夫奥書の本は、この本とは別物らしいですが、渡部氏によるとこの二つの正本は、ほぼ同文であり、おそらく後から「山本角太夫」の名にすり替えているのではないかと推測されています。また、山本角太夫の山椒太夫も不完全な形で残っていますが、この浄瑠璃では、安寿は由良で責め殺されていますので、やはり、このストリーを創作したのは、「山本河内掾」とした方が良いようです。

さて、その山椒太夫は、佐渡文弥人形で演じられてきた浄瑠璃ですが、今回、猿八節として、初公開をさせていただきました。今回は11人に皆さんに来ていただきました。毎回小学生の女の子達が来てくれるので、うれしいですね。ありがとうございました。

残念ながら6月は、日程の調整ができず、開催は見送りとなりました。次回は7月の予定です。日時内容が決まりましたらお知らせいたします。

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忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ④

2012年05月10日 17時03分57秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

おうしょうぐん ④

 光武帝は、王照君を手放さなければならなくなってしまったことを大変悔やみました。

その夜、大臣を呼び御愛用の琵琶を取り出すと、

「この琵琶は、先帝より形見に下されてよりこれまで、片時も離さず大切にしてきた宝

である。この度、照君が一人赴く旅の空は、さぞや辛いことであろうから、この琵琶

を道すがらの慰みにするようにと渡しなさい。また、この琵琶を弾けば、鬼神の祟りも

防ぐことができるだろう。」

と、王照君に琵琶を渡すように言いました。誠に有り難いことです。王照君は、大臣か

ら琵琶を受け取って、

「ああ、有り難いことです。罪に沈んだ私の行く末までもご心配いただき、申し上げる

言葉もありません。」

と嘆かれるのでした。そうして、早くも夜が明け始め、出発の時刻が近づきました。涙

ながらに旅の装束を整えると、お供の官人に前後を囲まれて、輿に乗り込みました。先

頭に異国の夷が立って、思うも遠い万里の旅に出たのでした。その心の内こそ哀れです。

 振り返り振り返り見れば、名残も尽きない都の空、住み慣れた楼閣も、やがて遙かの

後ろとなり、木々の梢も霞んで、時を告げる太鼓の音も最早微かです。もうこれで、二

度と都へは戻れないかもしれないと、王照君は輿の中で、悶え焦がれて泣きました。

 一方、夷狄の人々は、目的を達して意気揚々たるものです。一刻も早く胡国へ帰り着

こうと、先へ先へと進みます。やがて一行は、天人峡(てんじんきょう)に差し掛か

りました。さすが異国の道ですから、野を過ぎ山を分け入り、行き交う人もありません。

王照君は、こんなところでは、都へ言づてしようにも誰に頼んで良いのか分からないと、

さらに嘆き悲しんだため、顔も姿もやつれ果て、しゃべる元気もなくなり、お命も危う

いのではないかと思われる有様となってしまいました。

 先を急ぎたい夷達でしたが、夷は王照君を慰めようと、白雲山の麓で輿を停めると、

形見の琵琶を取り出して、王照君に渡しました。懐かしい光武帝の形見の琵琶を抱きし

めると、王照君は、撥を取り直し、はらはらと弾き鳴らしました。その曲は、別れを慕

う曲「離乱別隔」(りらんべつくはく:不明:当て字です)でした。遠い都に思いを馳

せて弾いたので、その調べは大変哀れに響きました。第一第二の弦の音は、颯々(さつ

さつ)として雨音のようです。第三第四の弦は、静々として私語(ささめごと)にも似

ています。王照君は、あれやこれやと思い出してしまったのでしょう。やがて琵琶を置

くと、また泣き沈むのでした。夷狄の夷達は、初めて聞く琵琶に聞き入って、

「素晴らしい音色です。我等、夷の者にも、このように面白く聞くのであるから、聞き

知る人が聞いたなら、もっと感心することでしょう。もう少し、弾いて下さらぬか、お

願いいたします。后様。」

