猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

第25回 全国地芝居サミットinあきる野 詳細決定

2015年03月25日 22時38分51秒 | お知らせ


菅生歌舞伎は、キララホール前広場に組み立てる、東京都有形文化財「菅生組立舞台」に於いて、演じます。
いつもの様に、やりますので、何時もの様に、飲み食い自由。おひねり投げ放題でお願いします。農村歌舞伎は、十年一日の如くやるものだと信じています。

菅生一座の上演日程を、ピックアップします。

5月2日(土) 10:30 喜三番叟  

        11:10 寿曾我対面 工藤館の場

        12:30 菅生組立舞台公開

5月3日(日) 10:00 絵本太功記 十段目



宜しく、ご予定下さい。雨天決行です。

八太夫会からの参加者は、以下の方々です。

義太夫節 太夫  野口令
     三味線 中田恭子

下座三味線    中田恭子
         石橋迪子

私は、主に囃子方、太鼓担当です。
尚、いつもの様に、笛は高崎さんにお願いしました。遠慮無く、下座黒御簾内にも顔出して下さい。
         


 

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠⑥終

2015年03月25日 15時00分04秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
こざさ⑥終

 加藤兵衛祐親(すけちか)は、兄弟の若に、
「私が計らって、命を助けたいとは思うが、私の一存ではどうにもならぬ事。御上にお伺いを立てて来る間、暫くお待ちなさい。」
と言うと、関白大臣の所へ行き、ことの次第を言上するのでした。
「本日、仰せつかった兄弟の者達ですが、親の敵討ちの申し出があり、母親が来て、歎く有様は、まったく目も当てられぬほど哀れな次第です。如何取りはからいましょうか。」
関白は、これを聞いて、
「それでは、取りあえず戒めの縄を解いて、これに連れて参れ。」
と、命じました。やがて、兄弟の者達が、関白の前に連れて来られました。関白は、詳しく話しを聞くと、
「おお、なんとも、可哀想な事をしたな。幼い兄弟であるから、うまく申し開く事もできなかったのであろう。それでは、わしが替わって奏聞してあげよう。」
と言って、直ぐに奏聞をしてくれたのでした。御門は、
「そういう事であれば、急いで、国友の庄を取り返すが良い。」
と、三百余騎を下されました。兄弟の若達は、喜んで、早速に長谷へと攻め下りました。兄弟は、国友の城を、二重三重に取り囲むと、
「如何に、人々、聞き給え。御門の御宣旨によって、この庄をいただいた。速やかに、城を引き渡せ。さもないと、怪我するぞ。」
と、呼ばわりました。国友の勢は抵抗もせずに降参し、目出度く城を取り戻すことができたのでした。兄弟が、再び参内して、奏聞すると、御門は、
「おお、それはよくやった。それならば、父の跡、長谷を取らするぞ。」
と、御綸旨を下され、兄の梅若を、衣笠将監家継に叙されました。兄弟が目出度く大和長谷に帰国すると、兄弟は、兵庫の女房に、金五百両を褒美に取らせ、館を建て直して、再び栄華に栄えたということです。

