レ・ミゼラブルを読み返す …司教の言葉
フランス語ポケットブックのレ・ミゼラブルを少しずつ
読んでいる。
19世紀前半のパリは貧困のどん底だった様子がよくわかる。
19年の牢獄生活から抜け出したジャン・バルジャンが、
慈悲深い司教の言葉で自分を見失うくだりは、
何度読んでも胸に迫ってくる。
一晩泊めてもらい、銀食器を盗み出したのに
翌日、さらに銀の燭台2本を渡されるのだから。
悪に心底染まった悪人は善人になれないものなのか?
激しい魂の交感無くして人は改悛できないものなか?
…
「忘れないでくださいよ、絶対に忘れないでください。
さしあげた銀を使って真人間になるとこの私に約束してくださったことを」
「ジャン・バルジャン、わが兄弟よ、あなたは悪の道を出て、もう善の道に入りました。私があがなうのはあなたの魂なのです。あなたの魂を邪悪な考えと破滅の悪霊から引き離し、私は神に引き渡します」
ざわめくこころはなぜおこる。
瞬間瞬間過ぎていく事象に取り残されて
それでよしとこころは言う。
それでよしとこころはつぶやく。
瞬間瞬間目の前を通り過ぎるあらゆる事象に
動かされないこころを自分のなかに見つける時
それでよしとつぶやこう。
始まりも終わりもないのだから。
一喜一憂する我がこころは
いつか風に吹かれて消えていく。
なにものこさず。
時だけが過ぎていく。
雨を愛でよう、雪を愛でよう、風を愛でよう、
太陽を仰ごう、夕陽を見つめよう。
久しぶりに、山に出かけた。
と言っても小一時間で登り下り出来る山に。
立冬の日の秋晴れは気持ち良い。
コンビニおにぎり一つとペットボトルを持って、
ゆるやかな山道をたどる。少し汗ばむと、
もう頂上だ。
幼稚園児たちの集団に頂上広場を譲り、
ちょっと一服。
透明な空気はモヤモヤをすっきりさせてくれそうで、
有り難い。
ここのところ、仏教関係の書物ばかり読んできたけど、
煩悩がスッキリどころか、ますます迷いの道に入っていきそうで焦る。
空海の「密教」なるものまだまだ遠し。
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「高齢者」が新しい趣味を始めることは大変なことか?
技量向上の限界は65歳で、やれても75歳までと言う文言を見た。
そうなのか?
我輩は、弦楽器のチェロを始めて約一年。
ウーン確かになかなか上手くならないな。
月に一回の音楽教室通いだけど、
ちょっとずつ向上していると思いたい。
目標は、フォーレとバッハだ(^_^)
そろそろ弦を変えることにしたが、
弦の種類の多さに面食らってしまった。
この世界もとても奥深く素人が近ずいてはいけないのか?
とりあえず、評価の良い弦セットを取り寄せたのだが。
年金生活者には負担が大きい。
まあ、後戻りはしないつもりだけど。