今年の10月に開館した震災遺構「浪江町立請戸小学校」を見学してきました。
原発事故の警戒区域にあった浪江町は立ち入り制限があったので、
請戸地区に行くのは震災以来初で10数年ぶりかな?
美味しい魚を食べに訪れていたんだけど、
あの集落は跡形もなくなくなっていて請戸小学校がぽつんと立っています。
駐車場には県外ナンバーの車が多く満車状態。
まだまだ被災地を訪れる方が多いのに驚かされます。
2011年3月11日の東日本大震災の脅威や教訓とともに地域の記憶や記録を後世に伝え、
防災意識の向上を役立てるため、被災した町立請戸小学校を震災遺構として一般公開したそうです。
管理棟で入館料を支払い入館。
写真撮影は可能ですが、公開されている映像を撮影することは禁止されています。
開館時間は9時30分~16時30分。
毎週火曜日が休館日。
入館料は、一般300円、高校生200円、小中学生100円。
管理棟にはパネルで浪江町や小学校の紹介、震災と津波の状況が展示されています。
地震発生時に撮られた写真には多くの家屋が残っていますが、
大津波で全て流されてしまいました。
請戸小学校は、1873年浜谷善一氏宅に広業小学校が創立されたことから始まり、
建て替えや改称を経ながら長年にわたり地域に愛された来たそうです。
請戸小学校は海岸から約300mの距離。
2021年3月11日、未だかつて経験したことが無い大地震・大津波と
その後の原発事故に見舞われ、甚大な被害を受けました。
当時通っていた児童93名(内1年生11名は帰宅していた)は、
教職員の迅速な判断と児童の協力により、
奇石的に全員が無事に避難することが出来ました。
見学は、管理棟を出たところから校舎1階を巡ります。
津波は2階ベランダまで達したようです。
地震発生から全員が無事に避難できたところまで時系列で紹介されています。
震災直後から被災地を嫌というほど見てきたので状況が想像できます。
校舎内に流れ込んだであろうがれきは取り除かれ建物の被害だけが保存されているようです。
施設の様子と避難状況は写真でご覧になり想像下ください。
2週間後には卒業式が予定されていてその練習が行われていたそうです。
大津波から無事に全員避難できたのも束の間、
その後に発生した原発事故でまた別の地域へ全員させられてしまいました。
浸水被害のない2階はきれいな状態。
6年生教室の黒板には、避難先から訪れた卒業生や捜索に携わった自衛隊の皆さんのメッセージが残されています。
千葉県の中学生が団体で見学に訪れていました。
現在の被災地にはあの当時の面影はなくなってしまいましたが、
震災遺構を実際に見ることにより本当の恐ろしさを感じてほしいですね。
東日本大震災と原発事故からもう少しで11年を迎える。
ハード面ではすっかり復興してしまったように思えるが、
心に残っているあの光景を忘れることはできないでしょう。
俺はまだこちらに訪問したことはありませんが、二年前、奇跡の一本松周辺と港町には足を運びました。
旦那から写真を撮ってくれと言われましたが、溢れる涙にそれどころではなく、呆然と立ち尽くしたのを覚えています。
お土産屋さんで一本松のクッキーを視ても、違和感を感じるばかりで、買うことが復興の一助になるのだと、その時は、冷静に考えることもできませんでした。
町を走る車のナビは旧いまま。
それなりに復興はしていましたが、あちこちにまだ、爪痕が残っています。
そんな中、
次の目的地に行きたくても、まるでその場所に捕らえられたかのように、迷子のまんまのナビゲーションに、嗚咽が止まりませんでした。
忘れられません。
日本人として、一度は立ち寄るべき場所だと思っています。
今度また東北へ赴く機会があれば、こちらにも、足を延ばしたいと思います。
大切な記事を、ありがとうございました。
10年を経た今でも被災地のことを思っていただき感謝申し上げます。
津波被災地は10年をかけて復興を遂げてきましたが、原発事故の被災地はいまだにあの時の姿を残しているところが多くあります。
その姿を見るたびにあの時の光景が思い浮かびます。
被災地を訪れることにより被害の甚大さを実感し、地震や大津波のほんとうの怖さをわかっていただきたいと思います。