と、前進することも忘れて、惚れ惚れとしています。王照君は、

「この曲を初めて聞く夷なのに、感心なことです。では弾いてあげましょう。」

と、琵琶を取り上げると、月澄み昇る秋の夜の曲、「秋風楽(しゅうふうらく)」を弾き

始めました。

 すると不思議なことに、四方の嵐の音が琵琶の調べに乗り移り、空の様子も一変して

香しい風が吹き、大変良い香りがあたり一面に立ち込みました。人々が、何が起こった

のかと不思議に思っていると、空より五色の雲がたなびいて、だんだんに降りてくるのでした。

その雲には、天女が二人乗っていました。一人は、孫仙人(まごせんにん)一人は、西

王母(せいおうぼ)です。今度は、西の方から雲が降りて来ました。その雲からは、人

とも思えない凄まじい顔容の大の男が二人、飛び降りると、

「我々二人を誰と思うか。これは、前漢高祖の臣下樊 噲(はんかい)、我は長良(ちょうりょう)

と申す者である。我々は、通力自在を得て仙人となった。この度、姫君の琵琶の音色が

神妙であるので、守り神となるため、孫仙人、西王母と伴にこれまで参った。」

と告げました。二人の天女は、

「さああさあ、音楽をして姫君を慰めましょう。」

と言うと、笙(しょう)、篳篥(しちりき)を吹き始めたので、王照君もそれに和して

琵琶を奏でました。その有様は、まるで極楽世界を見るようでした。今度は、二人の天

女が、迦陵頻伽(かりょうびんが)の声で歌を唄い始めました。

『げにや誠に雨露の身に

何嘆くらん浮き雲の

しばしは月を隠すとも

ついには澄まん世の中の

今少しの苦しみを

さのみ嘆き給いぞよ

行方久しき久方の

光和らぐ春の日の

君が恵は尽きせしな』

天女達は、心配しなくても大丈夫ですよと言い残すと、再び雲に乗って空へと舞い上が

りました。長良、樊 噲も、

「そもそも我々は、浮き世にあったその時は、義を重んじて命を軽んじ、外へは五常(ご

じょう:仁義礼智信)を乱さず。内には誠を尽くしたので、通力自在の身となりましたが、

君恩を忘れたことはありません。姫君の嘆きがあまりにも労しいので、お慰めのために

二人の天女を連れて来たのです。只今の歌の文句も、姫君はよくご存知のことと思いますが、

どうか、ご心配なさらずとも、直に都へお帰しいたしましょう。」

と懇ろに慰めると、今度はずんどと立ち上がりあがりました。腰の釼をするりと抜くと、

二回三回と振り回し、夷狄の人々を睨み付けました。

「我々は、天上に住み、人間界に下ることもついぞ無いが、この度は、この姫君があま

りにもお労しいので、このようにやって来たのだ。姫君に少しでも辛く当たるような

ことがあれば、おのれらを八つ裂きにしてくれるぞ。」

と言い捨てると、雲に紛れて天上へと戻って行ったのでした。

 夷狄の者達にとっては、まったく怖ろしい限りです。人々は、震え上がり戦慄いて、

見ることさえ出来ない有様でしたが、おっかなびっくり王照君を輿に乗せると、胡国へ

向けて出発したのでした。かの天女仙人の有様は、不思議であるとも何とも、例え様

もありません。

つづく

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猿八座 5月公開稽古のお知らせ 山椒太夫 

2012年05月04日 21時09分18秒 | お知らせ

さて、天候不順の連休ですが、皆様お変わりありませんか。八月に長野の西光寺で公演する予定になっている「山椒太夫」の公開稽古を行います。山本角太夫本「山椒太夫」は、忘れ去られた物語⑨で紹介しました。

演ずるのは、佐渡の場面である「鳴子曳き・母子対面の場」です。

http://blog.goo.ne.jp/wata8tayu/d/20120226

このストリーは、佐渡に安寿が渡って来るという特異なストリーで、説経節ではありませんが、佐渡の文弥人形には欠かせない浄瑠璃です。新潟ご当地浄瑠璃として長く伝えて行きたいお話です。

猿八座公開稽古 山椒太夫

日時 平成24年5月19日(土)

    午後二時より三時

会場 東光寺心萃房(旧児童館)

