風とともに走れよ自転車

旅日記。今の自分のモノローグ。

武満徹ノヴェンバー・ステップス

2024年11月02日 | 日記
昨日はパートタイム介護の日。
付きっきりのカミさんのフリー時間を確保するべく、
少しだけ義母をみることになった。

ここのところ、心身ともに上向いているおばあさん。
食欲もまずまずとのこと。
介護ベッドから自分で起き出し脱出を試みようとする。
まわりのものをうまく掴みながら冷蔵庫までたどり着いた。
ボクに冷蔵庫のプリンをくれようとして、冷凍庫をかき回す。
「きのう食べたよ」と言っても、
さがし続ける。

おもてなしをしたいらしい。

もう一度ベッドへ誘導する。
自分も少し扱いが上手くなったようだ。

毎日顔を出すのでボクの名前もすぐに言える。

緑色のフリースが似合うと言ってくれた。

このように日々が流れていく。
これが日常になりました。

武満徹「ノヴェンバー・ステップス」聴きたくなった。
11月1日


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オーケストラ合宿に感謝

2024年10月31日 | 日記
この前の土日は所属オーケストラの合宿だった。
群馬県妙義山の登山口横にある由緒ある旅館が会場だった。
コロナ禍でしばらくなかったので久しぶりの合宿参加になった。
午後1番の練習。夕食後第2段、明け午前中第3段、午後カレー🍛のあと第4段。
都合4回の練習だった。大作ブルックナー交響曲5番が練習のメインだった。
おまけに懇親会とやらで深夜に有志でのアンサンブルに参加してしまった。とっくに日付が変わっていたのに。

合宿という非日常の不思議な感覚での2日間は皆さんとのつながりも確かめられた。パートが違うメンバーとはあまり話す機会もないので、それはそれで面白いものだった。

また諸先輩方のアドヴァイスが有意義だった。
特に弓の持ち方のクセを直すいい機会になった。

今の生活は音楽がどっぷり真ん中にあり動いている。
市民オーケストラ、フルートアンサンブル、それに弦楽器カルテットと。個人レッスンもあるな。フォーレのエレジーいいなあ。

いずれも多くの人に学びながら一緒に演奏することの楽しみ(本当は苦しみ)はありがたい。感謝です。

あとどれだけ曲に出会えるのかな
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弦楽器カルテット初演奏

2024年10月23日 | 日記
この前の日曜日に地区の文化祭があった。
公民館から地域交流センターと名称が変わっての
第一回の文化祭だった。
そして、
この春結成した弦楽器カルテットの初演奏の場になった。
多くの出し物のなかで室内楽プログラムが与えられた。
このカルテットのメンバー4人は皆同じ市民オーケストラの団員だ。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロはこの世界では、
まだまだヒヨッコだ。
オーケストラでは大勢で音を奏でるので少々のブレや音程のズレは音量にもよるが埋没してしまうが、アンサンブルはそうはいかない。
一人ひとりの演奏がとても大事になる。
特に音程のズレは目立ってしまう。
ボクは走りやすい。つまり急ぐ傾向になってしまう。
今回は、横のヴィオラに助けてもらった。
チェロのソロの部分をヴィオラにもお願いしたのだ。
(アンサンブルでのソロは怖いなぁ)

今回は、ゲストとしてフルートに入ってもらった。
バッハ管弦楽組曲ポロネーズとロンドを皆さんで演奏した。
これは楽しい、愉快だ。

弦カルテットでは、バッハ2つのメヌエット、ヘンデルのサラバンド、そしてカノンを演奏した。
出来ばえはまだまだでした。合格点はあげられないですね。

会場のお客さんから拍手をもらい、
アンコールもやれました。

メンバーは異口同音「楽しかった」と。

そうですね、これが何よりですね。

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3週続きのハードな日曜日

2024年10月15日 | 日記
フルートアンサンブルのコンサートを終えてホッとしての秋晴れの昼下がり。
その前は、2週続きの自転車ヒルクライムだったので、疲労がたまっていた。
日曜日3連続で最大限のパフォーマンスをしたことになる。

今日は、ご近所をポタリングした。
のんびり自転車で街に出た。
目的はランチだ。

普段はクルマか早漕ぎ自転車なので通り過ごしてしまう街も、ゆっくり走ると違って見えるから面白い。

いつもは通らない路地裏も面白い。

街中のレストランに入った。



ペペロンチーノをいただく。
前菜のサラダがありがたい。
こじんまりしたビストロ風のレストラン。ラッキーな出会いだった。

ポタリング終えて戻ると、義母の付き添いが待っていた。
ベッドのばあさんが昼寝するので
ギターで月の砂漠をつま弾きながら歌ってやりました。
おばあちゃん眠ったかと思いきや、一緒に歌い始めるではありませんか。

起き上がってボクにお茶を淹れようとするので、なだめて横になってもらった。

娘よ早く戻ってくれ。
全く情けない。今回も。
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好奇高齢者ヒルクライム挑戦

2024年10月08日 | 日記
赤城山ヒルクライムに挑戦した。
今まで3回エントリーしたけど、
初回はコロナ感染の予後だったので大事をとってキャンセル。
2回目は昨年、猛暑で断念。真夏に試走はしたけど半分も走れず熱中症状態だった。売店で焼きトウモロコシの思い出のみ。暑さに強いと思っていたけど歳をとったのですね。
そして今回は、残暑もおさまり小雨模様なので、
行くしかない。

総勢2600人の坂好き(坂バカ)が集まっていた。
自分のスタートは、最終スタートだった。7時50分。
スタートまで道の駅の広いロビーで待つ。
隣の人とおしゃべりをする。
彼は今年70歳になったと言うが、目標タイムが何と1時間だ!
ボクは、完走するのが目標なので全くの驚きだ。
彼のスタートは7時20分。
スタート時間は目標タイムで決められている。
したがってノロノロ行く自分は当然最後のスタートになることに。
そしてここで疑問。
制限時間が設けられているのに速く走れない人ほどスタートが遅い。これ矛盾してるのだろうか。

22キロの観光道路をノボル。
途中三箇所の関門(足切り)がある。平たんなところは1ミリもない。坂坂坂。
すっかりおいて行かれた。
心拍数140台に決めている。
以前は160台でガンバった時もあったが、心臓のことを考えて無理は出来ない。

第一、第二の関門を制限時間ギリギリで通過した。
ヤバい。
最後の関門まで10%の激坂がずっと続くのだ。
脚が限界を超えている。
心拍数も150を超えている。
がんばって最後の関門が見えた。

スタッフが笑って声をかけてくれた。

「がんばりましたね」
じゃなく
「残念でした」
だった。
「2分オーバーです」

しばらく待たされると自転車回収のトラックと大型バスがきた。
ボクはバスのお客になったのです。
バスのなかにはすでにリタイアした人が大勢乗っていた。
言い方を変えると、最後に失格になったのは自分だったことになる。最後の関門にたどり着いたのは自分だけだった。
敗者のなかの勝者だ、と馬鹿なことをつぶやくボクなのでした。

好奇高齢者のチャレンジは続く。
乞うご期待。



2週続きの奥武蔵ヒルクライムもスタッフにお世話になりました。

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