【社会に影響され、染まりながら、僕は生きる】
このブログを書き始めてから、4月で丸9年になります。
飽きっぽい私が9年も何かを続けることができるなんて…と数字にじ~んときてしまいますが、もちろん大切なのは中身。
この9年で変わったところも変わらなかったところもたくさんあるけど、一番大きく変わったのはモテたいと思わなくなったことと、
「正解はひとつ」
だと思っていたことに
「そんなこともないだろう」
と考えるようになったこと、そして生かせているかはさておき、なんであれ社会からの影響を考える視点ができたことですね。
モテなくてもいいなと思うこと、正解はひとつではないと思えること、そして社会の影響を考えること。
これもすべて、私という人間が今の時代を主に日本で生きてるからこその変化なんですよね。
本当に
「当たり前」
が
「そんなこともない」
とわかってきたもの、多くの人が。
モテたいとかつて私が強く考えていたのは、幼さゆえもあるでしょうが
「モテれば幸せになる(モテなければ幸せになれない)」
という世間の刷り込みによるところがほとんどだったんじゃないかな。
モテ同様
「正しい○○」
「かっこいい○○」
「憧れられるべき○○」
ほとんどが世間の教え込んだものばかりだったんじゃないかな。
各種差別反対に頑張っておられる先輩方が切り開いくれたから、私にも変化の波がきた。
自分で考えることの大切さ、自分が好きだと思える心の大切さ、そしてそれすらも時代や社会の影響がゼロではないんだと知ること。
私なりに大人になったなと思いますね。
思考力ってそれこそ最高学府(東大・ハーバードって意味じゃなく、主に大学機関をさす言葉)の役割な気がするけど、まぁえらいとされる人にも思考停止してる方がめずらしくないことを思えば、無理なのかもな~
【人は本当に死んでしまう】
某大手広告会社で若い女性が過労の果てに死に追い込まれたあの痛ましい事件を忘れた人はいないでしょう。
でもあの事件は…けして珍しい事件じゃない。
悲しいことだけど、自殺も過労死も、パワハラのせいで精神を病むことも、本当にそこらじゅうで今も昔もある。
こういうことは近い経験をしたり、なにか共通項(たとえば、東京で働くとか、20代の若者であるとか)があると強く強く反応するものです。
有名人でも周囲の人でも、ある日突然いってしまった人が多いと、考えざるを得ないよ。
元気いっぱいに働いていたのに、心臓が突然止まって亡くなってしまった人。
昨日まで隣で笑っていたのに、事故でなくなってしまった人。
病気になってからあっという間に旅立ってしまった人。
彼女のように、追い詰められた果てに命を絶ってしまった人。
知っていたつもりだけど、心と体の両方で嫌というほど思い知らされる。
人は本当に死んでしまう。
それがわかると心の中で取捨選択がはじまるんです。
見栄とか、思い込みとか、世間との付き合い方とかね。
これは知り合いの話なんだけど、男尊女卑色が特に強いとある地方都市に生まれ育ったレディーは(今にして思えば)男社会に虐げられすぎた年上女性たちの憂さ晴らしに幼い頃から一身にブスハラ(ブスハラスメント。セクハラの一種でルッキズム的思想から醜いとかダメだとか攻撃しまくる)を受けつづけ、アラサーでぶっ倒れた。
彼女は
「ここにいたら殺されてしまう」
と気付いて少し都会の街で一人暮らしをするようになった。
しばらくはフラッシュバックがあったけれど、きちんと精神科のカウンセリングに通いながら元気と自己を取り戻しています。
身近の人が大切にしてるものが自分にも大切とは限らないからね…。
【お待たせ!自信とあきらめはそっくりさん】
さて、長いこと書いてきましたがやっとタイトルの内容を。
「正解はひとつ」
「○○に従え!!」
ってな価値観でできあがってる世界は、
「ここから外れたらなんかわからないけどとんでもない悪いことが起きる!」
と思い込まされます。
でも
「それにつきあってたら死んじゃう!」
って気付いて、距離をとろうとするでしょ。
そのひとつのバリエーションがあきらめです。
例えば
「痩せてお目めぱっちりな若い美女じゃないと価値がない!」
↓
「別にいいや、痩せないし、目小さいし、どうせ年とるし」
「体育会系で寝ないで働かなきゃ男じゃない!」
↓
「それやったら死ぬから、自分は降りる」
とあきらめるなど。
モテや可愛い戦争も同じです。
で、あきらめると
「あ、意外とそうじゃなくても自分生きていけるじゃん」
「むしろ心地いいかも」
「この場所での幸せ、作ってみっか」
とかえって希望とパワーがわいてくるんですよ。
で、このパワーはそれまでの不安由来の原動力と違って他人にべたーっと感じさせるようものではないので
「○○さん、素敵だね」
「○○さんのああいう雰囲気は好きだな」
って思われたりするんだな
ここでモテや賞賛に固執すると以前と同じなので、他人に○○してほしい欲を捨てられてるかがポイント。
ポテンシャルがあり努力ができる人はさておき、こっちになった方が美しいと思われることが多かったり、好まれたりしてね。
べたーっと感がないと自信があるように見えるらしい。
あきらめが余裕を作ってくれるんだと思います。
というわけで、あきらめは敗北って思われがちだけど、意外とそうでもないって話なのです。
もうすぐ新年度で、スピ好きさんには新月だしで、ちょっと
「あきらめてもいいもの」
について考えてみるのいいかもしれませんよ。
キラキラしてないけど、損にはならないと思うな。
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このブログを書き始めてから、4月で丸9年になります。
