なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

思い出...

2021年01月07日 | Wonderful Memories 

また政治のことから

書き始めてしまい

はっと我に返って全消去

楽しく行かないとね~

 

 

こんばんはZUYAさんです  

正月三が日のいつだったか忘れましたが、久々に「ダーウィンが来た!」と言う番組を観ました。「ヌー」と言う動物の生き様についての内容でしたが、とても感銘を受けました

その後にこの話もどうかと思いますが...

今朝、スーパーで「100g198円」のステーキ用の肩ロースが目に入りました。もちろん“ヌー”ではなく“ギュウ(牛)”です。“しばらく焼いてないから上手く焼けるかなぁ”とちょっと躊躇しましたが、結局2枚をカゴの中へ。そして付け合わせのために野菜を購入...って、ここってそう言うブログでしたっけ?

実は昨夜(火曜日)の晩酌は、行きつけの店の内の1軒へ。ガラガラの店内で飲み始めるとオーナーが、“ZUYAさん、今夜でお話出来るのが最後かもしれないんで~”って言いだした...

先日伺ったビストロのオーナー夫妻も言っていましたが、今回の緊急事態宣言は前回の時とはかなり状況が違いますよね。かなりのお店が閉業に追い込まれそうだとあちこちから耳にしていますが、昨夜のお店も取りあえず8日から休業とのこと。お酒を提供する店が、「19時ラストオーダー」なら閉めたほうが、マシなんですよね

ZUYAさんは涙腺が弱ので、こういう話は...

でもねえ?

これって誰が悪いの?

誰なの?

「消毒してお喋り控えて旅行へどうぞ」とか

「5人以上の会食は控えてください」と言っておいて

「100回以上会食している人」とか

「オリンピックを中止にしろと言う理由がわからない」なんて

ほざいている長老とか...

何で懸命に日々の生活を頑張っている人達が

こんな目に合うのだろうか

おっとっと...結局、話がずれてしまったので...

 

まぁとにかく家で美味しく戴くのも良いのですが、今日はZUYAさんの休日。ZUYAさんらしく動こうと、ステーキは明日の夕飯に頂くことにして「寡黙な店主のいる居酒屋」へ

お客さんは数組しかいませんが、やっぱり下ネタを小出しにしてバカ騒ぎしているグループがいる。こう言う連中のお陰で...と思いながらも、このブログの下書きに集中するZUYAさん。でも大騒ぎしているから聞こえてしまうのですよね...「ハイボールの薄め」なんて頼むのなら、まっすぐ家に帰ってカルピスの麦茶割りでも飲んでろ!って思い始めたので、お店を出ました

 

あ、そうだ!

今夜は昔の懐かしい写真を見つけたので、それについて書くつもりだったのに~

1999年に住んでいたカナダ・ウィニペグから2泊3日でバンクーバーに遊びに行き、中日で日帰り旅行したバンクーバー島ビクトリアでの写真です~

 

 

向こうの人達ってこうやって写り込むの好きですよね~

 

          

 

 

明日の朝は「七草がゆ」の日。お米セットして寝ますね~

Have A Good Night,Folks!


嗚呼、懐かしき米・墨国境...

2019年12月27日 | Wonderful Memories 

 

どうもZUYAさんです

 

また遠い昔の記憶を忘れない内に綴っておきますね~

 

2000年に帰国し東京を拠点に新しい生活が始まったわけですが、(カナダと日本の生活環境の違いに)息が詰まってしまい、2002年9月に再び飛行機に乗ったわけです

サンフランシスコからアメリカへ入国し数日間滞在した後、Tucson, Arizona(アリゾナ州ツーソン)に住む友達夫婦を訊ねたわけです。熱心なZUYAさんファンの方ならお気付きでしょうが、昨年 Madison,Wisconsin(ウィスコンシン州マディソン)に行きましたが、そうその時のカナダ人カップルが初めに住んだアメリカの地がマディソンでした~

ZUYAさんがカナダに住みだして直ぐにセッションで知り合い仲良くなった Jon。女性ブルース・ギタリストとして話題になったSue foley(スー・フォーリー)と共にデビューした経歴バッチリのミュージシャンだけど、休日はチャリンコで街中をよく走っているほど中々庶民的な彼

 

 

このアルバムが出た時のツアーで日本でもプレイしたことがある Jon は、アメリカのミュージシャン・Junior Brown に雇われることになり、労働ビザを取得しZUYAさんより先にカナダを後にした。今回(2002年ね)北米に再訪問するに当たり、ぜひ遊びに来てくれよと懇願され、ウィニペグ直行ではなく“アメリカ南部経由のカナダ行き”と言う変わったコースになったわけです 

 

さて Jon のアドバイスだと Phoenix(フェニックス)まで飛行機で来て、そこからシャトルバスで来ると良いぜと。当時はまだ“フィルム”のカメラだったので、まぁ写真が少ない...(今のデジカメと違って現像代が馬鹿にならなかったですからね)

んわけでサンフランシスコからツーソンまでの移動の時も、ほとんど写真がないのです。とにかくシャトルバスと言っても相乗りのマイクロバスみたいなものだった

そしてツーソンのバス停で降りたら、Jon が迎えに来ていてランチに Noodle restaurant に行き、ZUYAさんがついうっかり音を立てて食べてしまったことぐらいしか覚えていない...

