猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

第3回てぃーだかんかん小劇場 角田川・耳なし芳一 

2015年08月31日 11時48分47秒 | お知らせ
いよいよ、9月。琉球カフェ てぃーだかんかん(豊田市)での公演が近付いて来ました。
今年のてぃーだかんかん小劇場は9月12日です。詳細は

http://blogs.yahoo.co.jp/cafe_teida

をご覧下さい。

又、今年は、もうひとつ公演させていただく事になりました。

9月13日は同じく豊田市の顕正寺で、同じ演目です。

http://kenshouji.web.fc2.com/

をご覧下さい。

さて、新作「耳なし芳一」は、鋭意制作中です。


新たな語り物 まゆんがなし 八重山の来訪神

2015年08月31日 11時04分24秒 | お知らせ
 八重山諸島の石垣島川平(かびら)に伝わる節祭(しちまつり)にはマユンガナシという神(精霊)が登場する。「マユ」とは「真の世」のことであり、「ガナシ」は敬称で、あわせて「真世の尊いお方」という意味になるそうだ。大それた事に、この聞いたことも無い神を演じる事になった。



というのも、
姜信子氏から、物語に節をつけて語ってもらえないかと依頼されたからなのだ。このところ、小泉八雲など、浄瑠璃以外の節付けを試みてはきたが、さすがに、この依頼には驚いた。いったいどいうことになるのだろうか・・・  

 姜信子氏の新刊「はじまりはじまりはじまりはじまり」が、羽鳥書店から出版される。その記念イベントのお知らせが、下のチラシ。出演するイベントは、9月9日の橙書店(熊本)と9月22日ふげん社(築地)で、このイベントでの、私の役目は、その最後の物語「まゆんがなし」のはじまりの物語を語る事なのである。


忘れ去られた物語たち 38 古浄瑠璃 とうだいき⑥(終)

2015年08月17日 16時16分09秒 | お知らせ
燈台鬼⑥(終)

 15年ぶりに燈台を外され、物を言える薬を飲まされた恋子は、夢から覚めた様な気持ちです。何もかもが信じられないという面持ちで、御前に引き出されました。やがて、恋子は、仏を売りに来た商人に向かって尋ねました。
「私は、その昔、西上国より大将として遠征した恋子という者であるが、戦に敗れた為、顔の皮を剥がされ、昼夜を問わず、火を灯され続けた。物を言えぬ薬を飲まされたが、心の内にて弥陀の名号を唱え続けた験によって、このように御助けを被ることとなった。それにしても、その御仏は、私の仏であるに間違い無い。この仏は、私が出陣の時に、形見として妻に渡した物だ。あなたは、どうして、これを持っているのです。」
これを聞いた恋坊は、恋子の袂に縋り付いて
「ご存知無いのも当然ですが、私は、胎内にて捨てられた、あなたの子供です。父上を探して、これまで参りました。ああ、なんという有りがたさでしょうか。」
と泣くばかりです。恋子は、夢とも現とも弁えず、親子共々抱き合って嬉し泣きに暮れました。しかし恋子は、力無く
「さても遠路を遙々と、ようやくに尋ね来たことは大変にご苦労なことであったが、このような姿では、もう故国に帰ることなどできない。顔の皮を剥がされて、餓鬼道に落ちたも同然。玄冬素雪の寒さに重ねる衣も無く、寒地獄に落ち、九夏三伏の暑さには、額の灯火が灼熱地獄となり、修羅畜生と同然なのだからな。お前は、名を何と言うのか。」
と言うのでした。しかし恋坊は、
「私は、恋坊と申します。古里で母がお持ちです。そんな事を言わないで早く西上国に帰りましょう。父上様。」
と、励ますのでした。これを聞いた臣下大臣は、この親子のことを王様に奏聞したのでした。王様は、
「おお、まだ見もせぬ父を恋しく思って、遙々と尋ね来る志しは、きっと仏の化身であるに違い無い。麻呂には、世継ぎの王子がないから、恋坊をわしの世継ぎとせよ。」
との宣旨です。恋坊は畏まって、
「その宣旨に背くのではありませんが、古里では、母が今や遅しとお待ちです。父上を無事に西上国に送り帰してから、宣旨に従いたく思います。どうか、西上国に戻ることをお許し下さい。」
と言うと、恋坊は虚空に向かって手を合わせ始めました。
「南無阿弥陀仏。弥陀如来。今一度、父を元の姿に戻して下さい。」
と、肝胆砕いて念仏し、祈願したので、仏力が顕現して、恋子は、元の姿に戻ったのでした。

