つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

富山県観光ブロック割(前)

2022-05-26 06:49:07 | 旅行
一昨年に二度目の挑戦をしたが、あえなく空振りに終わったライチョウ撮影目的の旅行。
三回目の今回はこうでした。
なお、(前)・(後)・(ライチョウ)の3回に分けて記します。

◆ブロック割は有難いがちょっと疑問も感じた
 元々は富山県民割だったらしい。
 それがブロック割として隣接県に拡大され、おいらの住む愛知県民にも恩恵が及んだという事だ。
 計画したときにはまだその対象ではなかったのだが、旅行直前にこの施策が始まったのでラッキーだった。
 その中身には驚く。
 まず立山アルペンルート割だが、立山駅~美女平~室堂~大観望までの往復料金10,500円が5,500円となる。
 それだけでも十分お得なのだが、これにアルペンクーポン2,000円とおみやげクーポンが2,000円ついてくる。
 お土産は当然購入するので、実質は10,500円が金券4,000円を考慮すれば1,500円ということになる。
 さらに宿泊は立山室堂のみくりが池温泉だ。
 こぎれいな山小屋の体で、宿泊料金は一泊二食付きで10,500円。
 それがプレミアム宿泊券で5,000円引き、さらにおみやげクーポンが2,000円ついてくる。
 こちらは、実質3,500円ということだ。 

 口から泡を飛ばしてまくし立てていたら、ずいぶんと字数を費やしてしまったので、旅行記は簡単にする。
 〇おなじみの立山駅からのケーブルカー
  

  

 〇地獄谷とみくりが池
  

 〇標高2,400Mの日本最高地のかけ流し温泉
  

 〇こんな高地でも純米吟醸酒と白エビのから揚げが食べられました
  

 〇ライチョウ(オスとメス:次々回にもう少し詳しく)
  

  

鬼滅の刃に学ぶ

2022-05-25 06:28:08 | 日記
「鬼滅の刃」とはマンガだ、そして映画化もされている。
子供たちには人気があるようなので、少し読みかじってみた。
えっ、子供たちこんな難しい言い回しを理解しているの?
と思ったほどの人生訓が満ちていた。
例えば、こんなのだ。

実際に体験して得たものは、これ以上ないほどの価値がある、五年分十年分の修行に匹敵する
 鬼との戦いはまだまだ続くのだが、ある鬼と戦って生き残ったことはすごいと言われた場面だ。
 主人公の炭治郎は、謙虚にもっともっと頑張りますと返答した。
 実際に物事を体験することは、机上で学ぶよりも格段の価値があるということなのだ。

 ビジネスパーソンのキャリア形成の8割は、予期しない出来事や偶然の出会いによって決定しているという。
 つまり、行動を起こせば起こすほどキャリアアップする可能性が高まるということなのだ。
 そしてそれは、スタンフォード大学のクランボルツ教授によって理論化されている。
 「ブランド・ハップンスタンス理論:日本語では計画された偶然性理論」だ。
 数百人のビジネスパーソンの調査によって、判明・確立された理論だ。
 
 では、キャリアの8割が偶然によってもたらされるならば、ビジネスパーソンはどうすべきか、
 偶然の出来事を待つだけではなく、偶然を意図的に生み出すように積極的に行動することが有効だそうです。
 で、鬼滅の刃だ。
 実際の体験の重要性を説いているではないか。
 他にも心を動かされた言葉があるが、それはまた次の機会に。

「よく見れば宝物」

2022-05-24 06:32:00 | 日記
おいらたちは、もしかしたら世間の作った価値基準にとらわれているのかもしれないな。
そんなふうに思わされたのは、芭蕉のこんな句からだ。
何が美しくて、何がそうではないのかを考えさせられるものだ。

よく見れば なずな花咲く 垣根かな
 芭蕉は、隅田川のほとりの小さな芭蕉庵で、貧しい生活をしていたそうだ。
 まわりの家には、春になると美しい花々が咲き乱れている。
 だが、芭蕉の庵(いおり)にはこれといって美しい花はなかった。
 それでも、庵の小さな庭の垣根のそばに座ってみると、なずなの花が咲いている。
 