上古も今も末代も
例し少なき次第とて
貴賤上下押し並べて
感ぜぬ人ぞなかりけり

とらや左衛門

おわり

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠⑤

2015年03月25日 14時14分44秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
こざさ⑤

 兄弟の形見を持って小篠は、黒渕へと急ぎました。やがて、御台様に形見の黒髪を届けたのでした。御台様は、驚いてこの形見を取り上げると、
「兄弟の若達は、都へ曳かれていったのですか。それでは私も、京の都へ行き、若達の最期を見届けましょう。」
と言って、取る物も取りあえず、市女笠で顔を隠して、小篠一人を共として、京を目指して旅立ちました。御台様は、兄弟の姿を求めて、あちらこちらと彷徨っている内に、京童(きょうわらんべ)の声を耳にしました。
「今日、六条河原で、幼い兄弟の成敗が行われるってさ。見に行こうぜ。」
御台様は、これを聞いて、
「さては、今日が若達の最期か。」
と、子供達の後を追って、六条河原へ向かうのでした。
 さて、六条河原では、既に兄弟が引き出され、敷皮に西向きに座らされています。加藤兵衛が、
「さあ、若共。最早、最期の時だぞ。念仏申せ。」
と言うと、兄弟の人々は、群衆に向かって、こう告げるのでした。
「やあ、見物の方々、聞き給え。そもそも、我々兄弟は、山賊でも盗賊でも無い。親の敵を討ったので、このように成敗を受けるのだ。名誉の死をご覧下さい。さあ、太刀取り殿。早くお願いします。」
加藤が、後ろに回って、太刀を振り上げると、その時、御台様が走り出でて、加藤の腕に縋り付くのでした。御台様は、
「どうか、お待ち下さい。この兄弟は、どのような罪科を犯して、成敗されるのですか。」
と叫びました。加藤兵衛は、
「この者達は、和州長谷の国友を殺したので、成敗されるのだ。」
と言って、御台様を押しのけました。御台様は、尚も取り付いて、
「のう、のう、太刀取り殿、聞き給え。その国友を討ったのは当然の事。国友は、この兄弟にとっては、親の敵。親の敵を討った者は、陣の口(※大内裏外郭十二門のひとつ)さえ、許されると承るのに、どうして成敗されなければならないのですか。こんなに幼い者達を、どうして殺さなければならないのですか。どうかお助け下さい。」
と、醒め醒めと泣くのでした。兄弟はこれを聞いて、
「おお、これは、母上様ですか。草葉の陰で、父上様も、さぞお喜びの事と思います。これが宿業と諦めて、どうかお帰り下さい。」
と、言うのでした。加藤兵衛は、これを聞き、
「何と歎こうと、綸旨に叛く事はできないぞ。さあ、早く帰れ。」
と言いますが、御台は更に諦めず、涙ながらに懇願するのでした。
「まだ幼い兄弟ですから、どうか二人を助けて、代わりに私を殺して下さい。それが叶わないのなら、この兄は助けて、弟だけを殺して下さい。お願いします。」
加藤兵衛は、これを聞き、
「何、不思議な事を言うものだな。人は、『血の余り』と言って、末っ子を可愛がるものだが、どうして、兄を助けて、弟を切らせるのか。」
と、聞き返しました。御台様は、
「太刀取り殿。どうぞお聞き下さい。この兄は、私にとっては継子で、弟は私の実子です。弟を助けて、兄を切るならば、草葉の陰の彼の母が、継子が憎くて切らせたなと思われるに違いありません。そのような恥はかきたくありませんので、仕方無く、弟の方を殺してもらいたいと、お願いしているのです。」
と、再び泣き崩れました。やがて、御台様は、涙を抑えて梅若殿に近付くと、
「梅若よ。お聞きなさい。私が継母とは、今まで知らなかったことでしょう。悲しいことにあなたが二才の春の頃に、あなたの母様は亡くなられたのです。その後添えが私ですが、あの桜若ができても、私は、分け隔て無く育ててきたつもりです。今更、継子継母のことを聞かされて、無念にお思いかもしれませんが、これも、あなたを助けてお家を再興してもらう為ですよ。」
と、聞かせるのでした。続けて御台様は、泣きながら、
「桜若よ。この母を恨みと思うなよ。継子すら憎まないのに、なんでお前を憎いと思うか。ああ、身も心も苦しや。さあ、母諸共に、切って下さい。」
と居直って、少しも引き下がりません。太刀取りの加藤も、その場に居合わせた者達も、堪えきれずに共に涙に暮れました。とうとう、加藤兵衛は、
「物の哀れを知らない者は、木石と変わらない。成るか成らぬかは分からないが、今一度、御門に奏聞してみるから、皆々、一先ず引き下がれ。」
と言って、処刑を取りやめたのでした。兎にも角にも、この人々の心中は、哀れともなんとも言い様がありません。
つづく

