むらまつ(6)終
中納言は、蔵人に、
「急いで、武井の所へ行き、二位の中納言が下向して来ると伝え、馬と輿を用意する様に言え。又、御前の着物を用意するようにと言い添えよ。」
と命じました。早速に蔵人は武井の館に飛んで行きました。武井は、大変驚いて、
「ははあ。中納言様の御下向は、何より目出度いこと。」
と平伏すると、馬、輿、着物を用意して、迎えに向かわせました。今や遅しと、待っていますと、御装束も華やかに中納言は、馬に乗り、御前親子は、御輿にのって、武井の館に到着しました。迎えに出た、武井夫婦は、
「これまでの御下向。お目出度う御座います。」
と畏まるばかりです。女房が、御輿の前に進み、水引を上げますと、御輿から出てきたのは、なんと、あの上﨟です。その後に付いて出てきたのは、草刈り姿のままの一若でした。女房は、呆れ果てて頭を、地に付け、赤面する外はありませんでした。武井もこれを見ると驚いて、物も言わずに平身低頭するばかりです。中納言はこの様子をご覧になり
「さて、武井殿。嬉しいことに、よくぞこの親子を買い取り置いてくれたな。お前が、買い取ってくれたお陰で、再びこのように、巡り逢うことができたぞ。情け容赦も無くこき使った事は、憎いことだが、まあしかし、そのことは目をつぶろう。」
と、機嫌良く言うのでした。夫婦の者は、ほっと息をつき、
「有り難いお言葉。有り難う御座います。事の経緯は、すべて姫御前がご存知です。」
と言うと、その時、姫御前は、武井夫婦をかばって、次の様に話しました。
「お殿様。夫婦の方々は、私が主人であるかのよう、情けを掛けて尽くしてくれました。どちらも、悪くはありません。このような事になったのは、小笹という下女が、御台様に讒言をしたからです。」
中納言は、これを聞くと、
「それでは、小笹を連れて来い。」
と、命じました。小笹は高手後手に縛められて、中納言の前に引き据えられました。中納言は小笹を見ると、
「舌三寸を使って、五尺の身体を害したな。今こそ、思い知らせてやろう。女の舌を抜け。」
と命じました。小笹は、罫引きの端で舌を抜かれ、口を引き裂かれ、指を切り落とされて、嬲り殺しにされました。それから、能登の太夫が呼び出されました。中納言は、
「幼き者や御前を、よくも情けも無く叩いたな。太夫の二十の指を切り落として、追放せよ。」
と命じました。指を切り落とされた能登の太夫の姿を見て、笑わぬ人はありませんでした。
姫御前や一若殿は、昨日までの田草取りとは一変して、華やかな風情です。この三年の間、世話になったり、仲良くなった人々を呼んで、お礼の金銀をお渡しなりました。やがて、都より共の軍勢五百余騎が到着すると、人々は辛い思いをした武井館を離れて、都へと旅立ったのです。日数も積もって、大津の浦につくと、母子を売り飛ばした長太夫婦を捕まえて、首を討ち落として、晒し首としました。
さて、都へ着くと、父の大納言も母上様も大喜びです。中納言は、直ちに参内しました。御門もお喜びになり、除目(じもく)の儀式を行いました。中納言は大納言となり、一若殿は、少将に任命されたのです。更に、大納言は、滅ぼされた村松の敵討ちを奏聞しました。これに対して、御門は、尤もであると、重ねて、武蔵の守を賜わりました。
大納言は、有り難やと、一千余騎の軍勢を揃えて武蔵国に向かいました。武蔵国でさらに軍勢を増やすこと三千余騎。曾我館を四方より取り囲みました。曾我は、これを見るより降参し、腹十文字に掻き切って自害しました。村松殿の供養の為と、その首を刎ねて晒し首とするのでした。それから、主人を裏切った馬屋の忠太を捕まえると、腰より下を地面に埋め、鋸で首を挽かせ、人々の見せしめとしました。一方、母子が落ちるのを助けた金八には、一万町歩の土地を褒美として与えたのでした。有り難い事です。その後、大納言殿は、村松館のその跡に、お城を建てました。小高い所に、塔を建て、川に橋を架け、沢山の僧を集めて武井夫婦の供養を行ったということです。実に頼もしい事だと、感心しない人はありませんでした。ご一家は、ますます御繁栄なされて、富貴の家になったということです。
おわり