【生き様を汚すなかれ】
太田道灌(おおた・どうかん)という室町時代後期を生きた武将がいる。
江戸城を築城した人であり、文武両道の名将であったとも伝承されている。
しかし、強いということは多くの“誰か”を消したということ。
消された者たちやその子孫の恨みたるや…です。
それはどんな偉人にも歴史にも言えることですが。
※太田道灌
(Wikipedia)
彼は歌にも秀でた人であったと言われている。
絶世の句には品格があふれていると私は思う。
刺客に
「かかる時 さこそ命の 惜しからめ(こんな時はさぞや命が惜しいだろう?)」
と上の句を詠まれ、
「かねてなき身と 思ひ知らずば(もとよりこの身に命があるなど思ったことはありませぬ)」
この下の句を詠んだという。
(現代語訳は私の感覚なんで、解釈違いの人がいたらすみません)
常に考えていなければ出てこない言葉だ。
立派な人だな、と思った。
侍、武士と呼ばれる武家の人々は時に崇拝され時に蔑まれる不思議な存在だけど、武家にはあの世界の強い絆があってそれぞれの場所で誇りを持って生き抜いたのだなーと年取るほど私は思う。
立派だな、と。
宝塚歌劇の名作で『桜華に舞え』という作品がある。
星組公演で、トップコンビ北翔海莉さんと妃海風さんの退団作。
明治維新から戊辰戦争にかけてを生きて散っていった侍たちの物語で、メインは主人公たちの薩摩藩ですが会津藩の重要キャラクターに永久に輝くと書いて“永輝(ながてる)”と読ませる人がいたりして、色んな方面に敬意を感じる。
ちなみに永輝を演じられたのは現在(2022年)星組トップスターである礼真琴さんです。
※桜華に舞え -SAMURAI The FINAL-(Wikipedia)
この作品は実は男性人気がすさまじくて、老いも若きも殿方が必死に観劇してはひっそり涙していたのだとか。
(長年宝塚ファンやっているお友達も当時びっくりしていた)
「血、だろうな…」
と私は考えてしまう。
明治維新は時代が近いし、まだまだ先祖の記憶も鮮明だろう。
武家は特に男の子に想いを継承させる側面ありそうだしねえ…。
歴史を、明らかに
「これは歴史とは違うパロディーです」
としないで作品化する時に最も大切なことは敬意だと私は思う。
作家・演者の
「ボクチン(orアテクシ)ってこんなにすごいんだじょ!」
をやると魂や血に嫌がられるし、ましてや改ざんしたり
「当時彼らが忌み嫌った」
ことをあたかも本当のように表現すると怒られるようだ。
歴史を、人を、つまり命を扱うのは怖いことみたい。
…っていうのはね。
とある作品である名将を扱った時。
ご本人やその側近の子孫がたまたま私の周りにいたものだから、
「今度○○って作品やるんですよー」
とお伝えしたのよ。
「えーうちの先祖なんだよ」
「こんな美形がやってくれるなんて嬉しい」
と当初は喜ばれていたのですが…その作品が世に出て、彼ら・彼女らもDVDだかブルーレイだかを買ってそれを観たら、もうすごかった。
「こんな表現するなんてひどすぎる!