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠④

2015年03月25日 12時35分01秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
こざさ④

 兄弟を殺した国友は、兵庫の女房を、再び呼んで、
「さて、正成の妻は、何処にいるのか。正直に申せ。」
と、迫りました。女房は、
「さればです。御台様がご存命であるのならば、どうして注進などいたしましょうか。御台様は二十日前にお亡くなりになられました。」
と、答えたのでした。国友は、
「成る程、お前の注進は、山程有り難く思っておるぞ。この度の褒美である。」
と言って、謝金百両を下されました。しかし、女房は受け取らず、
「このような金銀をいただいても、誰に与える者もありません。お情けを懸けていただけるのなら、どうか、下の水仕に召し使って下さい。」
と、願い出るのでした。国友は、これが兵庫の女房の企てとも知らず
「おお、そういう事であるのなら、良きに目を掛け、使ってやろう。これより、お前の名前を、『小篠の局』と付けるぞ。」
と、答えたのは、既に運の末というべきでした。小篠は、人の仕事まで自分で引き受け、人の嫌がる仕事も進んでやったので、国友のお気に入りとなり、彼方此方と召し使う様になりました。ある時、小篠は、
「申し、我が君様。私が浪人していた時に、吉野の権現様に大願を懸けました。そのお礼にお参りをしたいと思うので、少しの暇をいただけませんでしょうか。」
と、申し出ました。国友は、すっかり小篠を信用していましたので、
「おお、神の事であるのなら、どんな用事よりも大切だ。早く行って来なさい。」
と、すんなりと許しました。
小篠は喜んで御前を罷り立つと、早速に長谷を出て、黒渕へと急ぎました。黒渕に着くと、兵庫の女房は、
「どうぞ、ご安心下さい。難なく敵を謀りました。」
と、御台様に告げるのでした。御台様は、
「如何に、主君への忠心とはいえ、我が子を殺し、後に残って悲しまない親があるはずがありません。いつの日にか、この若達が世に出たなら、必ずお礼の恩賞を授けますぞ。女房よ。」
と、すがりつくのでした。女房は、毅然として、
「どうぞ、そんな心配はおやめ下さい。私が、敵の内に潜り込みました以上は、必ず本望を遂げていただきます。」
と言うと、暇乞いをして、立ち上がりました。兄弟の人々は、門送りに立って、
「女房殿。必ず親の敵を討たせて下さい。万事よろしくお願いします。」
と、頼みましたので、女房は、
「良き時を見計らって、必ず、討たせてあげますので、ご安心下さい。明日の夜半に必ず、長谷の館に来て下さい。」
と、答えました。兄弟は喜んで、
「おお、明日は、幸い、父の三年忌です。父上の孝養の為に、敵を討つぞ。」
と息巻きました。女房は、
「必ず、お出でください。」
と言い残して、長谷へと帰って行ったのでした。
 さて、長谷に戻った小篠は、いつものように仕えています。翌日の夜半、小篠は、じっと兄弟が来るのを待ち受けていました。やがて最期の出で立ちを整えた兄弟達がやってきました。小篠は、
「お待ちしておりました。さあ、いよいよ念願の時です。慌てて、し損じなどなさらぬように。さあ、こちらです。」
と、国友が寝ている部屋へと案内しました。
「さあ、早くお討ち下さい。」
と、小篠が言うと、兄弟は、喜びましたが、
「女房殿、私たちは、母上様に暇乞いをしておりません。どうか、これよりお帰りになって、この黒髪を、兄弟の形見として届けて下さい。」
と、言うのでした。女房は、命令に背くことはできず、泣く泣く黒渕へと帰って行くのでした。さて、それから兄弟は、国友の枕元に立って、
「やあ、如何に、国友。大事の敵がありながら、このようにすやすやと寝られるのか。起きろ起きろ。」
と、言うや否や、髪の毛を掻い掴んで、引き起こしました。国友は、枕刀を抜いて起き上がろうとしましたが、桜子が切り付けて、梅若殿が国友の首を討ち落としました。それから、日頃の恨みを晴らそうと、国友の死骸を、散々に切り裂くのでした。
 この騒ぎに、目を醒ました侍達は、前後不覚の大騒ぎとなりましたが、やがて、兄弟は高手小手に捕らえられました。兄弟は都に連行されて、仇討ちの件が奏聞されたのでした。御門は大変ご立腹されて、
「明日の午(うま)の刻、六条河原で処刑せよ。」
と命じられ、処刑人を加藤兵衛に任じました。牢屋に入れられた兄弟の心の内は、哀れとも何とも、言い様がありません。
つづく