    新潟県新発田市真中

入場無料

飲食持ち込み可

飲みながら食べながらお楽しみ下さい。


忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ③

2012年05月04日 20時50分36秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

おうしょうぐん ③

 こうして、漢朝の両大将は、胡国の使節を伴って、都へ戻ったのでした。早速に参内

し、両将軍は、戦の次第を帝に報告しました。光武帝は、本より慈悲第一の名王でした

から、停戦になったことを大変喜んで、

「よくぞ和睦に持ち込んだ。予めその様な望みと知っているならば、何も合戦などせず

に済んだものを。后一人の苦しみと万人の命を引き替えにできるものでは無い。この度

の戦で、亡くなった者達の供養をいたせ。」

と、両大将には、恩賞として、一階級の特進と、国を拝領させたのでした。

 さて帝は、ゲンシリョウを呼んで今後の対応について相談しました。シリョウはこれ

を聞いて、あれこれと思案すると、

「この夷狄の望みは、漢朝には幸いです。国王が国を奪われる原因の第一は、色に耽り、

政を怠ることです。ですから、今、彼らの望みに従って、后を一人遣わされば、夷は

朝夕淫乱に耽り、国の規律も弛み、上を真似る民であるので、下々まで女に耽ることで

しょう。その荒廃につけ込んで夷狄を討ち取り、又后も取り返せば良いのです。急いで、

后をお遣わしください。」

と助言しました。これを聞いて、帝ももっともとは思いましたが、さて、いざ后一人を

選ぶといっても、誰を選んでも恨みを買うことは間違い無い。どうして選んだものやら

とお悩みになりました。そうこうしていると、夷狄の使者達は、やいのやいのの催促です。

困った光武帝は、こう言いました。

「千人の后の顔を一人一人覚えている訳ではないので、誰と言う事も出来ない。そこで、

以前、ゲンシリョウの絵を描かせたモウエンジュを呼び、千人の后の絵を描かせよ。

紫宸殿に掛け並べて、そこから選んで遣わすことにする。」

 后達は、誰かが怖ろしい夷狄の国へ送られることを聞いて、戦々恐々たる有様です。

その中で紅梅と言う后は、知恵賢い女でありましたが、こう考えました。

「これは、千人のその中で、一番見目の悪い醜い后を選んで送るのに違いない。絵描き

に宝を取らせれば、見目良く描いてくれるはずだ。」

この話を聞いた后達は、我も我もと、贈り物を持ってモウエンジュの所へ押しかけまし

た。

「のう、如何にモウエンジュ殿。どうかお願いですから、目元口元しおらしく、とても

可愛らしい笑顔に描いてくださいよ。」

と、エンジュの袖を引き、頭を撫でて頼むのでした。エンジュは、嬉しくて嬉しくて、

お任せあれと、どれもこれも実物以上の美人に描いたのでした。

 さて、ここに王照君という后は、千人の中で一番の美人でしたが、

「この度の絵図は、一人も漏らさず描くとは言いますが、どうして私まで絵図にしなけ

ればならないのですか。御前から遠い人々なら分かりますが、帝が私のことを忘れるは

ずがありません。それにしても、誰かが異国へ送られるのですね。可哀相に。」

と、他人事のように考え,貢ぎ物をしませんでした。

 そうこうしている内に、千人の后の絵図ができあがり、紫宸殿に飾られました。帝をはじ

め、ゲンシリョウ、臣下大臣が集まり絵図に見入りました。どれもこれも大変良く描け

ています。これを物に例えて言うならば、

春待ち顔なる梅の花

雪の内より咲き染めて

誰が袖触れし匂いぞと

風の香も懐かしき

これは又、海棠(かいどう)の

雨を帯びたる風情

眠れる姿の花の色

濡れてや色を深見草

松に掛かれる藤なみや

岸の山吹岩躑躅(つつじ)

桃花は紅にして艶やかなり

李花(りか)は白うして潔し

蓮(はちす)は君子の類かや

紫苑(しおん)竜胆(りんどう)萩の花

桔梗(ききょう)苅萱(かるかや)女郎花(おみなえし)