○○を汚された気がする!」
「侵しちゃいけないいけない領域ってのがあるだろうが!」
って、普通じゃないくらいめっちゃくちゃ怒っててね。
(ふだんはとてもエレガントで怒ったりしない人たち)
あれは御先祖さまネットワークに作品が届いてしまって、血や魂が怒りまくっていたんだと思う。
ふつうじゃなかった。
今の価値観だったら素敵に見えることも、当時の人にはゆるせない冒涜だったりするからね…。
人と関わる時、己の見方・受け止め方だけでなく相手の目と心でみようとする努力が必要だ。
人気がある人ほど…それは求められるのかもしれない。
オリジナルへの敬意、というか。
人と人との礼儀、というか。
けっこう怖いよ。
太田道灌(おおた・どうかん)という室町時代後期を生きた武将がいる。
江戸城を築城した人であり、文武両道の名将であったとも伝承されている。
しかし、強いということは多くの“誰か”を消したということ。
消された者たちやその子孫の恨みたるや…です。
それはどんな偉人にも歴史にも言えることですが。
※太田道灌
(Wikipedia)
彼は歌にも秀でた人であったと言われている。
絶世の句には品格があふれていると私は思う。
刺客に
「かかる時 さこそ命の 惜しからめ(こんな時はさぞや命が惜しいだろう?)」
と上の句を詠まれ、
「かねてなき身と 思ひ知らずば(もとよりこの身に命があるなど思ったことはありませぬ)」
この下の句を詠んだという。
(現代語訳は私の感覚なんで、解釈違いの人がいたらすみません)
常に考えていなければ出てこない言葉だ。
立派な人だな、と思った。
侍、武士と呼ばれる武家の人々は時に崇拝され時に蔑まれる不思議な存在だけど、武家にはあの世界の強い絆があってそれぞれの場所で誇りを持って生き抜いたのだなーと年取るほど私は思う。
立派だな、と。
宝塚歌劇の名作で『桜華に舞え』という作品がある。
星組公演で、トップコンビ北翔海莉さんと妃海風さんの退団作。
明治維新から戊辰戦争にかけてを生きて散っていった侍たちの物語で、メインは主人公たちの薩摩藩ですが会津藩の重要キャラクターに永久に輝くと書いて“永輝(ながてる)”と読ませる人がいたりして、色んな方面に敬意を感じる。
ちなみに永輝を演じられたのは現在(2022年)星組トップスターである礼真琴さんです。
※桜華に舞え -SAMURAI The FINAL-(Wikipedia)
この作品は実は男性人気がすさまじくて、老いも若きも殿方が必死に観劇してはひっそり涙していたのだとか。
(長年宝塚ファンやっているお友達も当時びっくりしていた)
「血、だろうな…」
と私は考えてしまう。
明治維新は時代が近いし、まだまだ先祖の記憶も鮮明だろう。
武家は特に男の子に想いを継承させる側面ありそうだしねえ…。
歴史を、明らかに
「これは歴史とは違うパロディーです」
としないで作品化する時に最も大切なことは敬意だと私は思う。
作家・演者の
「ボクチン(orアテクシ)ってこんなにすごいんだじょ!」
をやると魂や血に嫌がられるし、ましてや改ざんしたり
「当時彼らが忌み嫌った」
ことをあたかも本当のように表現すると怒られるようだ。
歴史を、人を、つまり命を扱うのは怖いことみたい。
…っていうのはね。
とある作品である名将を扱った時。
ご本人やその側近の子孫がたまたま私の周りにいたものだから、
「今度○○って作品やるんですよー」
とお伝えしたのよ。
「えーうちの先祖なんだよ」
「こんな美形がやってくれるなんて嬉しい」
と当初は喜ばれていたのですが…その作品が世に出て、彼ら・彼女らもDVDだかブルーレイだかを買ってそれを観たら、もうすごかった。
「こんな表現するなんてひどすぎる!
○○を汚された気がする!」
「侵しちゃいけないいけない領域ってのがあるだろうが!」
って、普通じゃないくらいめっちゃくちゃ怒っててね。
(ふだんはとてもエレガントで怒ったりしない人たち)
あれは御先祖さまネットワークに作品が届いてしまって、血や魂が怒りまくっていたんだと思う。
ふつうじゃなかった。
今の価値観だったら素敵に見えることも、当時の人にはゆるせない冒涜だったりするからね…。
人と関わる時、己の見方・受け止め方だけでなく相手の目と心でみようとする努力が必要だ。
人気がある人ほど…それは求められるのかもしれない。
オリジナルへの敬意、というか。
人と人との礼儀、というか。
けっこう怖いよ。