 それから、恋坊と恋子は早速に、西上国に帰りました。西上国の王は、
「このような事は、金輪際無いような奇蹟だ。」
と驚いて、法皇に退くと、恋子を国王にしたのでした。さて、その後、恋坊は南海国に戻って、目出度く国王になったのでした。その昔、西上国と南海国は、仲が悪い間柄で、戦争ばかりしていましたが、今は、親子がそれぞれの国王となったので、どちらの国も平和で豊かな国として、末永く栄えたということです。貴賤上下の人を問わず、だれでも感心しない人はいなかったということです。
おわり


慶安三年正月吉祥日
西洞院通長者町草紙屋長兵衛

忘れ去られた物語たち 38 古浄瑠璃 とうだいき⑤

2015年08月16日 21時25分48秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
燈台鬼⑤

 はっと、気が付いた若君は、まるで夢が覚めた様な気分でした。夢のお告げに、全ての事が告知されたことを有り難く思い、夜明けと共に朽ち木の元を後にしたのでした。やがて、恋坊は、南海国に辿り着きました。南海国の王宮は、東西南北四十町(4Km四方)に白銀の築地を築き、黄金の門を建てる豪華さです。その中を見てみると、金銀珠玉を磨き立てて、玉の簾を掛け、瓔珞(ようらく)の宝石が光り輝いています。金幣が軒から鈴生りに下がって、風に揺れて、鳴り響いているのです。恋坊は、門の衛士に向かって案内を乞いました。
「仏という有り難い物を売りに来ました。」
しかし、門番には、言葉が通じませんでしたので、やがて、通訳がやってきて、王様へと取り次ぎをしたのでした。南海国の王様は、これを聞くと、
「麿は、大国の主であるが、仏というものは、未だに聞いたことが無い。どのような物であろうか。その商人を連れて参れ。」
と命じました。こうして、恋坊は、南海国王の前に、出る機会を得ました。恋坊が黄金の阿弥陀仏を差し上げると、人々は、紫磨黄金の慈しい御影に心を奪われました。その上、眉間の白毫から、七百倶胝(ぐてい)六百万の強烈な光(往生要集)が十方世界を照らしたので、その場に居た人々は、はっとばかりに拝む外はありません。王様は余りの尊さに、壇の上に紅紗(こうさ)を敷かせて、この仏を安置し、礼拝すると、こう言いました。
「この世の一生は、限り有り、夢、幻の如し。しかし、後世は永遠の住み処である。早く、菩提を願いなさいと、夢に見たのは、この仏の事であろう。さあ、金に糸目を付けずに、買い取れよ。」
この宣旨に、恋坊が、仏の代金は、父と引き替えで有る事を言おうとした時の事です。顔面の皮を剥がされ、髪の毛は天に向かって生い立ち、額に燈台を打ち付けられて、火を灯した男が、まるで鬼のように現れたのでした。まだ子供の恋坊は、我が父とは、夢にも思わず、余りの恐ろしさに、飛び上がって逃げました。