厚菊(こうきく)紫蘭(しらん)様々の花色

あまりの美事さに、言葉もありません。しかし、その中で八番目の絵が少し劣って見え

たので、帝はよく確かめもせずに、

「これを、胡国に遣わせよ。」

と、八番目の絵を選んだのでした。人々がこの絵を良く見てみると、名前に王照君とあります。

人々は驚いて、光武帝に、これは王照君ですぞと申し上げると、帝ははっと驚いて、

立ち戻ると、確かに王照君とあります。

「これは、絵描きの間違えであろう。」

と、気色も失せて呆れ果てていると、ゲンシリョウは、

「綸言汗の如し。一度発せられた言葉は戻りません。王照君を急ぎ送らせください。」

と、諫めました。がっくりとした帝は、仕方なく王照君を呼びました。

「この絵を見てみなさい。お前の名前を書いたこの絵は、絵描きの誤りとは思うが、こ

れも前世の宿業。どうぞ恨んでくれ。ああ、悲しや。」

と、涙ながらに、胡国行きが決したことを伝えるのでした。他人事と思いこんでいた王

照君は、この晴天の霹靂に泣き崩れ、

「どんな罪の報いなのでしょうか。千人の中で私だけを描き誤るとは。聞くだけでも

憂鬱な荒夷へ取られて行くなど考えられません。胡国などへは絶対に行きません。」

と悶え焦がれるのでした。ゲンシリョウは照君に近づき、

「この度、図らずも、写し絵の間違えで、夷の手にあなたを渡すことは、我々皆、不憫

と思っております。しかしながら、万人の命を救うためには、あなた以上の方はおりません。

私は、必ずや身を捨てて、すぐに取り返しに参りますので、どうかご安心下さい。」

と、説得すると、照君も勇気付いて、

「我が君の御為ならば、命を捨てることも惜しくはありません。」

とは、思い切りましたが、王照君の有様は、哀れとも中々、何に例えようもありません。

つづく

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忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ②

2012年05月04日 17時16分37秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

おうしょうぐん ②

 さてここは胡国と呼ばれる国。ケンダツ王は、一族の諸侯の主だった大将である、テ

ッケンバク、バクリケツを近付けると、

「さて、面々はどう思われるか。この国は、夷狄(いてき)の夷(えびす)と言われ、

漢朝では卑しまれているが、国は広く、人は幸せに暮らし、万事につけて貧しいことも無い。

しかし、この国に、美人というものが居ない。漢朝の美人を一人奪い取り、一の后とし

たいものだが、どうじゃ。」

と、漢朝に攻め入る相談をしたのでした。早速に、軍勢を調えることになり、国一番の

大力である、チクリトウ、ケンカイランを先陣の大将として、三十八万騎の大軍が、唐

土を目指して出軍していったのでした。まったく夥しい限りです。

 一方、漢朝の大将達も、夜を日に継いで進軍し、胡国との国境であるジンダイ江とい

う大河の辺りまでやって来ていました。漢朝軍は、ここで夷狄の軍勢を迎え討つことと

して、ここに陣を張りました。それは、霜月(11月)二十日の頃のことでしたが、折

から、非常に強い寒気が来て、川が凍り付き、いっぺんに川面は鏡のように輝きました。

漢朝軍の両大将はこれを見て、

「胡国の奴らは、馬の達者であるから、きっと氷の上を渡って攻めて来るだろう。我々の

作戦としては、熱湯を沸かして、こちらの岸から流し入れ、氷を溶かしてしまえば、

敵の軍勢は水没して溺れ死ぬであろう。」

と、軍議をすると、早速に準備にかかり、上から下まで熱湯を沸かしにかかる有様は、

由々しいばかりです。

 やがて、胡国の軍勢が対岸に現れました。胡国の大将チクリトウは、凍結した川を見て、

「さても、厚い氷である。これほど厚ければ渡るのは簡単なこと。」

と、どっとばかりに軍勢を氷の川に降ろしました。先駆けの二万騎が、我先にと雪崩込

んで来ます。漢朝軍はこれを見ると、早速に熱湯を流し始めました。厚い氷とは言え、

夥しい熱湯で氷は薄くなり、胡国の軍勢は、次々と氷を踏み割って、川に吸い込まれ行

きます。胡国の大将は、

「さても、無念なり。そもそも舟も通わぬ川であるから、ここを渡ることはできない。」

と、無理な進軍を諦めると、三十里(約120Km)上流の万里山(まんりさん)に迂

回して進軍させることにしたのでした。胡国軍は、囮(おとり)の軍勢を河岸に残して、

漢朝軍を引きつけて置いて、密かに三万騎を率いて山の迂回路へと向いました。

 

