こんばんはZUYAさんです
休日2日目。東京地方は予報通りに、曇り空から雨に変わりました。冬らしい冷たい雨です
昨夜は結局コンビニまで飲み物(ええ、もちろんヤクルトではなくお酒です)を買いに行きました。そしてひたすら音楽を聴きながらチビチビとやり布団に入ったのは午前3時頃...目が覚めると家人が仕事に行く準備中でした
ZUYAさんは休日は可能な限り家人を見送るために、朝は必ず起きることを心掛けています(逆は...まぁZUYAさんが出る時間が早いので...)。今日は特段しないといけない予定もない上に、昨日中途半端に出掛けてお金を使ったので本日は節約モード、家で音楽を聴きながらブルーズに思いを馳せていました
一日家の中で...と思ってましたが、“ブルージー番長”らしくいつものようにハプニングが起こり、独りでいることがツラくなり馴染みのお寿司屋さんへランチに出掛けました(もう...懐は火の車かも...)
流石にこのツマミだけで、握りは無し
さて今日は本来のZUYAさんらしい音楽の話を書きます。興味のない方、苦手な方は例によって「スキップボタン」をポチッとしてくださいね
Chicago, Illinois, U.S.A
ZUYAさんのブルーズとの邂逅は今から30年ほど前、The Beatlesの影響下にあるBilly Joelなどのロックを聴いていた時期に、Rod Stewart擁するThe Facesを知ってブルーズをベースにしたロックに興味を持ち始めたわけです
やがてブルーズそのものに魅了され、行きついたのは過酷なアメリカの黒人たちの歴史の中から生まれたブルーズを体験するために北米に行くと言うこと。しかも音楽留学とかではなく、彼らと同様に農場で奴隷のように使われてその精神を少しでも理解しようと言う一風変わったアプローチでした
ところが北米に渡ったものの何度かブログで記していますが、Big Dave Mcleanを始めとする現役ブルーズマン達との運命的な出逢いにより、音楽の道へと進むことになったわけです。そしてまた北米ではブルーズと同様にポピュラーであるカントリー・ミュージックの魅力をも知り、そちらにも耳を傾けることに。実際多くのブルーズ・バンドがレパートリーの中にカントリー・ソングを入れたり、その逆もあるわけです
ブルーズには色々な種類があり、場所によってもスタイルが異なります。ミシシッピ、テキサス、メンフィス、イーストコースト、ウエストコース、そしてシカゴと言った具合いにね。その中でもZUYAさんが一番魅了されたのは、シカゴ・ブルーズです
そのシカゴでさえ、当時から昼間は工場で働いたりトラックの運転手をしたりしながら、ブルーズマンたちは演奏活動を続けていたわけです。ええ演奏だけで食べて行くと言うのは、古今東西ほんの一握りだったわけです
先ほどから載せている街の写真は2000年にカナダから帰国する際に、憧れのChicagoを訪問した時のもので恐らく当時アメリカで一番高かったWillis Towerから撮ったものだと思います。シカゴはイリノイ州で一番大きな街ですが、州都はSpringfield市になります。2000年とは言え、その当時でもやはりサウス・サイドやウエスト・サイドと呼ばれる黒人街は、実にディープなエリアでした(大阪市西成区の比ではない!?)
言ってみれば普通に観光で訪れるのなら行く必要のないエリアですからね。ただせっかくブルーズと言う音楽の街としても有名なシカゴに訪れたのなら、少しでも危険を回避して市の中心部にある観光客向けのブルース・クラブで楽しむことをお勧めします(現況はよく知りませんが...)
