猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

長野市松代町仏教会 おはなまつり

2015年04月30日 11時24分57秒 | 公演記録
 花まつりと言えば、4月8日でしょうが、この松代町のように、地域ぐるみで仏様の誕生日を祝うとなれば、休日に当てて盛大に行うというのも納得できます。地元小学生のマーチングバンドの先導で、御稚児行列に曳かれた御釈迦様が、街中を練り歩くというのは、珍しいなあと、感心しました。



猿八座は、午後のアトラクションで、山椒太夫鳴子曳きを演じてきました。上越からの応援団の皆さん、ありがとうございました。

説経 角田川 梅若塚 初演

2015年04月30日 10時54分36秒 | 公演記録
 新潟、春の恒例となってきた「AMJ」(アートミックスジャパン)は、年々盛大になっています。今年の観客動員数は、これまでで最高だったのではないでしょうか。能楽堂が満員でした。猿八座としては、毎年、新作をここで披露したいとがんばっているわけですが、今年は、説経角田川、母道行きから梅若塚をご覧いただきました。
 角田川の詳細は、「忘れ去られた物語シリーズ 18 角田川」でご覧下さい。

①お家騒動があって、落ち延びる梅若でしたが、山中で迷子となり、やがて人買いにさらわれてしまうのでした。母は、京洛中を捜し廻りますが、見つかりません。ある客僧に尋ねてみると、人買いが子供を連れて、東路を下って行ったと言うのでした。


②母は、狂女の姿となって、江戸に向かって下ります。(道行き)

③隅田川の渡し船に乗りますと、対岸の塚の廻りに、人々が集まって、念仏を唱えているのでした。

④その大念仏は、我が子梅若の供養であると聞いた母は、絶望しますが、やがて、自らも念仏を唱えて、逆縁ながら我が子を供養するのでした。

⑤その時、梅若の亡霊が、「おかあさん、おかあさん」と現れます。母は、必死に抱きつこうとしますが、叶いません。

そうこうしている内に、とうとう、夜が明けてしまうのでした。

善光寺 御開帳 参拝

2015年04月28日 15時05分16秒 | 調査・研究・紀行
阿弥陀胸割を演じて以来、一光三尊像を拝んで毎日、阿弥陀経を唱えて来ましたので、長時間並んでも、前立本尊を拝めたので、大変有り難い次第です。回向柱に結ばれた善の綱は、前立本尊に繋がってますから、この柱に触れることで、本尊に触れたことになるわけです。源氏烏帽子折の卒塔婆というのは、こういう回向柱のことなのかと、妙に納得。ありがたや、ありがたや。

御礼 高田世界館公演 山椒太夫全段完結

2015年04月20日 18時51分19秒 | 公演記録
三回目の高田世界館公演を、盛況の内に終えることができました。長時間の公演にお付き合いいただき誠にありがとうございました。「今年も楽しみにしてました。又、来年も来ます。」と言っていただける事が、何よりの励みになります。
今年、新たに制作した、新しい場面
①国分寺の段:大誓文

山別れの段で、落ち延びた厨子王は、国分寺に逃げ込みます。やがて、山椒太夫親子が追いかけて来て、厨子王を捜し回ります。お聖は、知らぬ存ぜぬでしたが、嘘では無いという誓文を立ててるように要求されてしまいます。やむなく、お聖は大誓文を行いますが、よくよく見ますと、不動明王を逆さに懸けて、妄語戒を逃れます。厨子王は、地蔵菩薩の功力によって助かりますが、不動明王の罰として違例を受けてしまいます。
②出世の段:天王寺

厨子王は、お聖の背に負われて、京都朱雀権現堂へ、そこから、土車に乗せられて。大阪四天王寺まで運ばれます。石の鳥居に取り付いて、本復を果たします。
③出世の段:百人の稚児

四天王寺の稚児として拾われた厨子王は、やがて右大臣梅津院の目に留まって、養子に迎えられるのでした。
④出世の段:本領安堵

梅津の院と共に参内した厨子王は、辱めを受けますが、御門の叡覧によって、本領安堵を受けるのでした。
⑤出世の段:天文の博士

出世を果たした厨子王は、天文の博士に母の行方を占わせ、佐渡島へと救出に向かうのでした。
⑥成敗の段:国司入府

父母を取り戻した厨子王丸は、丹後の国司として、由良に戻り、山椒太夫を呼び出します。
⑦成敗の段:竹鋸の刑

山椒太夫に、厨子王が下した刑は、息子三郎の手による竹鋸挽きでした。やがて、三郎も人々の手によって処刑されるのでした。しかし、恩情のあった一郎、次郎は赦されるのでした。

上越教育大川村知行先生始め、高田世界館公演実行委員会の皆々様、大変ありがとうございました。来年は更に良い舞台にしていきたいと思います。