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うどんの研究
連載中
㉑愛知県
赤味噌地帯 new
はじめに
食の安全と健康に対する消費者の
関心は今、ますます高まっていま
す。 日本の伝統食である「うど
ん」「そば」も健康食として、地
域の食文化の中心的存在として定
着し、今日に引き継がれています
が、ライフスタイルの変化や価値
観の多様化などは、人間の最も基
本的な“食”に対する食事バランス
や食習慣にも大きな影響をもたら
しています。そこで、愛知県の代
表的な赤味噌について、少し述べ
てみたいと思います。
(次回に続く)
⑳福岡県
ごろし 2/2
【作り方】
1. 小麦粉に塩とぬるま湯を加え、耳
たぶくらいの硬さになるまでよく
こねる
2. ぬれ布巾に包んで1時間ほどねか
せる
3. 直径2センチの棒状にまるめ、両
手で薄く引きのばしてゆでる
4. ざるに取り、水気を切って黒砂糖
、きな粉をまぶして食べる
加えて・・・
ごろしの切り方は家々でちがう手で
のばさず包丁で切ったものは〈切り
ごろし〉ともよぶ
(次回に続く)
ごろし 1/2
『ごろし』変わった名前ではあり
ますが、この名には3つの説があ
ります。
1.真っ白い小麦粉の“だご”が黒
砂糖の色で殺されるということで
〈ごろし〉
2.牛の舌に似ているので〈人殺
し〉(何故?・・・)
3.〈五次郎〉という人が作り始
めたので・・・
筑後の三潴地域では川渡祭のとき
、またふだんでも手軽に作られて
きたおやつです。
、季節の野菜を加えて作る「かぼ
ちゃごろし」、「芋ごろし」「煮
〆ごろし」「夏豆ごろし」「グリ
ンピースごろし」など、いろいろ
な応用料理があります。また、地
元の商店には袋入りの「ごろし」
も販売しています。きなこを付け
て食べて、余ったらみそ汁にいれ
ることもあります。
(次回に続く)
小倉焼うどん 2/2
定義
・乾麺を使用するべし
・キャベツは若松産であるべし
・豚肉はバラ肉であるべし
・玉ねぎはその甘味を引き出すべし
・秘伝のソースはよく研究するべし
・削り節はアジ、サバ節を使用するべし
・小倉地酒で香り豊かに仕上げるべし
*このうち6項目は満たさないと
いけないとのことです
(次回に続く)
小倉焼うどん 1/2
終戦直後、北九州市小倉の 「だる
ま堂」 店主が、関西で流行りのソ
ース 焼きそばを作ろうと 思った
ところ、物資不足の折で中華のそ
ば玉が手に入らず 代わりに乾麺
(干しうどん)を湯 がいて、これ
を焼いて出したところ大好評だっ
た・・・というのが、焼きうどん
の始まりと言われ ています。地元
の町おこし団体が、2001 年の北
九州博覧会をきっかけに 「小倉発
祥焼きうどん 」 のPRを開始。イ
ベントや定義づけなどを行い、最
近では知名度もぐんと上がってき
ました。
(次回に続く)
⑲兵庫県
煮麺 3/3 new
宮廷料理で始まった入麺も、や
がて武家社会や民間に伝わりま
した。宮廷に仕える女官は素麺
を「そろそろ」と言い、入麺を
「熱きそろそろ」と表現してい
ます。古い時代は温かい料理が
少なく、入麺の代わりに麺を蒸
し「蒸し麺」と言っていました
。加賀百万石の前田家や京都・
大徳寺も冬に「蒸し麺」で食べ
ていたようです。いずれにして
も、煮麺は古くからの高級料理
でした。現在では「煮麺」が一
般的な表現になっていますが、
「入麺」も使用されています。
(次回に続く)
煮麺 2/3
後柏原、後奈良両天皇に仕え、
権大納言となった山科言継卿は
、大永七年(一五二七)から天
正四年(一五七六)までの五十
年間の記録を日記「 言継卿記(
ことつぎきょうき ) 」に残して
おり、この間、宮中では三百二
十回、素麺料理を使っています
。このうち入麺が百七回、冷麺
が七十三回、残りはただ麺、素
麺と記述しています。
(次回に続く)
煮麺 1/3
宮廷料理で始まった煮麺(にゅう
めん)室町時代後期に宮中へ出仕
し、後柏原天皇に仕えた大納言・
中御門宣胤卿は、宮廷での料理、
式典などを「宣胤卿記(のぶたね
きょうき)」という日記に残しま
した。その中の文亀二年( 一五
〇二)正月二十五日条に「 宮中
で開かれた歌会の後、 天皇より
入麺 (にゅうめん)、酒を賜る
