【奇跡は与えていただくもの…】
どういう奇跡が起きたのか全くわからないのですが、帝劇版ミュージカル『エリザベート』を観劇する幸運を授けていただきました。
実は帝劇版の『エリザベート』観劇は何度となく申し込んだけど毎回当選率ゼロ。
「DVDが出ることを願うしかないね…」
と今年はあきらめて、申込みしていませんでした。
そしたら
「『エリザベート』のチケット買った~鳥まりと行きたいから、行こうよ」
と誘っていただけて…というミラクル。
何が起こったのでしょうか…。
とにもかくにもありがたく観てまいりました
記憶が鮮やかに残っているうちに感想を描いておきます
私が観た回は
・エリザベート(シシィ)…花總まりさん
・トート(死)…古川雄大さん
・ルキーニ…成河さん
・フランツ…平方元基さん
・ゾフィー…香寿たつきさん
・ルドルフ…三浦涼介さん
・少年ルドルフ…陣慶昭さん
の組み合わせ。
ではではババ~っと書かせていただきます
【全体的な感想をさらっと】
宝塚版とはちょいちょい違うところがあり、あちらもこちらも良かったですね。
特に帝劇版の魅力となるのが、シシィが島で父親の魂(幻かも)と再会して心の内を吐露する場面。
あと、フランツがみた悪夢。
フランツの親族たちがどんなに不幸な死に方をしたか…というのをトートがみせてくるのだけど、とてもいい。
このふたつがあることでとてもストーリーがわかりやすくなっていますね。
シシィがフランツ(夫)の不貞に気付くのが性病をうつされたから…というあまりに辛い描写は
「それはゆるせないよね」
とずっしり重く…現代においても妻が離婚を決意する理由の上位だもんね。
(夫がやられても同じようにゆるせないだろうけど、人体の構造上女性がもらいやすい場合がある)
「それいるか?」
と思ったのはシシィの父親と家庭教師が不倫してる描写。
ウィーン版もこうなの?
なんかスキャンダラスな要素入れればいいって思ってない?
花總さんのシシィは勝気すぎず繊細すぎず、とても共感しやすい等身大の女性で、シシィに心を重ねて泣いたり喜んだりできました。
キャストの組み合わせ(それぞれの物語解釈があると思うので)や演じた日によって違うのでしょうけど、私が観た回は
「シシィが逃げながらも辛い人生を耐え、死ぬそのときに現世への執着と死の恐怖に打ち勝つ物語」
だと感じました。
トートとの愛の物語だとは思わなかったな。
皆さまとても美しく歌もダンスもステキで、あっという間に観終わってしまった。
悠久の昔を一瞬でタイムトラベルした気分です。
スピっぽい体験もしたのですが、それはガチスピ記事で。
【エリザベート…花總まりさん】
宝塚で12年トップ娘役をつとめた伝説の娘役・花總まりさん。
『1789』のマリーで大好きになっちゃったのです…花總さんのシシィに劇場で会うことができるなんて…感激でございます
上に書いたとおり、勝気すぎず繊細すぎずとても感情移入しやすかった。
少女時代の違和感全くなし。
宝塚でいえばある程度経験をつんだ娘役さんが演じられている、という感じ。
とても幼く愛らしく色気や気品はちょっぴり。
白羽ゆりさんがガラコンサートでシシィを演じられていた時も思ったんだけど、宝塚の元娘役さんってむしろ卒業して大人の女性となられてからの方が幼く愛らしく若返った演技ができる気がする。
自分自身が本当に少女の頃って実は
「幼さ」
「かわいらしさ」
ってリアルな少女性じゃないからだろうな。
大人になってはじめて幼女っぽさだけ抽出して披露できるようになるのかも?