 なずなは、たしかアブラナ科の雑草で、田のあぜ道などに群生する。
 それでも、春になると小さな花を咲かせる。
 この雑草は、俗にぺんぺん草とも呼ばれ、誰にも評価されることはない。
 しかし、よくよく見ればこの小さな花は、うすい紫色を合わせ持つ可憐な白い花だ。
 それでも、世間では無価値な花なのかもしれない。

 「よく見れば」とは、「心を無にして」という見方なのかもしれません。
 一般的な世間の価値観を超越して、自分の目でまっすぐに見ることなのでしょう。
 芭蕉は、このとき心が解放されたのかもしれません。
 自然界には、「よく見れば宝物」がそこらじゅうにあふれているのかもしれません。

 →なるほど、「よく見れば」=言葉を変えれば「先入観を排して見れば」、
  また違った価値の数々を見つけられるものかもしれませんね。

目に見えない恵み

2022-05-23 06:37:12 | 日記
おいらはあまり宗教心がない。
だから、キリスト教だろうと仏教だろうと、あるいはイスラム教や古代宗教でもそこに思い入れはない。
申し訳ないのだが、あるのはただ、なるほどそうですよねという、教えに対する共感だけだ。
そして今日は、こんな共感があった。

◆その花は誰が咲かせているのか
 「真如一実の功徳宝海なり。」
 目には見えない恵みにも感謝する心が大事らしい。
 その花は誰が咲かせているか気づいていますか?
 梅も・桃も・桜も・ツツジも、アジサイも、時期が来れば当然のように咲く。
 太陽の光が当たって、輝き、風が流れて、静かに笑う。
 だが、花は誰が咲かせているのか?
 自然の力だという事はわかる、だがその力は見えてはいない。
 
 花の命は、根っこから生まれる。
 根っこは、普通では見えない、だが働いている。
 根は、真っ暗闇の中で、光も見ないで、じっと大地からの栄養を吸っている。
 地上にはお花畑が広がる、だがそのお花畑の地中では真っ暗闇の中で光を見ることもなく、
 根がじっと大地から栄養を吸っているのだ。
 お花畑の土の中では、数多の根っこが黙って働いているということなのだ。

 だから、根っこは宇宙における生命の働きでもある。
 根っここそが、宇宙の生命の働きの一部なのである。
 この世の人は、宝の海にいる様に、自然から恵みを受けて生活している。
 目には見えない。人は皆、自然から恵みを得て生活しているということなのだろう。
 その大きな力は見えない、仏教ではそれをアミダさまというようだ。  

 →今日もまた、なるほどそうですよねと受け止めただけだ。


 
 
 

不思議な感覚

2022-05-22 06:39:55 | 日記
人間の感覚(思い)には、興味深いものがある。
それは、同じ事象でも時間の経過によって、受け止め方が変わるということだ。
それに気づかされたのはこんなことです。

◆一年と二年ではこんなに感じ方が異なる
 一昨年に友人たち(三人)と一緒に、近江牛やマツタケを食べに何度か滋賀県に行ったし、
 三重県四日市市にトンテキやら海鮮どんぶりを食べにも再度行った。
 たしか昨年に、おいらから友人たちに、またグルメツアーに行く?と問うたら、彼らからは否定的な返事だった。
 だが最近になって、逆に彼らから、またおいしいものを食べに行きたいねと誘われている。
 はたして経験や体験は、二年間で色あせるのものだろうか。

 おいら個人の体験ではこうだ、一昨年にはトキ・ブッポウソウ・オシドリ・ライチョウなどの野鳥撮影に行った。
 そのうち、ライチョウだけは空振りだったのだが。
 昨年は、コロナの影響もあったとは思うが、再度の撮影旅行はあまり考えなかった。
 さらに言えば、一昨年に行った河津桜の鑑賞も、昨年は行きたいとは思わなかった。
 だが、コロナも下火となった今では、またライチョウ撮影や河津桜に挑戦したい気持ちになってきている。
 人間は、体験したことも二年経過すると、それは過去として経験も薄れていくものなのかもしれません。
 そしてそれは、個人差もあるのかもしれないが、一年ではまだ早く、二年たつと過去のものとなるのかも。
 諸氏の時間軸ではどうなのでしょうか?