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠③

2015年03月24日 17時44分53秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
こざさ③

 さて、哀れなのは御台様です。兵庫の妻子が供をして黒渕に隠れて暮らしていましたが、
「いったい、正成殿はどうなされたか。」
と泣くばかりです。若君達が、
「そんなに、歎かないで下さい。」
と大人しく慰めますが、涙は止まりません。兵庫の女房は、これを見て、
「なんと、お優しい若君達でしょう。父上さえいらっしゃれば、こんな苦労はしないで済んだのでしょうが、今となっては、どうか若君達が、母上を労りお助け下さい。」
と言うのでした。
 ところが一方、国友は、郎等の兼光(かねみつ)に向かい、
「聞くところによると、正成の妻子が、落ち延びたとの事。そのまま置いておいては、後の災いとなりかねん。捜し出して、殺せ。」
と命じるのでした。こうして、国友は、正成妻子の取り締まりの触れを出すと共に、辻々に高札を立てさせたのでした。しかし、十日ほども経ちましたが、何の効果もありませんでした。
 その頃、兵庫の女房は、所用の為に長谷に出て来て、高札を見て驚きました。
「ええ、何々。正成の妻、子供、あるいは浪人の所在を知らせる者には、例え、盗賊であっても、その咎を許して、所領を与える。国友。判。何と、恨めしい。このことを、早く御台様にお知らせねば。」
と、兵庫の女房は、黒渕に飛んで帰りました。この知らせを受けた御台様は、
「それが、本当であるならば、もうどうしようもありません。私は、兄弟を刺し殺して、自害いたしましょう。」
と、決心するのでした。しかし、兵庫の女房は、
「いえいえ、それはなりません。私に考えがあります。我が子の竹若と乙若は、幸い若君達とは同年で、恐れながら見た目もそれほど悪くはありませんから、梅若様、桜若様と、言えば、敵を欺くことができるかもしれません。」
と言うと、兄弟の子を呼び、
「さあ、お前達に頼みたい事があるのです。どんな事でも頼まれてくれるか。」
と、言うのでした。兄弟達は、
「何を言っておられるのですか、母上様。私たちは、母様の子ですから、どんな言いつけにも背きはしません。」
と答えました。兵庫の女房は、
「そうか、そうか。それならば、よく聞きなさい。これから、お前達兄弟を、長谷へ連れて行き、これが梅若、これが桜若と言って、敵の目を欺き、若君達をお助け申し上げる。だから、お前達の命を、この母にくれよ。」
と、泣き崩れるのでした。兄弟は、重ねてこう言って母を励ますのでした。
「これは、何より持って、目出度い奉公ができます。母上様。主君の命に身代わりする者は、我々だけのことではありません。漢の孝明帝王が敗戦の時、その子、屠岸賈(トガンカ)太子を山に隠し置いて、家来の程嬰(テイエイ)が、我が子のキクワクの首を敵に見せ、その後、屠岸賈が再び世に出た話しは、日本にまでも聞こえています。(※参考:曾我物語:杵臼・程嬰が事)若年ながら、君の命に替わる事は、何より持って誉れです。さあ、早く連れて行って下さい。」
兄弟は、勇ましく立ち上がりました。母は、
「よくぞ言った。兄弟達よ。」
と涙を抑え、長谷を目指したのでした。兵庫の女房は、一先ず、兄弟を隠し置いて、一人で番所に行くと、こう言いました。
「高札を見て、ここへ参りました。御上にお取り次ぎ願います。」
番所の者が、国友に報告すると、国友は喜んで、兵庫の女房を御前に通しました。国友が、
「お前は、何者か。」
と問うと、女房は、
「私は、正成殿の郎等、下原兵庫の妻です。今まで、山里に潜んでおりましたが、我が身の行く末を大事に思って、御上にご注進に参りました。正成殿の御子兄弟に人々は、あの山陰にいらっしゃいますので、どうぞ捕まえて下さい。その恩賞には、私の命をお救い下さい。」
と、注進するのでした。国友はすぐに、兵を差し向けました。やがて、兄弟が連れてこられました。国友はこれを見て、
「よしよし。早く、首を討ち落とせ。」
と、命じました。兄弟の頭は、白昼に刎ね落とされたのでした。この人々の心の内は、哀れとも何とも、言い様もありません。
つづく

山椒太夫仕込みの日々

2015年03月17日 17時28分32秒 | 猿八座



稽古場に泊まり込んで、道具作りの日々です。新発田は、先週の雪も融け、すっかり春めきました。お彼岸を間近にして、墓参りの皆さんが稽古場を覗いて行きます。写真は墓参の方用の看板を立てる八郎兵衛師匠。占いで使う小道具と、御前の御簾。まだまだ、作らねばならないものが沢山。稽古場は、工事現場になっています。

