新潟市砂丘館で平家女護島二段目を通しで演じました。約100分ぐらいあります。かなりやり応えがあります。お客さんも大変だったかもしれません。だいたい浄瑠璃は、全体で、五段か六段ありますが、この浄瑠璃は全5段です。朝から始めれば、夕方には終わる尺だったのかもしれません。最近は、歌舞伎にしても文楽にしてもなかなか通しで演ずるということはありませんから、今回の取り組みは一段だけではありますが、大変に勉強になりました。そして、最後の感想は、「やっぱ、近松の筆はすごい」ということになります。
平清盛の孫出産(安徳天皇)を間近にして、男子の平産を祈願するため都は大騒ぎです。そんな中、石清水へ代参した能登の守教経(のりつね)と、恩赦の使者二名、丹左右衛門元安と妹尾の太郎兼康が「鳥羽の作り道」で行き遭います。
教経は、平産祈祷の為、鬼界ヶ島の流人に恩赦を与えると聞くが、その赦免状に「俊寛」の名が無いことを知ると、平重盛の言葉を忘れたかと怒る。
妹尾は嫌みを言って従わないので、結局、教経は、重盛の代筆として「俊寛」の赦免状をその場で書き、丹左右衛門に託す。
そうこうしていると、急使が駆け込んで来て、無事に王子ご誕生と告げるのであった。
ここまでが、口(くち)。「鳥羽の作り道」の場。ここで場面は変わって、鬼界ヶ島の場面となる。
鹿ヶ谷事件で鬼界ヶ島に流罪となっているのは、「俊寛」「平判官康頼」「丹波少将成経」の3名。すでに3年が経過している。
ここでは、「成経」が島の海女「千鳥」と夫婦になったという目出度い話しからはじまるが・・・
突然、恩赦の使者が現れる。「成経」は、「千鳥」も連れ行って欲しいと懇願するが、聞き入れられない。「千鳥」独りが残されて
「千鳥」の口説きとなる。
都に残してきた妻が死んだことを聞いた「俊寛」は一計を案じた。
それは、使者の妹尾を討って、自ら罪を被って島に残り、代わりに「千鳥」を舟に乗せることだった。
立ち回りの末、妹尾の首を落とす。お客様がのけぞってますね。ごめんなさい。
独り島に残された俊寛は、遠ざかる舟を見送る。
裏話:私が猿八座に参加してから6年。猿八座は毎年、新作を創ってきた。これはすごい事だと思う。浄瑠璃は案外、すぐできるが、大変なのは、人形や小道具・大道具である。特に人形の頭は、西橋八郎兵衛師匠でなければつくれない。
今回は、「教経」ができたてほやほや。だいたい新人は公開前日ぐらいか、開演直前ぐらいに出来上がることになっている。今回は、前夜には完成した様子。
つまり、初演というのは、だいたいぶっつけ本番ということである。今回は、稽古日程がタイトだったこともあり、本番が初めての合わせになった・・・それは結構な緊張を強いる舞台であるが、逆に感性は鋭いかも知れない。探り合いをするからである。まあ。当然のことではあるが、2回公演のどちらも、それぞれ違う舞台になっていたのが面白い。(2回つづけてご覧になった方は、残念ながらいらっしゃらなかったようですが)