還暦を前にした、青森行き当たりばったり車中泊の旅。
Part 1は、 こちら
尻屋崎をのんびり散策した後は、
むつ市を目指しそこから陸奥湾側、津軽海峡側どちらを回って大間を目指すか?
青森の観光案内地図を見ると、
むつ市の津軽海峡側に「むつ科学技術館」を発見。
原子力船むつの資料館みたいなので行ってみることにした。
最近歳とともに資料館や博物館見学が好きになったみたいです。
時間が9:00と早かったのでまだ開館前。
と思っていたら、
なんと木曜日は休館日だったみたいです。
旅のスタートから工事中だったり、休館日だったりで暗雲が・・・・(*_*)
残念!!
気を取り直してむつ市内を目指すと、
標識に「恐山」の文字を発見。
恐山を経由して大間を目指すことにした。
むつ市から恐山に向かって山を登って行く。
所々にお地蔵さんや石碑が立っているから昔からの参道なのかな?
冷水を発見!!
冷たくまろやかでおいしい水でした。
水分補給用にペットボトルに給水(^^)v
不老水の霊水。
この水を飲むと長生きできるかも?
ここから恐山の領域?
峠を越えて下って行くと突然「宇曽利湖」のほとりに出、
遠くに恐山の菩提寺が望める。
恐山は、
比叡山、高野山とともに日本三大霊場に数えられ、
宇曽利湖を中心とする釜臥山、大尽山などの八峰を総称して「恐山」と呼んでいるようです。
三途の川を渡る太鼓橋のたもとには奪衣婆(ダツエバ)と懸衣翁(ケンネオウ)が立っている。
三途の川までやってくると、
奪衣婆が待ち構えていて、三途の川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた死者の身ぐるみを剥がしてしまうのだそうです。
その衣類を懸衣翁が受け取って、傍らの柳の枝に懸け、
その枝の垂れ具合で生前の悪行の軽重を推量するんだそうです。
その後、
閻魔様の前に出て、地獄か極楽かどちらへ行くか言い渡されるとか。
俺が死んだときは六文銭を忘れないでね。
無事に三途の川を渡って行くと恐山菩提寺の正門前の駐車場へ到着。
来迎の像
六地蔵
開門時間は午前6時~午後6時。
入山料500円
入山料を納めて総門より入山します。
恐山は、
今からおよそ1200年前の昔、慈覚大師円仁(えんにん)様によって開かれた霊場で、
地蔵菩薩一体を自ら彫り、霊場本尊としたそうです。
「死ねばお山に行く」
肉親の菩提を弔い、故人の面影を偲ぶ多くの人が、今もお山を目指して訪れるそうです。
総門を入ると右手に本堂、左手に寺務所があります。
山門
阿計仁王像
吽形仁王像
正面に地蔵殿望む。
左側の塔婆堂の周りには大きな塔婆が立ち並んでます。
境内にある温泉は無料で入浴できます。
こちらは女湯で古滝、冷抜の湯。
男湯の花染の湯。
入りたかったけど準備を忘れてしまいました(*_*)
地蔵殿
円空作の観音像、聖観音、十一面観音はこちらの開山堂に安置され、
どちらの観音像もなた彫りという独特の技法で作仏されたものだそうです。
お参りした際に不思議なことが起こりました。
ここまで歩いてくるのに痛んでいた左の足首が、
お参りを終えて踏み出した時には痛みが消えていたんです。
不思議な事ってあるもんですね?
偶然かもしれないけど、
これまでの悪行が身体から洗い流されたのかもしれないですね。
地蔵殿の左手から地獄めぐりがスタート。
地獄めぐりに要する時間は約40分だそうです。
まずは恐山奥ノ院、不動明王に参拝。
奥ノ院への参道から望むと、
境内の右手には荒涼とした火山地帯が広がっています。
最初に広がるのは、「賽(さい)の河原」。
石が多く積まれ、別世界に誘われたような気持ちになります。
これらの石は、親より先に亡くなった子どもたちが、あの世で親不孝を詫びるために、
自分の身長まで積み重ねていくという苦行を表現していると言われています。
しかし、石は身長に達する前に鬼に踏み壊されてしまい、
永遠に石積みを続けなければいけないそうです。
「無間(むげん)地獄」「重罪地獄」「賭博地獄」といった地獄に見立てられた複数の場所があり、それぞれに深い謂れがあります。
その中には、自分に当てはまるようなドキッとする地獄もあるかもしれません。
火山岩で形成された「地獄」からは、いたるところから火山性ガスが噴き出し、温泉が湧きだしてます。
異界に迷い込んだような火山岩の光景は、まさに地獄。
恐山の地獄めぐりは生きたまま死後の世界が体験できるような場所でした。
地獄から極楽の浜が見渡せます。
慈覚大師堂
草履や手ぬぐいは、死者があの世への旅立ちの時の準備に必要だから名前を書いて備えられています。
他にも、あの世から戻って来る時に履物や汗を拭うものがないと困るという話や、
あの世は暗闇なので、白い手ぬぐいを目印に進んでいくという話もあります。
八葉地蔵菩薩
賽の河原地蔵堂(八画円堂)
この中には杖や上着などがお供えされています。
ここにお供えすると、死者に届くと言われていて、
歩くのに困らないよう・寒くないようにと故人を思って、名前を書いてお供えされていました。
水子供養地蔵尊
たくさんの風車がお供えされていました。
水子供養尊の池には蓮の花が咲いてました。
地獄から極楽に向かいます。
恐山には地獄だけでなく極楽もありました。
恐山菩提寺に隣接する「宇曽利湖」には白い砂浜が広がり、極楽になぞらえ、極楽浜とも呼ばれているそうです。
白い砂浜を歩いていると、心地よい風が吹き、周りの景観と相まってまさに極楽にいるようでした。
極楽浜に建てられた東日本大震災供養塔。
平成23年に襲った東日本大震災の犠牲者を追悼して建てられた震災慰霊塔。
まるで多くの犠牲者を極楽浄土へ誘うように、極楽浜のほとりの景色のいいところに建てられています。
背面には大小数十にも及ぶ手形が彫られているのですが
、子ども達が手形に手を当てて 遊びにきているような雰囲気を感じさせます。
手形に手を当ててお祈りしている人が多くいました。
実体験した東日本大震災。
多くの悲しみを実際に見てきたので、
手を当てて亡くなられた方々のご冥福をお祈りしてきました。
カラカラと回る風車にも意味があります。
これは、幼い子供の霊を慰めるために置かれているものなのだそうです。
極楽浜でも風車がカラカラと音を立てながら回ってました。
地獄の一角で咲いていた花たち。
初めて訪れた恐山。
立ち込める硫黄臭と荒涼とした岩肌やきれいな極楽浜。
地獄や極楽をみたてた景色に触れて、
気持ちが新たにリセットされた気がしました。
これまでの自分を振り返り、
還暦を迎えて気持ちを切り替えるには適したところだったのかもしれません。
ゆっくりと恐山を参拝した後は、いよいよ大間岬に向かいます。
41年前に訪れた大間岬。
この旅の目的地はどうだったのか次に続きます。