恋子は、この仏をご覧になると
「おお、我が形見の持仏が、どうして、売り買いされる仏となったのか。」
と口惜しがって、唯々、睨みつけるばかりです。恋坊は、恐る恐る、
「この人は、何者ですか。」
と尋ねると、王様は、
「おお、怖がるのは尤もである。この者は、西上国から攻めてきた大将で、恋子と言う者であるが、何時までも、恭順しないので、顔の皮を剥いで、燈台を打ち付けて、燭鬼(しょくき)と名付けたのじゃ。」
と、話すのでした。恋坊は、これを聞くなり吃驚し、腰をぬかして、しおしおとなり、
「ええ、この方が、父上さまでありましたか。なんという恐ろしいお姿でしょうか。ああ、情け無い。」
と、名乗りたい気持ちでいっぱいでしたが、気を取り直しました。敵の前では、身分を明かす事も出来ないので、さあらぬ体を装って、
「その燭鬼とやらは、大変罪深い者です。この御仏は、慈悲第一の仏でありますから、一切衆生が罪に陥ることを悲しんで、この末世に、六字の名号「南無阿弥陀仏」を唱える人を、必ず往生させてくれるのです。只、念仏を唱えれば良いのです。臨終の時には、必ず迎えに来る、そうできないなら、正覚を遂げたことにはならないとお誓いをなされたのです。諸仏は皆、このように誓願をされていらっしゃいます。念仏の親、諸仏菩薩は、この慈悲の心をもって、あらゆる願いを成就されるのです。
 さて、この燈台鬼を見ます所、まるで無間阿鼻地獄そのものです。しかし、阿弥陀仏の御誓願とは、百三十六種の地獄にも、諸共に落ちられます。六道能化の地蔵菩薩は、衆生の国に現れて、罪の炎に身を焦がし、罪人をも救うのです。「南無阿弥陀仏」と唱えるのなら、極楽往生に、何の疑いがあるものか。まして、この燈台鬼は、只、王命に従って、この国に攻めては来たが、それが私事の咎では無い。どうか、この燈台鬼をお許しになる御慈悲の心で、南海国の人々と共に、極楽往生の宝を手に入れなさい。」
と、説法をしたのでした。王様も臣も諸共に、これこそ、富楼那(ふるな)の弁舌、目連の神通力だと、喜びの涙を流されるのでした。しばらくあって、王様は、
「さても、大変優しい心であることかな。只許して、燈台を外させよ。」
と命じました。やがて、恋子の額に、十五年もの間、取り付けられていた燈台が取り外されました。そして、物を言える様になる薬を飲まされたのでした。牢番に、
「さあ、恋子よ。仏様が助けてくれたぞ。早く出ろ。」
と言われた恋子は、突然のことで、俄に現実とも思えず、唯々、呆れ果てているばかでした。その恋子の心の内の哀れさは、何にも喩えようがありません。