嫁いで、ゾフィーにいじめられて、娘をとりあげられたあたりから
「私は戦う!」
という決意を秘めた大人の女性に変身。
ゾフィーが初夜のベッドの掛布団(カッコいい言い方ないのか)をはぐ場面が死ぬほど気持ち悪かったのでシシィの
「私を妬んでる!」
という言葉が
「そのと~り…」(タケモトピアノ)
でしかなかった。
どんな衣装でもとても美しかったですけど、美しさだけに気負わされる感じはなくて、どの時代のシシィとも友達になれそうな親しみやすさが良かった。
有名な鏡の間のシシィスター×白ドレスの場面は合わせてらっしゃるネックレスが最高に好みだった。
ああいうのがいいと思う。
衣装さんグッジョブ
最後のダンスにせよ、私が踊るときにせよ、トートと歌い踊る場面は自分の心に向き合ってる時間なのかな、と。
「嘘よ!!!」
「私の人生を愛し始めたの、邪魔しないで」
「まだ貴方とは…踊らない」
どれも自分の心との対話に見えたよ。
(これは古川さんのトートが相手だからなんだろうなぁ~井上さんだと全然違うんじゃない?)
今回の公演で一番ビリッときたセリフが花總さんの
「エーヤン、ハンガリー!」
で、一番感動したというか心にせまった言葉がこれまた花總さんの
「少なすぎるくらいよ」(夜のボート)
でした。
さすがです…本当に良かった…。
今の私が考えることだから昔や未来の私が同じように考えるかはわかんないけど、強さも弱さも併せ持ってる、感情も色々変わって安定しない、それが生きてるってことだと思うんだよね。
そしてそんな人間は不器用だけど愛おしい。
そんな主人公を生きてくれたのが花總まりさんだと思いました
歌も演技もダンスも上手いとか下手とか考える必要がないくらい安定していらっしゃったし。
よかったです
あ、忘れずこれも。
島でお父さんの魂(幻?)に会う場面は、私はあれがお父さんの魂だとは思わなかったな。
シシィの心が見せる幻。
だってあまりにもお父さんを理想化しすぎてるんだもん。
シシィは
「パパみたいに、なれない…」
と泣いていたけど、パパそのものですよ。
逃げて旅して子ども傷つけてる。
虐待の連鎖ですね。
シシィがパパを理想化したようにルドルフが母を理想化したのも一緒。
どんなに大人になっても、心に傷ついた子どもの自分が住まう。
わかるなぁ…。
カーテンコール?の優しい微笑みとふか~いおじき、あふれる愛情は相変わらず最高でした。
ずーっと花總さんばかり見てしまうよ。
生命(いのち)いただいている感じなの~。
もう大好き…。
【トート(死)…古川雄大さん】
そのまま宝塚の舞台に立てそうな、とってもとっても美しいトートでした。
「美しいものを見るのは、価値がありますもの」
を体現してくれてましたね。
本当にどの場面も綺麗。
マイクのこととかよくわかんないんだけど、声量があってよ~く響いて、お歌上手だなって思いました。
で、ここから書くことはもしかしたら人によっては否定に聞こえてしまうかもしれないけど否定してないということをまずはわかっていただきたい。
ではいきます。
古川さんのトート、私は
「これもアリだな。
宇宙人トート」
と思った。
どういうことかというと、あらゆるものが薄いの。
(薄いって言葉がネガティブに聞こえてしまったらごめんなさい)
存在感、感情、何もかも。
歌とダンスは上手いんだけどさ。
オープニングでどどーんと歌ってくれてるし、何度も何度も
「お前が愛してるのは俺だ」
と言ってるけど、違うのよ。
宇宙人が地球旅行したら可愛い女の子みつけて
「これかわいい、持って帰る」
「これ持って帰れなきゃやだも~ん」
くらいの軽い気持ちに見えるの。
だから
「愛してる」
も人間キャラとのそれとかけ離れてる感じで。
それがとても良くて、トップスターが演じる宝塚版のトートじゃアウトだろうけどエリザベートが主役の帝劇版なら有りだな、わかりやすいし、ストーリーの展開も納得できるところ多いなって思いました。
「エリザベートが打ち勝つ物語」
にふさわしいです。
ラストでシシィがトートに穏やかな喜びをたたえた笑顔で飛び込んで、抱き合って、キスする。
それが
「私はこの命、生き抜いた」
という感じでトートという存在を愛するだのって次元に見えないのね。
主人公と象徴のやりとりという感じ。
対してトートはキスして抱き合ったとき悲しそうというかショック受けたというか絶望したような目をした。
それが
「エリザベートを手に入れたんじゃない、自分は永遠にエリザベートを失ったんだ」
って気づく表情に私は見えたな。
だから、シシィが勝利する物語。
古川さんはどういう解釈で演じられていたんだろう?
