西多摩の9月は毎週お祭りが続きます。菅生正勝神社の例大祭も先週終わりましたが、今年は、組み立て舞台を建てる年ではないため、奉納歌舞伎はありません。組み立て舞台は隔年ごとに組み立てられます。(東京都有形民俗文化財)組み立て舞台が無い年には、東海大付属菅生高校の入り口にある、旧庄屋、野口邸を舞台として菅生歌舞伎が演じられます。今年の開催は、10月9日 11:00 開始予定です。雨天順延で翌日10日開催となります。今年の演目は、青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)浜松屋店見世先の場と稲瀬川勢揃いの場、それから、おなじみの水戸黄門漫遊記の3本立てです。
いわゆる、白波五人男の話ですが、今年は稽古にかかるのが遅かったため、まだできあがっていません。いったいどうなることやら・・・これから、連日連夜の稽古が続きます。
残念ながら、義太夫狂言ではありませんので、私はおとなしく下座方を勤めます。
ロシア語は読めませんが、サハリンの新聞に載った記事のアドレスが届きましたのでお知らせします。プレゼンテーションの様子です。http://www.tia-ostrova.ru/?div=news&id=219901 御覧下さい。
甚目寺があるのは、現在「あま市」である。道すがら「晴明塚」という道標を目にしたので、松田さんに尋ねてみると、やはり、安倍晴明の塚であるという。さっそく尋ねてみた。謂われは、「晴明が祈祷して繁茂していた雑草を取り払い農民を助けた。」という話である。
また、座員の話のうちに、篠田小学校で「葛の葉」を演じたという話があり、おや?と思って調べて見ると、甚目寺の隣に篠田という町があり、なんと、「葛の葉稲荷社」が祀られていることが分かった。和泉の信太から勧請されたとの伝承がある。残念ながら、台風15号が接近しており、ここを尋ねることはできなかったが、説経が伝承されたこの土地はなるほど、説経にふさわしい土地であるということがよく分かった。
甚目寺の源氏説経節もくもく座が甚目寺小学校で公演するというので、あつかましくも観劇させていただく。演目は「小栗判官照手姫 貞女鑑実道記 本陣入り小萩説話の段」、薩摩派の「小栗判官一代記 二度対面の段」の冒頭部分、萬屋長右衛門のチャリ場といわれる部分を約30分に拡大して1段を構成しているといった風情である。小萩(照手)と長右衛門の細かい遣り取りが分かり易く、かつ面白く作られている。(大人の笑い)語りは大変繊細で柔らかく情感を込めている。三味線は、二上がりなので、どことなく薩摩と似たような指遣いも感じるが、成る程「新内」らしい手が使われている。人形自体は全体で60㎝ほどと小さいが、基本的にはこれを三人で遣い、非常に細かい所作を実現しており、都会的に洗練された動きがあるように思われた。驚いたのは、三人遣いにこだわらす、場面の必要に応じて、一人で遣ったり、また、いきなり手がにゅうっと出てきて複数で操ったりと、さまざまな工夫を凝らして演出している点である。また、蹴込みの幕2間は、台に取り付けられているので、その上に、演出上の小道具を並べることができ、人形を座らせておくこともできるようになっている。つまり、源氏の人形は、置き去りから3人遣いまで、めまぐるしく操りを変化させて、様々な演出を凝らすことができるようになっている。さらに、奥の御殿は回転襖と幕になっており、回すことや引き抜くことでスピーディーな場面展開を実現していた。感心したことは、もくもく座のだれでもが操り、だれでもが語り、だれでもが三味線を弾くことができるという話である。この貴重な人形操りも、一度は途絶え、20年ほど前に代表の松田さんたちの手によって再興させたというから、薩摩派の歴史とも似通っており、心から応援したいものだと思った。
甚目寺に伝承された「源氏節」とはどんな説経なのか、名古屋に来たついでに、甚目寺を訪ねた。あま市甚目寺歴史民俗資料館では、源氏説経節の古い正本や残された頭を閲覧させていただいた。演目としては、小栗、三荘太夫をはじめ薩摩と共通する演目が多いが、知らないものもあった。源氏説教の太夫は「岡本某」を名乗るが、大変興味深かったことは、「説教」ではなくて、どれも「説経」とあり、しかも、「説経祭文」と書かれていることである。よくよく聞いてみると、創始者の岡本美根太夫は江戸生まれで、新内を使って説経祭文を語ったのが始まりというから、薩摩派の創始とかなり似通っていることを始めて知った。源氏節は関西系の古い説経を残しているのかと思いこんでいたが、間違いであった。また、源氏を名乗ったのは、名古屋で人気のあった平家琵琶に対抗してのことであるというから、どこぞの薩摩と若松を思い起こさせ、思わず失笑してしまった。写真はもくもく座の代表松田史子さん。
8月18日(日)愛知県豊田市中金にある岩倉神社農村舞台にて、越佐猿八座による「信太妻第三子別れ」が演じられました。演じた内容は、サハリンと同様ですが、操りは4人という最小部隊、太夫の私と、三味線の惹と合計6名で参加しました。この日は天気に恵まれましたが、大変に蒸し暑く、蚊の大群に悩まされました。人形を一体忘れるというアクシデントもありましたが、あり合わせの材料で、たちまち人形を作ってしまうという八郎兵衛師匠の神業も発揮され、さすがは、歴史ある農村舞台です。ホールでやるのとは違って、語りにも降りてくるものがありました。久しぶりに憑いた語りが小気味よかったです。お世話になった八木議員様はじめ、舞台監督の岡田様、豊田市文化財団に皆様には深く感謝申しあげます。
現地では、16日まで引き続き、サハリン国際人形劇祭が開催されていますが、日本チーム猿八座は、公演日程のすべてを終えて帰国しました。サハリン滞在中は様々ご心配をおかけいたしましたことに御礼申し上げます。行きの航空便もやきもきでしたが、帰りのサハリン航空も6時間の遅延でした。なにはともあれ、病気も怪我も無く帰国できてなによりでした。ご声援ありがとうございました。
サハリン国際人形劇祭に日本チームの様子がアップされています。
フェスティバル日記(こちらに、毎日行われたことが順次アップされています)
http://molute.ru/post/58
ホームページのトップ(サハリン人形劇場)
http://molute.ru/
あっという間に9月になってしましました。9月も忙しい月ですが、バイオリズムは低下気味なので身体がもつか少し心配です。さて、サハリン公演のホームページに猿八座の記事が掲載されています。http://molute.ru/perfomance/130が、ロシア語で読めません。写真だけでも見てあげてください。この年になると、「海外に行けて嬉しい」とは思いませんね・・・サハリンはもう寒いそうです。風邪ひかないようにしないとと、冬物を汗だくで用意しています。