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠②

2015年03月12日 16時16分48秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
こざさ②

 その後、国友は、急いで上洛すると、早速に御門に参内するのでした。国友は、
「某が、吉野の権現(金剛蔵王権現)に参詣の折、衣笠の少将正成は、栄耀の余りに大幕を打って、酒盛りをしておりました。我等は、それと知らずに通り過ぎましたが、理不尽にも言いがかり、打ち掛かって参りました。朝廷へご恩を知る者ならば、礼を尽くすべき所を、それどころか、敵呼ばわりする有様です。」
と、讒奏を並べ立てるのでした。御門は、大きに逆鱗されて、
「そういうことであれば、正成を急ぎ成敗いたせよ。」
と言って、愛宕郡(おたぎごおり:京都市北区・左京区辺り)の強者、三千騎を下されたのでした。国友の軍勢三千騎は、やがて、大和路へと向かったのです。
 この事は、すぐに長谷にも聞こえました。正成は、兵庫の介に向かって、
「光尚よ。此の度、国友は、御門に讒奏して、挙兵したとの知らせじゃ。奴ら三千余騎が押し寄せては、我等は無勢。どう考えても敵うまい。そこで、まだ幼い若達を、何処へなりとも落して、生き長らえさせよ。」
と、命ずるのでした。やがて、兵庫の介の妻子が付き添って、御台所と若君二人は、黒渕へと落ち延びることになりました。(奈良県五條市西吉野黒渕)
 さてその後、正成は、僅かの小勢で、寄せ来る敵を待ち受けました。やがて、三千余騎が犇めいて、正成の城郭を二重三重に取り囲んで、鬨の声を、どっととばかりに上げました。寄せ手より進み出た一騎の武者が、大音を上げて呼ばわります。
「ここに、攻め寄せた強者を誰だと思うか。二條の大納言国友なるぞ。御門の宣旨により、正成を成敗致す。さあ、じたばたせずに腹を切れ。」
正成は、これを聞いて、
「おお、国友。待っておったぞ。我等は、たった三百余騎。潔く、花を散らしてみせよう。
そこ、逃げるなよ。」
と言うなり、敵陣へと切り込んで行くのでした。哀れなるかな、正氏の軍勢は、ここを最期と暴れまくりましたが、所詮は多勢に無勢。やがて、悉く討たれました。正成は、最期の力を振り絞って、敵を四方に追い散らすと、
「最早、腹を切るぞ。」
と、自害なされたのでした。兵庫の介は、これを介錯し、再び敵陣に殴り込みましたが、とうとう力尽きて、やはり最期は自害をして果てました。
二人の首を持って国友は、意気揚々と都に戻りました。直ちに参内すると、御門より、
「正成の後、長谷を取らする。その上、和州の国司に任ずる。」
との宣旨が下されたのでした。こうして、国友は、長谷に赴任すると、新たに館を建て直して、目出度く国司の座に着いたのでした。

つづく

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠①

2015年03月10日 21時34分05秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
中国の前漢時代の人で、「劉向(りゅう きょう)」という人が書いた「列女伝」の中に(第5巻節義伝)「斉義継母」という話しがある。その話しというのは、兄弟の母が、どちらかの死を選ぶのに、実子の方の死を選ぶという話しである。紀元前の話しであるが、この話しをモチーフとした能が「正儀世守」(しょうぎせしゅ)であり、浄瑠璃にしたのが、大坂二郎兵衛正本の「小篠」(こざさ)である。
古浄瑠璃正本集第1(26)小篠:大坂二郎兵衛正本:とらや左兵衛板:正保年間頃と推定(1644年~1648年)