話してるインタビューあったらないいのにな~。
そ、れ、で。
こんな風に感じたので、さらに言えば…トートがあくまで主役の一人として描かれてるのだからもう少し作り込むとステキだったんじゃないかな?と私は勝手に思ったんだよね。
このときのトートだと
「だったらこの場面いらないんじゃないか?」
と思ってしまうところができてしまって、その分シシィ・フランツ・ルドルフに場面をふってほしくなっちゃう。
『ロミオとジュリエット』でいう死のダンサー的な立ち位置まででしょって思っちゃうんだよ~。
宇宙人トートでいくならこれはこれでとってもステキだから、もっと氷のような冷たい無機質さ・人間のはかりしれない異次元感と無邪気な残酷さを研ぎ澄ませてほしい。
悪魔じゃなくて、宇宙人だから…。
最後の表情がすごくステキだったからさ~期待ふくらんじゃうのですよ~。
おそらく今後再演されるとしたら1回はまたトート演じられるでしょうから、頑張ってほしいなぁ。
【今日はここまで!】
さらっと1記事にまとめるつもりだったけどやっぱり長くなっちゃうので1回ここで切りますね。
他のキャラクターについては次で。
頑張って書くぞ!
どういう奇跡が起きたのか全くわからないのですが、帝劇版ミュージカル『エリザベート』を観劇する幸運を授けていただきました。
実は帝劇版の『エリザベート』観劇は何度となく申し込んだけど毎回当選率ゼロ。
「DVDが出ることを願うしかないね…」
と今年はあきらめて、申込みしていませんでした。
そしたら
「『エリザベート』のチケット買った~鳥まりと行きたいから、行こうよ」
と誘っていただけて…というミラクル。
何が起こったのでしょうか…。
とにもかくにもありがたく観てまいりました
記憶が鮮やかに残っているうちに感想を描いておきます
私が観た回は
・エリザベート(シシィ)…花總まりさん
・トート(死)…古川雄大さん
・ルキーニ…成河さん
・フランツ…平方元基さん
・ゾフィー…香寿たつきさん
・ルドルフ…三浦涼介さん
・少年ルドルフ…陣慶昭さん
の組み合わせ。
ではではババ~っと書かせていただきます
【全体的な感想をさらっと】
宝塚版とはちょいちょい違うところがあり、あちらもこちらも良かったですね。
特に帝劇版の魅力となるのが、シシィが島で父親の魂(幻かも)と再会して心の内を吐露する場面。
あと、フランツがみた悪夢。
フランツの親族たちがどんなに不幸な死に方をしたか…というのをトートがみせてくるのだけど、とてもいい。
このふたつがあることでとてもストーリーがわかりやすくなっていますね。
シシィがフランツ(夫)の不貞に気付くのが性病をうつされたから…というあまりに辛い描写は
「それはゆるせないよね」
とずっしり重く…現代においても妻が離婚を決意する理由の上位だもんね。
(夫がやられても同じようにゆるせないだろうけど、人体の構造上女性がもらいやすい場合がある)
「それいるか?」
と思ったのはシシィの父親と家庭教師が不倫してる描写。
ウィーン版もこうなの?