つづく

忘れ去られた物語たち 38 古浄瑠璃 とうだいき④

2015年08月16日 18時06分52秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
燈台鬼④

 「恋しい人を尋ね、必ずお迎え致します。」という恋坊の言葉に負けて、母上は、とうとう父の捜索をゆるしました。恋坊は、喜び勇んで、高さ三寸の黄金阿弥陀を肌の守りに入れるのでした。その時、母上は、恋坊に、
「この仏様というのは、四十八願を持つ阿弥陀様です。念仏を唱える人あれば、常に二十五菩薩が現れて、お守り下さるはずです。道中に難儀がある時は、南無阿弥陀仏を唱えなさい。必ず阿弥陀様がお守り下さいます。」
と、切々と阿弥陀の教えを説くのでした。いよいよ、恋坊が門の表に出た時、門送りに立った母上は、また涙ながらに、口説くのでした。
「恋坊よ、よくお聞きなさい。もし、父に逢えたとしても、逢えなかったとしても、できるだけ早く戻ってくるのですよ。南海国に長居をして、母を悲しませないでおくれ。夫に離れて寄りこの方、頼る者は、お前しか居ないのに、そのお前とも、今が別れなのですよ。なんと心細いことでしょう。遥か遠い、南海国。いつ逢えるとも分からないというのに、父を探しに行くお前が、恨めしい。」
 さて、いよいよ恋坊は、南海国に向けて旅立ちました。なにしろ、初めの道のことですから、朝夕のお勤めで、
「南無や、霊鷲山(りょうじゅせん)の釈迦如来。無量寿の阿弥陀様。哀憫納受たれ給え。」
と、祈るのでした。その祈りが通じたのでしょう、月日の光が、常に道を明らかに導き、虎狼野干も共をしてくれる有りがたさです。峨々たる山に登る時も、深い森を行く時も、灯火が導き、滔々たる大河を渡る時には、竹の橋が現れたり、舟や筏が用意されているので、難なく進むことができたのでした。
西上国を出た時は、山脈に雪が降り積む冬でしたが、いつの間にか、若葉の繁る景色となっています。このままでは、道中で一年が経ってしまうのではないかと、心細さがつのります。谷の小川が雪解け水を流し、古巣を離れる鶯の初音が心に響くので、思い出すのは、遠い古里のことばかりです。家の垣根の梅の花が美しい如月頃です。霞みに見え隠れする雁達は、何処へ帰るのだろうかと、羨ましくなり、何時かは、自分も、古里へ帰るぞと、母を懐かしく思い出すのでした。やがて、岸には、山吹や岩躑躅(つつじ)が咲きました。深山に隠れている遅咲きの桜は、残雪かと、目が疑われます。松の木に懸かる藤の花や、草に紛れて咲く卯の花や橘に五月雨が降りかかり、昔ながらのホトトギスが鳴いています。やがて、牡丹、菖蒲、杜若、菫が咲き、晴れ上がった空の下で、朝露に濡れている夏になったのでした。やがて、すっかり辺りは秋の気配となりました。女郎花、桔梗、刈萱、ワレモコウ、紫苑、竜胆(りんどう)、萩の花。鈴虫、松虫、轡虫。枕の下には、蟋蟀。その声々も段々に枯れ枯れて、まるで浮き世を悲しむ声のように聞こえます。とうとう、冬がやってきました。来る日も来る日も、嵐、木枯らし、山颪が吹き荒れます。降り積もる雪に、身も凍え、どうにもなりません。せめて行き来の人でもあれば、古里に言伝をしようとは思いつつ、やがて手足は雪焼け(凍傷)となり、疲れ果て、とある朽ち木の根元に倒れ伏しました。意識が遠退く中で、恋坊は、
「母が止めるのを振り切ってここまで来て、父にも逢われず、親不孝のままで、道端で野垂れ死ぬとは、何よりもって口惜しい。母上は、こんな所で私が死んだとも知らずに、何年も待ち続けるのだろうなあ。なんとも申し訳も無い事になった。ああ、頼るのは只、弥陀の名号のみ。父がこの世にあるならば、巡り逢わせて下さい。もしもう、お亡くなりならば、ひとつ蓮の蓮台に乗せて下さい。南無阿弥陀仏。」
とひたすらに、西に向かって、十遍繰り返して唱えましたが、段々に意識が遠退き、やがて息が絶えてしまったのでした。
 どれだけの時間が経ったのでしょうか。一人の僧が、恋坊の枕元に立っています。僧は、
「お前は、大変に親孝行である。」
と、微笑むと、香ばしい薬を、口の中に入れたのでした。すると、恋坊の意識が戻り、目を開きました。その時、僧は、
「我を誰と思うか。お前が肌身離さず信心する阿弥陀仏であるぞ。お前の父は、未だ生きておる。私の神通力によって逢わせようと思うが、お前の父は南海国の王宮の中に居り、そう簡単には入ることができない。そこで、策を授ける。王宮で『仏売ります。』と言って廻るのだ。この国には、まだ仏を知らない国である。何処から来たのかと聞かれたら、『西方浄土にある極楽という巨大な世界から来た者だ』と答え、『この仏を信じ、一声、名号を唱えれば八十億刧の罪を滅ぼし、後世の願いが叶い、往生できるのだから、値切らないで買いなさい』と説きなさい。そうして、王宮に入ったなら、父と交換するように交渉しなさい。この仏が、例え敵王に渡ったとしても、お前の身から離れることは絶対に無いから安心しなさい。」
と告げると、消え去りました。