こざさ①

 冷泉天皇の時代(在位967年~969年)のことです。奈良の吉野郡、丹生(にゅう)、長谷(ながたに)(奈良県吉野郡下市町長谷)の主は、衣笠少将正成(きぬがさのしょうしょうまさしげ)と言う方でした。正成殿は、身内には厳しく、外に向かっては礼儀正しく、仁をもって国を治めましたから、領民から慕われておりました。正成殿には、子供が二人おりました。総領は、梅若十八才。次男は桜若、十二才。そして、臣下には、下原兵庫介光尚(しもはらひょうごのすけみつなお)という、文武二道の強者が控えます。
 ある時、正成は、兵庫の介に、
「光尚よ。吉野山の桜は、今が盛りと聞いた。早速、花見に行くぞ。支度をせよ。」
と、言うのでした。正成殿は、兄弟を伴い、多くの共を具し連れて、吉野山へ花見に出掛けました。山に着くと、大幕を張り巡らせて、大瓶の酒を並べて、飲めや歌えやの宴会が始まりました。
さて、酒宴も一段落すると、正成は、皆々に向かってこう言うのでした。
「さて、皆の者、良く聞けよ。私が、今、この様に栄華の身であるのは、全て我が君様のお陰である。この国にあって、我が君さまのご恩を忘れる様なことがあるのなら、万死に値する。人間というものは、今日は今日、明日は明日と思っているところがあるが、そうではないぞ。幼少の内から、道の正しい友を選び、悪い友は遠ざけよ。水は方円の器に随うというが、人の善悪は、友に依るという。このように心して、君の様な良き人を選ぶことこそ、肝要であるぞ。」
侍達は、尤もで有ると、感じ入るのでした。
 これは扨置き、二條大納言国友(にじょうのだいなごんくにとも)は、御門の宣旨によって、諸国の視察を行っていました。伊賀、伊勢、熊野と視察をしてきた國友の一行は、大和路へ出て来ました。すると、大幕を打って酒盛りをしているのに出くわしました。国友は、
「あれは、いったい誰だ。聞いて参れ。」
と命じました。使いの者が幕の辺に立ち寄って、尋ねますと、幕内の侍が、
「この所の主、衣笠少将正成殿の花見の宴です。」
と、答えました。使いが飛んで帰り報告しますと、国友は、
「なに、正成だと。御門の宣旨によっての諸国検見で、この国友が下向することを、知らないはずがない。ましてや、ここに来ることは、三日前に触れてあるのに、偉そうに酒盛りをしておるとは、御上を恐れぬ不届き者。踏み破って通るぞ。刃向かえば切って捨てよ。」
と、怒るのでした。国友の一行が、喚き叫んで進むと、驚いた正成が、
「いったい何者か。幕の前を断らずに通るとは、なんたる無礼。尋ねて参れ。」
と命じました。使いに立った侍は、
「これは、二條大納言国友の一行です。御門よりの宣旨により国廻りをしており、今、ここに御下向されたとのことです。言いがかりを付けるのなら、切って捨てると言っております。」
と報告しました。正成は、
「何、例え国友であろうが、なんたる雑言。討って捨てよ。」
と怒ると、大長刀の鞘を外して、追っかけました。
「お止まり有れ。」と、
正成の軍勢が、国友一行を取り囲みました。強がっていた国友でしたが、これは多勢に無勢であると判断し、下手に出ることにしました。
「これはこれは、正成殿がお遊びの所を、打ち通るとは、ご無礼をした。こちらの郎等の誤りである。お許し下され。」
と国友は、ぬるりと躱して通って行くのでした。これには、正成も手出しができませんでした。

つづく



新潟日報 猿八座を特集

2015年03月10日 08時16分42秒 | 猿八座
3月1日に論説編集委員の森沢真理氏が、稽古場を取材されました。どのような記事になるかと楽しみにしておりました所、3月9日の新潟日報モア(電子版)オピニオン「探る」で、今回取り組んでいる「山椒太夫全段通し狂言」を特集していただきました。大紙面を、ありがとうございました。高田世界館での公演(4月18日・19日)をご期待下さい。
http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/aruku/20150309167712.html
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猿八座 山椒太夫 公開稽古のご案内

2015年03月06日 16時35分59秒 | お知らせ
4月の高田世界館公演の案内チラシがまだできていません。もうしばらくお待ち下さい。その後、いろいろと検討した結果。公演内容は、次の様に落ち付きました。
 
 4月18日(土)は、続編の山椒太夫の公演を実施
          :山別れ・国分寺・出世・親子対面・成敗を、四段組みで

 4月19日(日)は、山椒太夫全六段の通し狂言を実施
         :信夫の里・直井の浦・山別れ・山椒太夫館・国分寺・出世・鳴子曳き・親子対面・成敗

公開稽古は、本番の一週前。4月12日(日)に心萃房で行います。続編は2時間、通しは4時間(休憩入れると5時間)はかかります。本当に、朝から晩までなので、お弁当でもおやつでも、お酒でも、ご持参下さい。