なんかスキャンダラスな要素入れればいいって思ってない?
花總さんのシシィは勝気すぎず繊細すぎず、とても共感しやすい等身大の女性で、シシィに心を重ねて泣いたり喜んだりできました。
キャストの組み合わせ(それぞれの物語解釈があると思うので)や演じた日によって違うのでしょうけど、私が観た回は
「シシィが逃げながらも辛い人生を耐え、死ぬそのときに現世への執着と死の恐怖に打ち勝つ物語」
だと感じました。
トートとの愛の物語だとは思わなかったな。
皆さまとても美しく歌もダンスもステキで、あっという間に観終わってしまった。
悠久の昔を一瞬でタイムトラベルした気分です。
スピっぽい体験もしたのですが、それはガチスピ記事で。
【エリザベート…花總まりさん】
宝塚で12年トップ娘役をつとめた伝説の娘役・花總まりさん。
『1789』のマリーで大好きになっちゃったのです…花總さんのシシィに劇場で会うことができるなんて…感激でございます
上に書いたとおり、勝気すぎず繊細すぎずとても感情移入しやすかった。
少女時代の違和感全くなし。
宝塚でいえばある程度経験をつんだ娘役さんが演じられている、という感じ。
とても幼く愛らしく色気や気品はちょっぴり。
白羽ゆりさんがガラコンサートでシシィを演じられていた時も思ったんだけど、宝塚の元娘役さんってむしろ卒業して大人の女性となられてからの方が幼く愛らしく若返った演技ができる気がする。
自分自身が本当に少女の頃って実は
「幼さ」
「かわいらしさ」
ってリアルな少女性じゃないからだろうな。
大人になってはじめて幼女っぽさだけ抽出して披露できるようになるのかも?
嫁いで、ゾフィーにいじめられて、娘をとりあげられたあたりから
「私は戦う!」
という決意を秘めた大人の女性に変身。
ゾフィーが初夜のベッドの掛布団(カッコいい言い方ないのか)をはぐ場面が死ぬほど気持ち悪かったのでシシィの
「私を妬んでる!」
という言葉が
「そのと~り…」(タケモトピアノ)
でしかなかった。
どんな衣装でもとても美しかったですけど、美しさだけに気負わされる感じはなくて、どの時代のシシィとも友達になれそうな親しみやすさが良かった。
有名な鏡の間のシシィスター×白ドレスの場面は合わせてらっしゃるネックレスが最高に好みだった。
ああいうのがいいと思う。
衣装さんグッジョブ
最後のダンスにせよ、私が踊るときにせよ、トートと歌い踊る場面は自分の心に向き合ってる時間なのかな、と。
「嘘よ!!!」
「私の人生を愛し始めたの、邪魔しないで」
「まだ貴方とは…踊らない」
どれも自分の心との対話に見えたよ。
(これは古川さんのトートが相手だからなんだろうなぁ~井上さんだと全然違うんじゃない?)
