※デリケートな内容なので固有名詞や所属の名前はフェイクを入れまくっていますが、現実に存在する人たちについての考察です※
【王子様と苦学生】
ロシアの近くのある国に生まれた男の子。
彼の名前はアレクサンドル。
愛称サーシャ。
サーシャは典型的な貧困家庭に生まれた。
お腹いっぱいご飯を食べることも、高い洋服を着ることも、暖かい家に住むことも、もちろん高等教育を受けることも、彼には叶えられない遠い夢だった。
しかし彼にはふたつの武器があった。
それは舞踏が特別上手かったこと、そして手足の長い美少年だったこと。
彼の才能は瞬く間に知れ渡り、12才のときに世界中から才能ある美少女と美少年しか入れてもらえない芸術学校に入学できることになった。
富豪の子女も多い学校だったが、サーシャは実家に学費と生活費を出してもらうことはできない。
しかし彼には踊りで鍛えた美貌がある。
週末彼は都会に出て、ファッションモデルのアルバイトをすることにした。
学校では美貌のボーナスポイントでなんとか優秀クラスのビリの位置にいられるサーシャだったが、モデルの世界では無敵だった。
ダイエットも美しいポーズ・ウォーキングするための練習も、何も彼にはいらない。
踊ることでそれらはすべて習得できているから。
高級ブランドとの仕事をどんどん取って、学費に生活費、家族への仕送りだってできるようになった。
でも、サーシャの夢は世界で愛されるダンサー。
ある年の春、サーシャは憧れの劇団に入ることができた。
ここで踊りつづけられるかは、神のみぞ知る…。
そしてもう一人の男の子は、温暖なある経済大国の、大金持ちの家に生まれた。
彼の名はレックス。
周囲はレックスが父のあとを継ぐことを期待したが、それは昔からぜったいに嫌だった。
レックスは、美しい自分になりたかった。
そしてハイブランドの服に身を包むスーパーモデルになりたい。
瞳の大きな手足の長い痩身の美青年。
それがレックスの唯一絶対的な美しい自分像だった。
ダイエット、手足を長くするためのあらゆることをした。
美肌づくりもした。
雪のような真っ白な肌を手に入れた。
メイクの修行もいっぱいした。
腫れぼったいまぶたの小さな瞳だって、メイクで3倍には見せられるようになった。
けれど、父親ゆずりの立派なアゴ、丸い鼻はどうにもならない。
レックスは父親のくれるお金を整形手術に使うことに決めた。
目を大きく、鼻はすらっと高く長く、アゴはシャープにすっきりと。
どんな激痛にだって耐えた、理想の自分の顔になるためなら何度だって。
そうして努力して、レックスは別人のような姿になった。
「整形中毒」
「親のお金を、親からもらった体を傷つけるために使うなんて」
「病気」
言いたいやつはなんとでも言え、と思った。
レックスには悪口を言われることよりも“理想と違う自分の姿”を受け入れることのほうがずっとずっと苦しいことだったのだ。
【わたしが思うのは…】
さて、サーシャとレックス。
二人の生き方をジャッジすることは誰にもできません。
彼らの人生は彼らのものだから。
でも、私はレックスを先に知って、サーシャを後に知った時、もうなんというか…すごく切ない気持ちになったんだよね。
というのは
「ああ、レックスはサーシャになりたかったんだな」
って思ったからです。
整形って私たちが想像するほど万能なものではなくて、たとえば石原さとみさんのお顔を新垣結衣さんのお顔と同じにすることもその逆もぜったいできないんですよ。
(少なくとも今の技術では)
変えられないところもいっぱいあるのだ。
レックスはお人形ちゃんのような大きな瞳になったけれど、サーシャの大きな瞳とは全然違う。
サーシャは手術しなくても高級ブランドのモデルになれる。
でもレックスはなれない。
サーシャを
「なんて綺麗なの~」
ともてはやす人は多いけれど、レックスはたいてい
「なにあの人、整形??」
って驚かれる。
レックスは
「自分が大好きな自分であればいい」
と言った。
でも私はその言葉をそのままの意味で受け取ることはどうしてもできない。
その理由は感じ取った、としか言えないけど。
サーシャの持つ“美形として認知されつづけた人特有の自信・いきすぎれば傲慢さ”がレックスには全くなかったから。
かといって悟ったような穏やかさもレックスにはない。
いつもいつも、彼からは渇望感と虚無感を感じるからです。
整形美女・美男でも満たされた人はもっと落ち着いてるんだよな…。
もしかして、レックスが求めるものは美貌だけで得られるものじゃないのかも。
でも
「美しい自分になれれば、満たされる」
って信じ込んでいるのかも。
メイクもダイエットも整形も、やりたいなら極めればいい。
だけどレックスの本当に欲しいものはその先には、きっとない。