」と、入麺で冬の寒さをしのぎま
した。当時は温かい入麺が最高の
もてなしであったようです。
(次回に続く)
鯛そうめん 2/2
それが鯛を煮つけ、素麺にのせて
出すようになりました。江戸時代
後期から播州素麺は室津、網干、
飾磨の各港から海路で、各地へ出
荷されていました。素麺を買い付
けに来た商人が、問屋の接待で鯛
そうめんを食べ、あまりの美味し
さに料理法を聞いて帰り、現地で
鯛そうめんを食べるようになりま
した。長崎県壱岐地方、広島県、
愛媛県に鯛そうめんの風習が残っ
ているのも、播州素麺の取引のあ
った業者が広めたものと考えられ
ます。
(じかに続く)
鯛そうめん 1/2
江戸時代後期から戦前までは、鯛
は高級魚で、一般家庭では婚礼な
どの祝い事の時以外、鯛料理をあ
まり口にしなかったようです。婚
礼も現在のようにホテル、結婚式
場では行わず、自宅で挙式するの
が一般的でした。結婚の披露宴に
は、尾頭つきの焼き鯛がついて、
宴が終わりごろ、どの家庭にでも
ある素麺をゆがいて客に出しまし
た。その時、焼き鯛の身をほぐし
て素麺の上にのせ、醤油のつゆを
掛けて出していたようで、これが
鯛そうめんと呼ばれ、昭和30年
代まで龍野地方の婚礼に出された
高級の祝い膳でした。
(次回に続く)
酢素麺 2/2
江戸時代中期になると、地元で造
られる醤油を使ったつゆが一般化
し、醤油のつゆと酢を適宜に使い
分けていたようですが、酢素麺は
当時高級料理とされていました。
播州地域でも、昭和30年代頃ま
では酢をベースとしたつゆが主流
で、醤油を使ったつゆは少なかっ
たようです。現在では、醤油ベー
スのつゆ(めんつゆ)が主流にな
り、酢素麺はあまり食べなくなり
ました。
(次回に続く)
酢素麺 1/2
平安・鎌倉時代の「延喜式」「天
延2年記」「小右記」「中右記」
「江家次第」「長秋記」などの記
録によると、宮中での饗宴には必
ず素麺が出され、酒のあと酢素麺
を食べる習わしがあったようです
。酒でもてなした後、酢素麺を食
べるのが最高の料理で、この方法
が宮中から公家、寺院など上流社
会に伝わり、江戸時代に入ると、
庶民も酒の後、酢素麺を食べる習
慣になりました。
(次回に続く)
⑱長野県
おしぼりうどん 2/2 new
これを食べると、口からのどに目
一杯の辛さが、その後にほのかな
甘味が漂い、地元ではこれを『あ
まもっくら』と表現します。大根
の付け汁が釜揚げうどんの温度で
熱くなる4口程には、汁を甘く感
じ、汗が噴き出します。
大根の辛さは30分程しか持たず、
食べる直前にジューサーで絞る方
がより新鮮な辛さに出会えます。
『ねずみ大根』は、栽培土壌によ
り、辛さ度合もさまざまで、3月
には辛さも薄れ、11月中旬から
冬限定の味です。
(次回に続く)
おしぼりうどん 1/2
武田信玄と上杉謙信の戦いで有名
な川中島合戦場のやや上流、坂城
町には、『ねずみ大根』 と呼ばれ
る、尻太でひょろっとした尻尾の、
一見ねずみの尾に似たかっこうか
ら名づけられた地大根があります。
松尾芭蕉の『更級紀行』の中に、
『身にしみて大根辛し 秋の風』
と詠われた句があります。 これは
更級紀行の旅の途中、当地でねず
み大根の汁で麺類を食べたと云わ
れています。 ねずみ大根をおろし
、絞った汁に信州味噌、削り節、
薬味を入れ、釜揚げうどんを入れ
て食べる郷土食です。
(次回に続く)
おとうじ 2/2 new
客には、冷やした麺を1玉ずつと
うじて碗に入れ、お代わり用の碗
を数杯持って行き勧めた。とうじ
るは、1玉の冷やした麺をとうじ
籠に入れ、煮込み汁の中でゆすり
麺を温め、麺に味をしみ込ませる
のである。 汁は味噌仕立てや醤油
仕立てでもよく、具には野菜や油
揚げ、鶏肉、ちくわを入れ、野菜
の一部を炒めた油と具から染み出
た脂肪分とだしが麺に良く絡むよ
う濃い目の味付けが良い。こって
りした味付けで熱くとうじれば寒
い季節によく、ややあっさりした
味付けで、麺を熱くしなければ夏
にも食べられます。 又、おとうじ
に欠かせない薬味に『善光寺名物
』七味とうがらしがよく合い、お
客は食が進み、傍らにお碗の山が
できます。
(次回に続く)
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