でもやはり本物を体験したかったZUYAさんは、更なるリアル・ブルーズを求めて上記のエリアに行こうとタクシーに乗るも、行き先を告げるだけでほとんどの運転手(特に白人系)は、“ダメだ。そっちは行かねぇ。降りてくれ”と言われたものです
何台か断られてチップを先に掲示して、何とか辿り着いたのは「Checkerboard Lounge」と言う老舗のクラブ。演奏を聴き終えて宿に戻ろうとするとドアに付近にいるスタッフが、“タクシーに乗るのか?だったら呼んでやる(或いは見つけて来てやる)から外に出るな、中にいろ!”と言われたのは、未だに記憶が鮮明に残っています(もちろん写真なんか撮っている余裕もなく)
残っている限りの写真を何枚か載せましょう
街の向こうに広がっているのはミシガン湖ですかね。このブログを書いているとチャイナタウンに飯を食べに行ったことも思い出しました。確か宿は中心部から少し離れたユースホステルでした。なかなか古めのホステルで、部屋の中にシャワールームもあった4人か6人部屋だったように記憶しています
カナダからの帰国の際は大きなザックにギターケースを2本持っていましたから、盗難に遭わないようにカナダを立つ前に太いチェーンと頑丈な鍵を買っていました(ベッド等に縛り付けておくために)
こちらはわりと観光客でも行けるブルーズ・クラブでしたね。確か滞在は5日から1週間ほど、毎晩何ヶ所かのクラブをはしごして本物のブルーズを聴きに行っていました。まぁ所詮2000年代のブルーズでしたけどね…
下の写真はチャイナタウンですね。本場アメリカでは夜だけでなく昼間でもライブが行われているところもありましたが、ご覧のように日中は普通に観光していました。無料の市営の動物園とかね
とにかくシカゴを訪れる際にアメリカ人やカナダ人の友人達から、“見るからに観光客的な行動をしていると危険に巻き込まれるから、現地在住者のように振舞え!”とアドバイスを受けていましたので、まぁ写真が少ないのです
その後帰国、東京に拠点を移して今に至るわけです。が、まさかこんなに演奏から遠のいてしまう生活が待っているとは思いも寄りませんでしたけどね。何とか演奏の時間を作り、再び自分の人生に弾みをつけたいものです
さて父の状況ですが、今日の午後になり動きがありました。入院しているので(自宅で問題を起こすよりはと)少しは安心していましたが、どうやら甘い考えだったようです。とにかくコロナ・インフルの(再)流行により母でさえも面会が出来ず情報が少ないのが懸念されていました
まさか再入院後も「食事拒否・点滴を引っこ抜く」なんてことが起きていたとは...衰弱が随分と進んでしまったようです。やはり“食べる”と言う人にとって重要な行動を忘れてしまっているようだと言う医師の説明。この辺が今更ながらに、認知症と言う病気の恐ろしさを改めて感じさせられています。電話で話した母の声が...
今週末から大阪に行くことにしました。ええ父はともかく、独りでいる母が気になりますからね。先日も書きましたが、母を大切にすると言うことは北米の友人達からも教え込まれ約束したこと。周りが何を言おうとZUYAさんらしく行動するまでです
ブログはまた休止するかもしれませんが、皆さまの健康と素晴らしい生活をいつも願っております
Have A Good Night,Folks!
こちらのコメント欄を閉じていてすみません🙇♀️
ZUYAさんも公私共にお忙しいようですね。
シカゴの話では、
学生時代の初めての一人旅のイギリスを思い出しましたよ。
散々聞かされていた「パブ」文化、
垣間見たくて行ったのに、
当時はまだ女人禁制だったため、
観光客のうら若い乙女?が一人で入れようはずがありません。
女であることを恨みました笑
2008年に行ったら時代の流れで?、パブは店先にテーブルを出して老若男女、楽しくランチを取るような場所に変化していました。
ご実家のご両親、心配ですがZUYAさんが帰るだけで心強さが違うことと。
Take good care!
ただ一つ言えることは、宗教上における文化はかなり怪しいと言うこと
おそらく父はもう小生が誰なのか、そして母の顔も忘れてしまっているかもしれません
そして今、最後の選択を迫られていますので...
おはようございます。
お父様の事、数カ月の間にいろいろなことが起きて、ZUYAさんもお母様もココロと頭の整理だけでも大変ですね。
短期間での実家との往復、お身体大変だと思います。
お母様は心強く思われることでしょう。
葉月
親孝行できるのは、親が生きている時だけですから...でも無理をしない程度にこなしてみますね~
全く平穏な50代の方もいるので、そうとばかりは言えないでしょうが、お互い色々ありますね。お察し申し上げます。そしてそれは誰の身にも起こり得ることなんですよね。
ブルーズの話、教務深く拝見しました。僕もブルーズを聴きはしますが、あまり地域のことを分かっていないので勉強になりました。
「Down Home Reunion」というメンフィス出身のジャズミュージシャンで組んだバンドのジャズレコードがあります。あまり著名なレコードでもありませんが、ジャズブルーズの傑作と思っております。
私はまだ序の序の序の口なのに、色々と試練が...
私は音楽を奏でていた時から、“人の喜びや幸せを感じることを自分の喜びにする”と言うモットーを未だに変えていません
今は誰にその心を与えるのか?6x6さんなら改めて書く必要はないでしょう
後で聴いてみますね、Down Home Reunion