つづく

忘れ去られた物語たち 38 古浄瑠璃 とうだいき③

2015年08月14日 15時00分56秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
燈台鬼③

 一方、西上国で帰りを待つ御台様は、西上軍が全滅して、恋子が捕らえられたことも知らないまま、玉の様な男子をご出産なされました。父の名を取って、「恋坊」(れんぼう)と名付けました。御台様は、大変に喜んで、御乳や乳母を付けて、大事に養育なされたのでした。そうしている内に、あっという間に三年の月日が流れました。しかし、恋子からの連絡はありません。若君に、寂しさを紛らわして、夫の帰りを、ひたすら待ち続ける毎日です。更に月日は重なり、若君は十三歳となりました。ある時、若君は、
「母上様。人間には、皆、父と母が居て、お互いに子育てをしますが、どうして、私には母様しか居ないのですか。焼け野の雉も野飼の牛にも、父があります。どうか、私の父のことを、教えて下さい。母上様。」
と、母に尋ねて泣くのでした。御台様は、これを聞くと、涙を忍んで、こう話すのでした。
「人の持つべき宝で、子供以上に尊いものはありません。しかし、父の事を知りたがる程に成長したことは、かえって哀れな事です。もう長い間、行方不明の恋子の事を問う者もありませんでしたが、あなたの父という方は、天下に名を残す大将なのですよ。御敵退治のその為に、四十万騎を率いて南海国に向かわれました。御出陣の折、生まれてくる子供の為にと、阿弥陀仏を形見に残されました。父上を恋しく思うのならば、この無量寿仏を拝んで、南無阿弥陀仏と唱えなさい。父、母、一仏浄土の縁と祈るのなら、安養世界の浄土にて、父上様に必ず逢うことができるでしょう。」
恋坊は、これを聞き、
「さては、この仏様が、父上様の形見ですか。」
と、三度戴いて泣く外はありません。恋子は、涙の下から、こう言い出しました。
「私に、暇をください。」
驚いた御台様は、
「胎内で、父に別れて、父無し子となり、愛しい可愛いと育てて来たのに、その甲斐も無く、この母を捨てて、見たことも無い父を探しに行くというのですか。なんという儚い事でしょうか。もし、あなたの父が生きているという便りでもあるのなら、お前を行かせもしましょうが、四十万騎の誰一人帰らず、もう十三年もの長い間、なんの知らせもないのです。わざわざ、敵国に送り出すことなどできるはずもありません。母の言葉に背くのなら、あなたは、五逆罪に落ちますよ。その上、どうやって南海国まで行くつもりですか。」
と、泣きつきましたが、恋坊は、
「母上様の仰せは、ご尤もです。母上のお膝の上で育てられたとは言え、人間として生まれ、父の恩を知らないのでは、生まれて来た甲斐がありません。」
と、答えましたが、母は、
「もし、父が敵に捕らえらていたのならば、どうして、助け出すことができましょうか。諦めなさい。」
と、様々に止めようとするのでした。恋坊は、重ねて、
「母の仰せに背くつもりはありませんが、弓矢の家に生まれて、父の行方をも尋ねずに居るならば、それは、木石となんら異なりません。もし、父が道端で亡くなっていたのなら、父のご恩に報じ、又もし、父に逢うことが出来たなら、母上様にご対面させて、生きてご恩返しを致します。お願いですから、お暇を下さい。」
と、強く願うのでした。兎にも角にも、恋坊親子の心の内は、何にも喩えようがありません。
つづく

忘れ去られた物語たち 38 古浄瑠璃 とうだいき②

2015年08月13日 14時24分10秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

燈台鬼②

夜明けと共に、いよいよ、出陣です。四十万騎の軍勢が、整然と並びました。大将恋子(れんし)のその日の装束は、一段ときらびやかに見えました。唐綾に身を包み、緋縅の鎧を着けています。五枚兜に鍬形を打って、猪首に被り、大通連(だいとうれん:文殊の智剣)の剣を差して、葦毛の馬に打ち乗りました。四十万騎の西上軍が、一斉の鬨の声を上げて、南海国の王宮に攻め寄せました。南海国の軍勢は、鬨の声に驚いて、上を下への大騒ぎとはなりましたが、すかさず、大手の門から、切って出た者が、
「只今、此処に進み出でた俺は、南海国でも有名な「そゆう」官人と言う者である。さあ、来い。こちらの手並みを見せてくれる。」
と、名乗りを上げました。恋子も、負けじと、大音上げて、名乗ります。
「西上国のご命令により、南海国退治の為に、遙々参った。我こそは、四十万騎の大将、恋子である。いざ、手並みを見せん。」
恋子は、四十万騎の先頭に立って切り込んで行きました。



