燈台鬼⑤
はっと、気が付いた若君は、まるで夢が覚めた様な気分でした。夢のお告げに、全ての事が告知されたことを有り難く思い、夜明けと共に朽ち木の元を後にしたのでした。やがて、恋坊は、南海国に辿り着きました。南海国の王宮は、東西南北四十町(4Km四方)に白銀の築地を築き、黄金の門を建てる豪華さです。その中を見てみると、金銀珠玉を磨き立てて、玉の簾を掛け、瓔珞(ようらく)の宝石が光り輝いています。金幣が軒から鈴生りに下がって、風に揺れて、鳴り響いているのです。恋坊は、門の衛士に向かって案内を乞いました。
「仏という有り難い物を売りに来ました。」
しかし、門番には、言葉が通じませんでしたので、やがて、通訳がやってきて、王様へと取り次ぎをしたのでした。南海国の王様は、これを聞くと、
「麿は、大国の主であるが、仏というものは、未だに聞いたことが無い。どのような物であろうか。その商人を連れて参れ。」
と命じました。こうして、恋坊は、南海国王の前に、出る機会を得ました。恋坊が黄金の阿弥陀仏を差し上げると、人々は、紫磨黄金の慈しい御影に心を奪われました。その上、眉間の白毫から、七百倶胝(ぐてい)六百万の強烈な光(往生要集)が十方世界を照らしたので、その場に居た人々は、はっとばかりに拝む外はありません。王様は余りの尊さに、壇の上に紅紗(こうさ)を敷かせて、この仏を安置し、礼拝すると、こう言いました。
「この世の一生は、限り有り、夢、幻の如し。しかし、後世は永遠の住み処である。早く、菩提を願いなさいと、夢に見たのは、この仏の事であろう。さあ、金に糸目を付けずに、買い取れよ。」
この宣旨に、恋坊が、仏の代金は、父と引き替えで有る事を言おうとした時の事です。顔面の皮を剥がされ、髪の毛は天に向かって生い立ち、額に燈台を打ち付けられて、火を灯した男が、まるで鬼のように現れたのでした。まだ子供の恋坊は、我が父とは、夢にも思わず、余りの恐ろしさに、飛び上がって逃げました。
恋子は、この仏をご覧になると
「おお、我が形見の持仏が、どうして、売り買いされる仏となったのか。」
と口惜しがって、唯々、睨みつけるばかりです。恋坊は、恐る恐る、
「この人は、何者ですか。」
と尋ねると、王様は、
「おお、怖がるのは尤もである。この者は、西上国から攻めてきた大将で、恋子と言う者であるが、何時までも、恭順しないので、顔の皮を剥いで、燈台を打ち付けて、燭鬼(しょくき)と名付けたのじゃ。」
と、話すのでした。恋坊は、これを聞くなり吃驚し、腰をぬかして、しおしおとなり、
「ええ、この方が、父上さまでありましたか。なんという恐ろしいお姿でしょうか。ああ、情け無い。」
と、名乗りたい気持ちでいっぱいでしたが、気を取り直しました。敵の前では、身分を明かす事も出来ないので、さあらぬ体を装って、
「その燭鬼とやらは、大変罪深い者です。この御仏は、慈悲第一の仏でありますから、一切衆生が罪に陥ることを悲しんで、この末世に、六字の名号「南無阿弥陀仏」を唱える人を、必ず往生させてくれるのです。只、念仏を唱えれば良いのです。臨終の時には、必ず迎えに来る、そうできないなら、正覚を遂げたことにはならないとお誓いをなされたのです。諸仏は皆、このように誓願をされていらっしゃいます。念仏の親、諸仏菩薩は、この慈悲の心をもって、あらゆる願いを成就されるのです。
さて、この燈台鬼を見ます所、まるで無間阿鼻地獄そのものです。しかし、阿弥陀仏の御誓願とは、百三十六種の地獄にも、諸共に落ちられます。六道能化の地蔵菩薩は、衆生の国に現れて、罪の炎に身を焦がし、罪人をも救うのです。「南無阿弥陀仏」と唱えるのなら、極楽往生に、何の疑いがあるものか。まして、この燈台鬼は、只、王命に従って、この国に攻めては来たが、それが私事の咎では無い。どうか、この燈台鬼をお許しになる御慈悲の心で、南海国の人々と共に、極楽往生の宝を手に入れなさい。」
と、説法をしたのでした。王様も臣も諸共に、これこそ、富楼那(ふるな)の弁舌、目連の神通力だと、喜びの涙を流されるのでした。しばらくあって、王様は、
「さても、大変優しい心であることかな。只許して、燈台を外させよ。」
と命じました。やがて、恋子の額に、十五年もの間、取り付けられていた燈台が取り外されました。そして、物を言える様になる薬を飲まされたのでした。牢番に、
「さあ、恋子よ。仏様が助けてくれたぞ。早く出ろ。」
と言われた恋子は、突然のことで、俄に現実とも思えず、唯々、呆れ果てているばかでした。その恋子の心の内の哀れさは、何にも喩えようがありません。
つづく