そんな気がしてならないのだ…。
【王子様と苦学生】
ロシアの近くのある国に生まれた男の子。
彼の名前はアレクサンドル。
愛称サーシャ。
サーシャは典型的な貧困家庭に生まれた。
お腹いっぱいご飯を食べることも、高い洋服を着ることも、暖かい家に住むことも、もちろん高等教育を受けることも、彼には叶えられない遠い夢だった。
しかし彼にはふたつの武器があった。
それは舞踏が特別上手かったこと、そして手足の長い美少年だったこと。
彼の才能は瞬く間に知れ渡り、12才のときに世界中から才能ある美少女と美少年しか入れてもらえない芸術学校に入学できることになった。
富豪の子女も多い学校だったが、サーシャは実家に学費と生活費を出してもらうことはできない。
しかし彼には踊りで鍛えた美貌がある。
週末彼は都会に出て、ファッションモデルのアルバイトをすることにした。
学校では美貌のボーナスポイントでなんとか優秀クラスのビリの位置にいられるサーシャだったが、モデルの世界では無敵だった。
ダイエットも美しいポーズ・ウォーキングするための練習も、何も彼にはいらない。
踊ることでそれらはすべて習得できているから。
高級ブランドとの仕事をどんどん取って、学費に生活費、家族への仕送りだってできるようになった。
でも、サーシャの夢は世界で愛されるダンサー。
ある年の春、サーシャは憧れの劇団に入ることができた。
ここで踊りつづけられるかは、神のみぞ知る…。
そしてもう一人の男の子は、温暖なある経済大国の、大金持ちの家に生まれた。
彼の名はレックス。
周囲はレックスが父のあとを継ぐことを期待したが、それは昔からぜったいに嫌だった。
レックスは、美しい自分になりたかった。
そしてハイブランドの服に身を包むスーパーモデルになりたい。
瞳の大きな手足の長い痩身の美青年。
それがレックスの唯一絶対的な美しい自分像だった。
ダイエット、手足を長くするためのあらゆることをした。
美肌づくりもした。
雪のような真っ白な肌を手に入れた。
メイクの修行もいっぱいした。
腫れぼったいまぶたの小さな瞳だって、メイクで3倍には見せられるようになった。
けれど、父親ゆずりの立派なアゴ、丸い鼻はどうにもならない。
レックスは父親のくれるお金を整形手術に使うことに決めた。
目を大きく、鼻はすらっと高く長く、アゴはシャープにすっきりと。
どんな激痛にだって耐えた、理想の自分の顔になるためなら何度だって。
そうして努力して、レックスは別人のような姿になった。
「整形中毒」
「親のお金を、親からもらった体を傷つけるために使うなんて」
「病気」
言いたいやつはなんとでも言え、と思った。
レックスには悪口を言われることよりも“理想と違う自分の姿”を受け入れることのほうがずっとずっと苦しいことだったのだ。
【わたしが思うのは…】
さて、サーシャとレックス。
二人の生き方をジャッジすることは誰にもできません。
彼らの人生は彼らのものだから。
でも、私はレックスを先に知って、サーシャを後に知った時、もうなんというか…すごく切ない気持ちになったんだよね。
というのは
「ああ、レックスはサーシャになりたかったんだな」
って思ったからです。
整形って私たちが想像するほど万能なものではなくて、たとえば石原さとみさんのお顔を新垣結衣さんのお顔と同じにすることもその逆もぜったいできないんですよ。
(少なくとも今の技術では)
変えられないところもいっぱいあるのだ。
レックスはお人形ちゃんのような大きな瞳になったけれど、サーシャの大きな瞳とは全然違う。
サーシャは手術しなくても高級ブランドのモデルになれる。
でもレックスはなれない。
サーシャを
「なんて綺麗なの~」
ともてはやす人は多いけれど、レックスはたいてい
「なにあの人、整形??」
って驚かれる。
レックスは
「自分が大好きな自分であればいい」
と言った。
でも私はその言葉をそのままの意味で受け取ることはどうしてもできない。
その理由は感じ取った、としか言えないけど。
サーシャの持つ“美形として認知されつづけた人特有の自信・いきすぎれば傲慢さ”がレックスには全くなかったから。
かといって悟ったような穏やかさもレックスにはない。
いつもいつも、彼からは渇望感と虚無感を感じるからです。
整形美女・美男でも満たされた人はもっと落ち着いてるんだよな…。
もしかして、レックスが求めるものは美貌だけで得られるものじゃないのかも。
でも
「美しい自分になれれば、満たされる」
って信じ込んでいるのかも。
メイクもダイエットも整形も、やりたいなら極めればいい。
だけどレックスの本当に欲しいものはその先には、きっとない。
そんな気がしてならないのだ…。