つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

哲学というやつ

2023-04-20 06:30:42 | 日記

たぶんおいらの偏見なのだろうとは思うのだが、

哲学というものは、しかめっ面をした賢人なる人が小難しいことをもっともらしく語ってるやつだと思っていました。

どうやら、何でも神様のせいにし続けるのは、無理があるという気づきから始まり哲学なるものが生まれたようです。

当初、古代ギリシャでは、様々な自然現象もすべて神話によって説明されていた。

海が荒れているのは、海の神様が怒っているからという調子だ。

だが徐々に、何でも神様のせいにするのは無理があるんじゃぁないか、

自然にはきっと何らかの別の決まりがあるに違いないとなっていったんです。

それを原理原則によって合理的に説明しようとなり、神話からの卒業となり哲学なる考え方が生まれたようです。

 

◆哲学には作法があるらしい

 まず自然界の原理をしっかりと理解する。

 それを踏まえたうえで、「どう生きるのが正しいのか、どうすれば幸せになれるのだろう」と進むべきなようだ。

 だから、観念や生き方についてだけを聞きかじると、混乱したり否定の心が生まれたりするようだ。

 たしかにクルマの運転でも、自動車の仕組みや構造をある程度学んでから、交通規制にのっとって運転をする。

 それと同様に、自然界の仕組みをある程度分かったうえで、人間の作ったルールに従って生きていくべきだ。

 つまり哲学をして、実践的に生きていくというのが、理想的な生き方というものらしい。

 

 →まだまだ完全に分かったわけではありませんし、間違った理解かもしれません、でも少しだけ哲学が身近になりました。

 

 ※旅行中です、訪問できません。

 

 


仕事に追われる

2023-04-19 06:44:03 | 日記

おいらもそうなのだが、日々仕事に追われている人は多いと思う。

そしてそれらの多くにはタイムリミットがある、つまりは締め切りだ。

そして締め切りについて連想するのは、作家さんの仕事だ。

締め切り前の徹夜とか、ホテルに缶詰めになるとか、編集の付け馬が密着しているとか・・・

そんな作家の西村京太郎氏は、こう言っていた。

 

◆好きな仕事に追われている時間が最高の幸せだよ

 西村は本当に書くことが好きで、締め切りに追われていてもニコニコしながら、好きな仕事に追われる時間を楽しんでいたそうだ。

 そして、ボクは死んでも締め切りは守るよとも言っていた。

 仕事は人それぞれ違えども、仕事には絶対に穴をあけないというのは大事なことだ。

 好きなことを仕事にする、それに勝る幸せはなかなかないのだから。

 

 →たしかに追われているこの仕事、もしかしたらおいらも大好きなのかもしれないな。

  そう考えれば幸せなことだ。

 

 ※明日から旅行でしばらく皆さんを訪問できません。

  自分の予約投稿だけはしておきます。

 


経験は誰も奪えない

2023-04-18 06:36:35 | 日記

我々は、毎日毎日過去からの経験を積み重ねて生きているはずだ。

喜びに満ちた日々も、失敗や挫折に苦しんだ日々もあった。

だがそれらは全て、過去のものとなる。

置かれた状況に真摯に向き合った過去は、その人固有の経験として保存され、

この世のどんな力によっても奪うことは出来ないと、オーストリアの精神科医・作家のヴィクトール・エミール・フランクルは教える。

 

◆過ごしてきた時間は自分だけのもの

 これは、精神科医としての業務にも通ずるものらしい。

 人生に意味を見出すための心理療法として、「創造」「体験」「態度」の三つの価値を置いた。

 創造とは世の中になにかを与えることで、体験とは世の中にあるものを受け取ること、

 態度とは死ぬ直前まで勇気や品格を持ち続けることだ。

 創造も体験もできなくとも、人生には生きる意味を持ち続けることが可能だそうだ。

 

 →なかなか難しい心理療法のようですが、自分の過ごしてきた時間や体験は自分だけのものということには気が付かされますね。


楽観的になれる

2023-04-17 06:38:21 | 日記

思った通りにことが運ばないのがこの世の中だ。

世の中は理不尽なことばかりだ。

それは以前からなんとなく分かってはいたのだが、コロナ禍の中でさらに思い知らされたものだ。

だが佐々木常夫氏(元東レの方だったかな)は、意志の力で楽観的になれると説く。

 

◆悲観は気分のもので楽観は意思のものである

 これは、フランスの哲学者のアランの言葉だ。

 佐々木氏の父親は、母が27歳の時に4人の子供を残して亡くなったそうだ。

 経済的に困窮したことが想像できる。

 だが母は、「与えられた運命の中で努力しましょう」とくり返した。

 氏が社会に出て結婚したのちも、今度は妻が病弱で息子は自閉症であった。

 

 そして掲題の言葉、悲観は気分のもので楽観は意思のものであるだ。

 どんな理不尽なことが起きても、意志の力で楽観的になれる。

 トップにはなれなかったが、サラリーマンとしての栄誉にも浴せれた。

 起業もできたし、文筆業もできている。

 悲観の気分に流されては終わってしまう。

 すべては気の持ちようで、人生は開けていくのだ。

 読者も是非、楽観的な自分を信じてもらいたい。

 

 →壮絶かどうかは知る由もありませんが、かなり厳しい人生を送っていらっしゃったと思います。

  それでも意志の力で楽観的になる・・・  学びたいものです。

 


終わりを意識する

2023-04-16 06:54:48 | 日記

あまり存じ上げていない方なのだが、医師の帯津良一氏の語りだ。

氏は、半世紀以上も連れ添った伴侶に先立たれたそうだ。

それは誰だって、精神的に応えるのは当然だ。

だが、残された人間としては、その死を受け入れて前向きに人生を楽しむしかない。

そんな氏の心持ちが参考になる。

 

今日が最後かもしれないと思って酒を口にする

 江戸時代の儒学者貝原益軒は、「道を楽しむ者は命長し」と言っていたな。

 どんな小さなことでもいい、興味のあることや、やったことのないことを始めれば生活は豊かになるものだ。

 だが、なんといっても一番の幸せは晩酌の時間だ。

 酒を飲むときに、いつも「今日が最後かもしれない」と思って口にする。

 そうすると、有難味がわかるものだ。

 人生の終わりを意識すれば、現在という瞬間が輝くものだ。

 

 →たしかに 昨日の続きの今日ではなく、人生の最後の日かもしれない今日なのかもしれない。

  そんなことを思いながら今日も晩酌をする、そして翌日の予約投稿をする。

  いつかは、そんな流れが強制的に断ち切られる日が来るのだろうな・・・