ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(79・中央西線電化の記録⑱)  

2016-01-12 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

多治見・中津川間   槙ヶ根に挑む

昭和42年12月3日、冬の武並・恵那間で撮影。
11月に槙ヶ根に挑むD51を撮影したが、天候に恵まれず武並を発車する遠景が思うように撮れなかった。
再び行きたくても高校生の身分では簡単でないが、翌月、木曽路に行く親の自家用車に便乗する機会に恵まれた。

前回とほぼ同じ場所で、同じ下り貨物653レを撮った。
構内自体が曲線で上り勾配の武並に停車する貨物列車は、長い25‰区間を控えて必ず最高の発車シーンになる。
武並で交換する上り貨物652レは、この日、前2機、後補機の3重連であったが、間に合わず撮影できなかった。

定刻の11:05上り急行が通過して発車の汽笛が響き渡った。今回は見晴らし良好である。

D51の本務機、補機ともに黒煙を上げ、下り貨物653レの武並出発


本務機が急曲線を通過、中央から手前の築堤は新トンネルに向かう建設中の下り線




前回より貨物の編成が短く、少し余裕がありそう




後補機が通過、この先も25‰区間が続く。しばらくして本務機がトンネルに入り、絶気の合図が聞こえてきた。
ボォー、ボ、ボ、補機も同じく応える。


1967.12 武並・恵那


年を越して43年1月15日の撮影。
恵那・美乃坂本間で撮影後、恵那から徒歩で槙ヶ根に向かった。峠の恵那側での撮影はこの時が初めてである。
恵那側の25‰上り勾配は槙ヶ根トンネル内まで約3キロ続く。上り列車はさらに過酷な条件を強いられていた。

最初の上り貨物に間に合わず、11時15分頃、武並発車を撮影するいつもの下り貨物が絶気で坂を下ってきた。

D51-827[中]牽引の下り貨物653レ


峠に向かう道中、雪がどんどん激しくなってきたが、11時40分頃通る上り旅客列車を待った。
定刻より遅れて速度を上げたD51があっという間に走り去った。

D51-686[中]牽引の上り松本発名古屋行826レ


降り続く雪で写真を撮るのも難しく凍える寒さで次を待つ気になれない。歩かないと耐えらず武並に向かった。
駅まで来ると雪が止み、この後は釜戸・武並間で撮影することにした。中央西線電化の記録⑮に記載している。

キハ58系下り急行"赤倉" 下り勾配を武並に向かう

1968.1 恵那・武並


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