しかし、南海国の軍勢は、百万騎。西上国の四十万騎は、勇猛果敢に戦いはしましたが、長旅の疲れもあり、多勢に無勢、とうとう全滅してしまうのでした。もうこれまでと、恋子が腹を切ろうとした時、南海国の兵共が駆け寄りました。恋子は高手小手に縛り上げられて、やがて、南海国の王様に前に引き出されました。



南海国の王が、
「恋子というのは、お前か。剛のつわものと聞いたが、生け捕りにされて、さぞ無念なことであろう。」
と言うと、恋子は、
「大将を賜り、敵に後ろは見せるものかと、粉骨砕身に戦いましたが、運も尽き、力も及ばず。自害する所を、生け捕りにされ、本望を遂げられなかったことこそ、口惜しい限りです。魂は怨霊となり、必ずや、その首を頂戴いたします。」
と、大の眼を見開いて、睨み返すのでした。この気迫の有様に、臣下大臣達は、舌を巻かない者はありませんでした。御門は、こう答えました。
「おお、天晴れ。流石は剛の男である。誰でも、この男の様に勇敢であるべきだ。今日からは、お前を我が家臣に加えるぞ。」
これを聞くと恋子は、怒って
「何と言う愚かな。『賢人、二君(じくん)に仕えず』というのは、正にこのことではありませんか。家の名を辱め、後継を恥に曝す。例え、屍(しかばね)が、両門に埋められるとしても、名を埋めることはできないということをご存じ無いのですか。あなたの首を取るという、本意を遂げることすら出来ずに、敵の家来になるなどということは、思いもよりません。さあ、早く、首を刎ねていただきたい。」
と、答えました。これを聞いた王は、
「むう、それなれば、命を絶つことは許さぬ。顔面の皮を剥いで、額に燭台を打ち込み、燭鬼(しょくぎ)にせよ。」
と、命じたのでした。
 なんということでしょう。恋子は顔の皮を剥がされて、額に燭台をくくりつけられたので、昼夜の苦しみは、例え様もありません。しかし、喋ることのできない薬をのまされたので、苦しいとも、辛いとも言うことすらできません。明け暮れ、懐かしい故国の妻と、生まれたであろう子供の事を思うばかりです。彼の恋子の心の中は、何にも例えようがありません。

つづく

忘れ去られた物語たち 38 古浄瑠璃 とうだいき①

2015年08月12日 14時11分26秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

 この所、新曲の制作が続いたので、古浄瑠璃正本集読みは、まったく停滞してしまった。少し、落ち着いて来たので、又、正本読みを再開したいと思っている。先回の「小篠」で正本集第1は終わりとする(付録等を省略)。古浄瑠璃正本集第2の初っ端は、「とうだいき(27)」である。古く鎌倉時代には成立している説話「燈台鬼」を下敷きとした浄瑠璃である。天下一若狭守藤原吉次の正本、慶安3年(1650年)西洞院通長者町、山本長兵衛の板。