 さて、そのころ、漢朝の都では、大将シバイリュウが、まだ東雲の早朝に役所回り

をしていましたが、遙か向こうの山から、猪、兎などの様々な獣が群がって逃げ下りて

来るのを見つけました。

「これはおかしい。人を恐れる獣が、山を離れて都へ向かって逃げ来るとは。さては、

異国の軍勢が、万里山を回って攻め寄せて来たな。」

と、気が付くと、急いでシバユウと共に防御の手立てを考えました。万里山の手前五里

の所にある鉄山という山に軍勢を集結させて、石弓を大木に設置し、夷狄の襲来に備え

たのでした。案の定、胡国の軍勢がどっと攻め入ってきましたが、守る漢朝軍が見あた

りません。胡国軍は、さては漢朝軍は恐れをなして逃げたかと、更に勢いついて進軍し

た所に、漢朝軍の石弓が炸裂しました。先陣を切った胡国軍は悉く討ち滅ぼされてしま

いました。けれども、胡国の軍勢は、後から後から、入れ替え引っ替えて攻めて来たの

で、今は既に、互いに火水の如くに混戦となりました。その戦いの有様は凄まじいばか

りです。

 中にも胡国軍の万力(まんりき)という大力の者は、黄楊(つげ)の棒に鉄の鋲を打

った一丈余りの(約3m)棍棒を、軽々と振り上げて漢朝軍をなぎ倒します。これに対

して、漢朝側は、リクシという豪の者が、手鉾を持って応戦します。しばらく二人は、

渡り合って戦いましたが、互角の戦い。やがて互いにむんずと組み合うと、万力は、怖

ろしい力で、リクシの首をふっつと引き抜き、五町(約500m)ばかりも投げ捨てま

した。これを見たシバユウが、一矢報いて万力をようやく仕留めましたが、多くの味方

が討たれて、漢朝軍は劣勢です。胡国の軍勢は、切っても切っても押し寄せてきます。

そこで、シバユウは、

「このままでは、味方が危ない。この度は和睦をして、さらに軍勢を整えてから、次の

機会に討ち滅ぼしてやろう。」

と、提案しました。そこで、前漢の高祖の臣下であった樊 噲(はんかい)の子孫、ハ

ンリという一騎当千の兵(つわもの)が選ばれ、使いに立つことになったのです。

 ハンリは、一人、敵陣へと向かいました。胡国の大将の前に出るとハンリは、

「この度、このような大軍をもって押し攻め入ること、漢朝の帝王においては、少しも

覚えの無いこと。こちらは、防衛のために両将軍を差し向けたに過ぎない。意趣あるな

らば、詳しくお話下され。」

と、正々堂々と言いました。胡国軍の将軍は、感じ入って、

「この大軍の中に一人でやって来て、言葉も鮮やかに申すとは、なかなかあっぱれ。

それそれ、引き出物を与えよ。」

と言えば、畏まったと若武者七八人が、ようやく大の鉄棒を運んできて、ハンリの前に

置きました。ハンリは、これを軽々とおっ取り、二三度打ち振って、

「あっぱれ、究極の鉄棒かな。」

と、にっこり笑い、

「さて、ご返事は。」

と、差し向けました。胡国の両大将は、

「されば、この度の出陣は、国の望みではない。また、帝への宿意(しゅくい)でも無い。

ご存じの如く、我が韃靼国(だったんこく)には、見目良き女が居ないので、良い女

を奪い取り、我が国王の后とするためにやって来た。漢朝の后の中で、美人の女を一人

いただければ、軍を引き、和睦いたそう。」

と、言うのでした。漢朝側は、この和睦を受け入れました。喜んだ胡国の将軍は、使い

として、ヘンカイとチクリキの二人を漢朝軍とともに都へと送ったのでした。

誠に荒き夷だに

女に心優しける次第

ことわりとも中々例えぬ方も無し

つづく

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忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ①

2012年05月03日 16時52分38秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
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日暮小太夫

寛文九年巳酉(1669年)