飽きっぽい私が9年も何かを続けることができるなんて…と数字にじ~んときてしまいますが、もちろん大切なのは中身。
この9年で変わったところも変わらなかったところもたくさんあるけど、一番大きく変わったのはモテたいと思わなくなったことと、
「正解はひとつ」
だと思っていたことに
「そんなこともないだろう」
と考えるようになったこと、そして生かせているかはさておき、なんであれ社会からの影響を考える視点ができたことですね。
モテなくてもいいなと思うこと、正解はひとつではないと思えること、そして社会の影響を考えること。
これもすべて、私という人間が今の時代を主に日本で生きてるからこその変化なんですよね。
本当に
「当たり前」
が
「そんなこともない」
とわかってきたもの、多くの人が。
モテたいとかつて私が強く考えていたのは、幼さゆえもあるでしょうが
「モテれば幸せになる(モテなければ幸せになれない)」
という世間の刷り込みによるところがほとんどだったんじゃないかな。
モテ同様
「正しい○○」
「かっこいい○○」
「憧れられるべき○○」
ほとんどが世間の教え込んだものばかりだったんじゃないかな。
各種差別反対に頑張っておられる先輩方が切り開いくれたから、私にも変化の波がきた。
自分で考えることの大切さ、自分が好きだと思える心の大切さ、そしてそれすらも時代や社会の影響がゼロではないんだと知ること。
私なりに大人になったなと思いますね。
思考力ってそれこそ最高学府(東大・ハーバードって意味じゃなく、主に大学機関をさす言葉)の役割な気がするけど、まぁえらいとされる人にも思考停止してる方がめずらしくないことを思えば、無理なのかもな~
【人は本当に死んでしまう】
某大手広告会社で若い女性が過労の果てに死に追い込まれたあの痛ましい事件を忘れた人はいないでしょう。
でもあの事件は…けして珍しい事件じゃない。
悲しいことだけど、自殺も過労死も、パワハラのせいで精神を病むことも、本当にそこらじゅうで今も昔もある。
こういうことは近い経験をしたり、なにか共通項(たとえば、東京で働くとか、20代の若者であるとか)があると強く強く反応するものです。
有名人でも周囲の人でも、ある日突然いってしまった人が多いと、考えざるを得ないよ。
元気いっぱいに働いていたのに、心臓が突然止まって亡くなってしまった人。
昨日まで隣で笑っていたのに、事故でなくなってしまった人。
病気になってからあっという間に旅立ってしまった人。
彼女のように、追い詰められた果てに命を絶ってしまった人。
知っていたつもりだけど、心と体の両方で嫌というほど思い知らされる。
人は本当に死んでしまう。
それがわかると心の中で取捨選択がはじまるんです。
見栄とか、思い込みとか、世間との付き合い方とかね。
これは知り合いの話なんだけど、男尊女卑色が特に強いとある地方都市に生まれ育ったレディーは(今にして思えば)男社会に虐げられすぎた年上女性たちの憂さ晴らしに幼い頃から一身にブスハラ(ブスハラスメント。セクハラの一種でルッキズム的思想から醜いとかダメだとか攻撃しまくる)を受けつづけ、アラサーでぶっ倒れた。
彼女は
「ここにいたら殺されてしまう」
と気付いて少し都会の街で一人暮らしをするようになった。
しばらくはフラッシュバックがあったけれど、きちんと精神科のカウンセリングに通いながら元気と自己を取り戻しています。
身近の人が大切にしてるものが自分にも大切とは限らないからね…。
【お待たせ!自信とあきらめはそっくりさん】
さて、長いこと書いてきましたがやっとタイトルの内容を。
「正解はひとつ」
「○○に従え!!」
ってな価値観でできあがってる世界は、
「ここから外れたらなんかわからないけどとんでもない悪いことが起きる!」
と思い込まされます。
でも
「それにつきあってたら死んじゃう!」
って気付いて、距離をとろうとするでしょ。
そのひとつのバリエーションがあきらめです。
例えば
「痩せてお目めぱっちりな若い美女じゃないと価値がない!」
↓
「別にいいや、痩せないし、目小さいし、どうせ年とるし」
「体育会系で寝ないで働かなきゃ男じゃない!」
↓
「それやったら死ぬから、自分は降りる」
とあきらめるなど。
モテや可愛い戦争も同じです。
で、あきらめると
「あ、意外とそうじゃなくても自分生きていけるじゃん」
「むしろ心地いいかも」
「この場所での幸せ、作ってみっか」
とかえって希望とパワーがわいてくるんですよ。
で、このパワーはそれまでの不安由来の原動力と違って他人にべたーっと感じさせるようものではないので
「○○さん、素敵だね」
「○○さんのああいう雰囲気は好きだな」
って思われたりするんだな
ここでモテや賞賛に固執すると以前と同じなので、他人に○○してほしい欲を捨てられてるかがポイント。
ポテンシャルがあり努力ができる人はさておき、こっちになった方が美しいと思われることが多かったり、好まれたりしてね。
べたーっと感がないと自信があるように見えるらしい。
あきらめが余裕を作ってくれるんだと思います。
というわけで、あきらめは敗北って思われがちだけど、意外とそうでもないって話なのです。
もうすぐ新年度で、スピ好きさんには新月だしで、ちょっと
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について考えてみるのいいかもしれませんよ。
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