燈台鬼 ①

昔、天竺の近くに、西上国という国があり、その王様は、最上王と言う方でした。最上王は、隣国の南海国を手に入れようと、何度も攻め込みましたが、南海国の兵は非常に強かったので、多くの犠牲者が出るばかりでした。最上王は、大変無念に思い、切り札として、恋子(れんし)という家来を大将に命じたのでした。
「恋子よ。四十万騎の大将として、南海国へ向かえ。」
勅命を受けた恋子は、
「これは、大変に有り難い宣旨を戴きました。数多くの家来の中で、私に、大将を賜わることは、何より一家の面目となります。必ずや、敵王の首を取り、鉾の先に差し上げて戻って参ります。我が君様。」
と、答えましたので、国王は、大変にお喜びになられました。恋子は、急ぎ家に戻ると、妻に向かい、
「王様の勅命によって、四十万騎の大将として、南海国に攻め下ることになったぞ。」
と、嬉しそうに告げました。ところが、御台様は、
「この度は、多くの兵が集められるとは聞きましたが、我が身の上の事とは、思いもしませんでした。近い国であるならば、手紙で慰むこともできますが、南海国では、そうもできません。それどころか、実は、私には、お世継ぎが出来ました。今は、九ヶ月の頃と思います。来年の一月頃に生まれますので、どうか、お世継ぎの姿をご覧になってから出陣なさって下さい。」
と、言って泣き崩れるのでした。恋子は、これを聞いて、
「おお、それは、世にも嬉しい事である。三十歳を過ぎても子供ができなかったのに、忘れ形見を得たことは大変に、頼もしいことである。しかし、よいか、四十万騎の大将たる者が、私事にかまけて、出陣を遅らせる事などできるはずも無い。さあ、これを、形見に取らせよ。」
と、常々肌身離さず持たれていた御本尊を取り出すと、御台様に手渡すのでした。その御本尊とは、御丈三寸の黄金阿弥陀像でした。恋子は、
「この御仏は、二世安楽の仏様なのだよ。人々の気根(きこん)は、様々な形を取り、芥子(けし)の中にすら入っているのだ。阿弥陀様は、九品(くほん)の修行をされて、娑婆世界にありながら凡夫に落ちずに、人々の為に法蔵比丘となって現れ、六字の名号を、五刧もの長い間お考え続けなされた。御釈迦様が現れて、八万四千のお経をお説きになったのも、唯々、阿弥陀三尊を説く為なのだよ。三世の諸仏は、弥陀一仏の仏心から始まり、薬師如来は、菩薩を引導し、普賢菩薩は、延命長寿。勢至菩薩は念仏の人に寄り添い、文殊菩薩は学問の菩薩。天に昇れば虚空蔵と変じて空より、諸法を降らせ、地に下っては、地蔵菩薩と現じて、地より宝を開かせる。中にも、女人は、地蔵菩薩を信じなさい。女人であっても必ずお救い下さるのだ。さて、戦では、命を落とすのは当たり前の事だ。私が死んだなら後世の供養を宜しく頼むぞ。」
と、流石に剛の恋子も、涙を流して、別れるのでした。
 こうして、恋子の率いる大軍は、南海国に向けて出陣して行きました。出発から二十日程経ちました。砂漠を通り、険しい葱嶺(そうれい:中央アジアの山岳地帯)では馬を捨てて七日進み、さらに舟乗り、人跡未踏の平原にやってきました。至るところに霧が降り、長夜ともいうべき暗闇です。聞こえてくるのは、谷の梟(ふくろう)や峰の猿、虎狼野干の声ばかりです。こうして、月日を重ねて、九ヶ月をかけて、南海国にようやく辿り着いたのでした。国境には、岩をも砕く激流が逆巻いて、木の葉すら浮かぶことができません。四十万騎の軍勢は、立ち尽くすばかりです。その時、恋子は、
「何を仰々しい。私に考えがある。」
と言うと、雑兵を率いて山に入りました。大木を切り出して、筏を作らせたのでした。こうして、四十万騎の軍勢は向かいの岸に、無事に辿り着きました。もう、その日は、日暮れも近付いたので、近くの山に陣を築くと、暫くの間、休息することにしたのでした。かの恋子は、このような知略にも優れていたのでした。

つづく

幽玄の舞台 佐渡猿八 越敷神社

2015年08月10日 18時21分25秒 | 公演記録
八月の公演と稽古が終わりました。佐渡の越敷神社には、東京からも駆けつけていただき大変有り難う御座いました。能との競演ということで、勝手も分からず、兎に角、勤めさせていただくのに精一杯でしたが、鳥越先生から労いのお言葉を戴き有り難い限りでした。

猿八三番叟:連れ三味線で、姜八景がデビューしました。

能:隅田川での一コマ

新発田の稽古場では、汗だくになって、「耳無し芳一」の稽古が進んでいます。