二条通鶴屋喜右衛門板

※中国を舞台とする物語である。登場人物の固有名詞に関して、漢字の用法が明確で無いものは、すべてカタカナ表記とする。

おうしょうぐん ①

 唐土の政治を考えてみると、一天の主である帝(みかど)が邪険で、人民を苦しめるならば、

必ずその国は滅び、仁義に厚い王化(おうか)は、長い間続くものです。誠に、仁者

には敵無しと言わる通りです。後漢の光武帝というお方は、古今無双の帝でいらっしゃいます。

常に政徳を以て、万民のことを考えたので、吹く風は木の枝を鳴らさず、降る雨は土塊

(つちくれ)を動かさず、国は豊かに栄えました。誠に目出度いことです。

 そして、光武帝の一千人の后達の美しさは、月も妬み、花をも欺くといった風情でした。

その后の中でも、第一の美人は、「王照君」でした。管弦の道を得意として、琵琶の名人でした。

この光武帝を支える武将に、シバイリュウ、シバユウという文武両道に秀でた者がいま

した。その外の諸侯、大名、日々に参内して、天下の政道を正しく行い、君を守護した

ので、都は活気に溢れて賑わっていました。しかし、光武帝は、これに満足せず、ある

時四大将を集めるとこう言いました。

「如何に皆の者。私は、帝位に就いて以来、悪政を行って来たとは思わないが、これで

完璧であるとも思えない。一天の主たる身でありながら、確かな師範が居ないというのは、

心許ないものだ。私が未だ匹夫であった頃の親しい友人に、ゲンシリョウという者がい

る。彼は誠の賢人であり、彼を天下の執権としたいのだが、今は遁世して、恐らくは名

も変えて、行方も知れない。そこで、いろいろと思案したのだが、ゲンシリョウの絵を

描かせ、それを持って山中を探させ、似ている者があるならば召し出したいと考えたが

どうであろう。」

これを聞いた人々は、

「この様に国が治まり、何の不足も無いのに、更に賢人を求めて教えを乞おうと成されるとは、

偏に、尭舜(ぎょうしゅん:中国古代の伝説の帝王)の御代にも負けない仁政である。」

と、謹んで感激したのでした。

 やがて、モウエンジュという絵描きの名人が召されました。帝が、これこれこういう

面体であると詳しく話しをすると、エンジュは、忽ちに絵を描き上げました。帝は、そ

の絵をつくづくとご覧になると、

「誠に良く描けている。まだ会ったことも無い者を、言葉だけで写すとは、美事である。」

と、お喜びになりました。

 そうして、沢山の勅使がこの絵を持って広い国土を隅々まで、くまなく探し回りましたが、

似ている人物を捜し出すことは、そう簡単ではありませんでした。

 ここは、蜀の国の辺りです。人倫から遙かに隔たったこの地は、山巒(さんらん)は

塵を払い、光瑞(こうずい)が穢れを濯ぐといった美しい所です。さて、ある勅使が、

ここを尋ねてみますと、水草も清らかな川で、釣り糸をたれている人がおりました。こ

れが、尋ねるゲンシリョウでした。勅使が、近づいて絵図と照らし合わせてみると、そ

っくりです。勅使は喜んで、

「帝よりの宣旨です。さあさあ、立ちなさい。」

と、引っ立てようとしますと、シリョウは、

「ええ、囂しい(かしましい)。田を作って飢えを凌ぎ、井戸を掘って乾きを潤す。そ

れ以上に何の望みがあって、都へ行かねばならんのだ。そこどきなさい。」

と、釣り糸を垂れたままです。勅使は益々喜んで、

「これぞ、誠のゲンシリョウに間違い無い。」

と、かの絵図を指し示すと、

「もしも、あなたがゲンシリョウ様でいらっしゃるなら、帝が探しておいでです。ど

うか、帝の御後見として、天下の執権に備わり下さい。これは、ひとつには君の為、二

つには万民のためでございます。どうか、我々に従って都へお上り下さい。」

と、理を尽くして懇願しました。すると、シリョウは、なんとも返事もせず、流れる水

を手ですくうと、耳を洗って澄ましています。勅使が、不思議に思って、

「それは、どういうことですか。」

と、尋ねると、シリョウは、

「先ほどからの話、余りに穢れているので、耳を洗ったのじゃわい。」

と、答えました。これには、勅使も呆れ果ててしまいましたが、帝からの厳命ですから、

諦める訳には行きません。勅使はさらに詰め寄ると、

「只今の漢朝の主(あるじ)光武帝様は、昔、あなた様と親しき友人であったと聞いて

おります。昔馴染みの印に、一度は都へ御出仕なされて、皇帝とご対面の上、様々お話