今回の公演で一番ビリッときたセリフが花總さんの
「エーヤン、ハンガリー!」
で、一番感動したというか心にせまった言葉がこれまた花總さんの
「少なすぎるくらいよ」(夜のボート)
でした。
さすがです…本当に良かった…。
今の私が考えることだから昔や未来の私が同じように考えるかはわかんないけど、強さも弱さも併せ持ってる、感情も色々変わって安定しない、それが生きてるってことだと思うんだよね。
そしてそんな人間は不器用だけど愛おしい。
そんな主人公を生きてくれたのが花總まりさんだと思いました
歌も演技もダンスも上手いとか下手とか考える必要がないくらい安定していらっしゃったし。
よかったです
あ、忘れずこれも。
島でお父さんの魂(幻?)に会う場面は、私はあれがお父さんの魂だとは思わなかったな。
シシィの心が見せる幻。
だってあまりにもお父さんを理想化しすぎてるんだもん。
シシィは
「パパみたいに、なれない…」
と泣いていたけど、パパそのものですよ。
逃げて旅して子ども傷つけてる。
虐待の連鎖ですね。
シシィがパパを理想化したようにルドルフが母を理想化したのも一緒。
どんなに大人になっても、心に傷ついた子どもの自分が住まう。
わかるなぁ…。
カーテンコール?の優しい微笑みとふか~いおじき、あふれる愛情は相変わらず最高でした。
ずーっと花總さんばかり見てしまうよ。
生命(いのち)いただいている感じなの~。
もう大好き…。
【トート(死)…古川雄大さん】
そのまま宝塚の舞台に立てそうな、とってもとっても美しいトートでした。
「美しいものを見るのは、価値がありますもの」
を体現してくれてましたね。
本当にどの場面も綺麗。
マイクのこととかよくわかんないんだけど、声量があってよ~く響いて、お歌上手だなって思いました。
で、ここから書くことはもしかしたら人によっては否定に聞こえてしまうかもしれないけど否定してないということをまずはわかっていただきたい。
ではいきます。
古川さんのトート、私は
「これもアリだな。
宇宙人トート」
と思った。
どういうことかというと、あらゆるものが薄いの。
(薄いって言葉がネガティブに聞こえてしまったらごめんなさい)
存在感、感情、何もかも。
歌とダンスは上手いんだけどさ。
オープニングでどどーんと歌ってくれてるし、何度も何度も
「お前が愛してるのは俺だ」
と言ってるけど、違うのよ。
宇宙人が地球旅行したら可愛い女の子みつけて
「これかわいい、持って帰る」
「これ持って帰れなきゃやだも~ん」
くらいの軽い気持ちに見えるの。
だから
「愛してる」
も人間キャラとのそれとかけ離れてる感じで。
それがとても良くて、トップスターが演じる宝塚版のトートじゃアウトだろうけどエリザベートが主役の帝劇版なら有りだな、わかりやすいし、ストーリーの展開も納得できるところ多いなって思いました。
「エリザベートが打ち勝つ物語」
にふさわしいです。
ラストでシシィがトートに穏やかな喜びをたたえた笑顔で飛び込んで、抱き合って、キスする。
それが
「私はこの命、生き抜いた」
という感じでトートという存在を愛するだのって次元に見えないのね。
主人公と象徴のやりとりという感じ。
対してトートはキスして抱き合ったとき悲しそうというかショック受けたというか絶望したような目をした。
それが
「エリザベートを手に入れたんじゃない、自分は永遠にエリザベートを失ったんだ」
って気づく表情に私は見えたな。
だから、シシィが勝利する物語。
古川さんはどういう解釈で演じられていたんだろう?
話してるインタビューあったらないいのにな~。
そ、れ、で。
こんな風に感じたので、さらに言えば…トートがあくまで主役の一人として描かれてるのだからもう少し作り込むとステキだったんじゃないかな?と私は勝手に思ったんだよね。
このときのトートだと
「だったらこの場面いらないんじゃないか?」
と思ってしまうところができてしまって、その分シシィ・フランツ・ルドルフに場面をふってほしくなっちゃう。
『ロミオとジュリエット』でいう死のダンサー的な立ち位置まででしょって思っちゃうんだよ~。
宇宙人トートでいくならこれはこれでとってもステキだから、もっと氷のような冷たい無機質さ・人間のはかりしれない異次元感と無邪気な残酷さを研ぎ澄ませてほしい。
悪魔じゃなくて、宇宙人だから…。
最後の表情がすごくステキだったからさ~期待ふくらんじゃうのですよ~。
おそらく今後再演されるとしたら1回はまたトート演じられるでしょうから、頑張ってほしいなぁ。
【今日はここまで!】
さらっと1記事にまとめるつもりだったけどやっぱり長くなっちゃうので1回ここで切りますね。
他のキャラクターについては次で。
頑張って書くぞ!