 

 

 

当時、彼らはさる金持ちの家のゲストハウス的な建物に住んでいた。ゲストハウスと言っても短期滞在型の安い宿ではなく、敷地内にある別宅みたいな物。初日は夕食までの間に、おびただしい数のサボテンや古い教会を見に行った

 

二日目は何処に行きたい?と言うので、“国境に行ってみたい”と答えた

んなわけで、途中『OK牧場の決斗』で有名な Tombstone(トゥームストーン)の町を通って国境の街 Nogales(ノガレス)までドライブすることに。ZUYAさんも運転しましたね、この時は~(去年は国際免許証を持って行くのを忘れましたが...)

 

 

トゥームストーンやその周辺では、まさに西部劇さながらの景色や建物を堪能できましたね。子供の頃から西部劇が好きだったZUYAさんは大興奮でしたね~

 

こちら Bisbee(ビスビー)と言う町

 

さて最終目的地である国境の街ノガレスは、文字通り国境を挟んでアメリカ側とメキシコ側の2面の顔を持つ。その貧富の差は歴然で、視覚的にも“同じ街”とは思えなかった

 

 

 

とは言え、これらの不鮮明な写真では、今となってはどっちがどっちサイドなのかさっぱりわからない。とにかくメキシコ側には歯医者が多くて、アメリカに比べて断然治療費が安いので、多くのアメリカ人が国境を越えて治療を受け行くそうだ。ランチはアメリカで済ませて来たので、人生初のメキシコではパブかなんかでメキシコのコカ・コーラを飲んだだけだった

昨今トランプ大統領が国境問題で波紋を呼んでいるが、当時はもっと大らかで何の苦もなく越えられたような気がする。よほどアメリカとカナダの国境を越える時の方が厳しかった

 

これはまさに国境にあるゲート

 

滞在3日目は Jon がツアーに旅立ったので、独りで自転車に乗ったり、奥さんの Barb と映画を観に行った気がする...いや待てよ...映画を観にいたのは夜だから...それは中日(なかび)だなぁ...   

と言うことは3泊したのか...もう全く記憶がない。日記でも付けとけばよかった...

 

 

ちなみに映画はクリントイースト・ウッドの 『 Blood Work(ブラッド・ワーク) 』 だった。もちろん字幕なしの映画の上に、周りには巨大なポップコーン、そして隣には美人妻...貴重な体験でしたね~

 

この後、確かミネアポリス経由でカナダに入国したのだが、まぁ空港の入国管理で別室に連れて行かれて大変だったような...

思い出したらまた綴ってみますね~

 

Have A Good Night,Folks!


嗚呼、思い出のサンフランシスコ...

2019年12月18日 | Wonderful Memories 

 

こんにちはZUYAさんです 

午前中はダイエットの“ノルマ”である1日1万歩を達成するために、近所をカメラ片手に散策。ランチには前から気になっていたBarで、美味しいカレーとマダムの素敵な会話。ご満悦で帰宅し来週の義母が来る夕食会のために、コタツ布団を押入れから引っ張り出して天日干し~ 

その際に古いアルバムを見つけて、観ているだけで嬉しくなりました 

 

2回目の北米訪問は2002年。1回目はカナダの帰りにシカゴに行っただけだったので、他の街も行ってみたかったのでアメリカ経由で入国~ 

映画『ダーティハリー』で観た憧れのサンフランシスコの街

※写真は古いものですし、何故かコピーライトが付けれないのでそのまま掲載します

 

 

 

 

アルカトラズ島

 

まぁドキドキもんでした。確か2泊か3泊したのですが、もうほとんど覚えていませんね。写真も思ったより撮っていない...

怪しいエリアにどんどん行くZUYAさんですから、知り合いのアメリカ人に“あんまり観光客的に振る舞うなよ!”とアドバイスされていたからかもしれません。ブルースクラブにも出向きましたが、店の名すら覚えていない...年は取りたくないものです 

 

今回ブログに上げようと思ったのは、いつも読ませて頂いているブログに素晴らしい旅行記を書かれている方がいらっしゃいまして、記憶が薄れる前にZUYAさんも書き残しておかねばと思ったわけです~ 

『出会いと別れ』

https://blog.goo.ne.jp/nakayoshinotabi

 

この時はこの後アリゾナ州ツーソンに移動しました。カナダ人の友達夫婦を訪れました~ 

その友達が教えてくれた行き方が超ローカルぽくって面白かった。英語も当時は全然問題なかったから、道中なんでもござれでしたね~ 

 

近々この時の続きを書いてみますね~ 

 

Have A Good Day,Folks! 


時が過ぎるのは早いもので...

2019年06月27日 | Wonderful Memories 

 

 

一年前の今日

 

7年ぶり5回目のカナダへと旅立った

 



一年なんてあっちゅう間です...  

 

 

この一年でどれだけ成長したのかと

 

振り返ってみたが...さほど... 

 


髪の毛が伸びたのと

 

カメラを使いこなせるようになった

 

 

ぐらいかな... 

 

ミネアポリスで乗り換えマディソンへ

 

 

ウィスコンシン州マディソンです~

 


1年前は機能がイマイチよくわからず

 

ずうっと“オート”で撮っていましたね 

 

 

HaveA Good Night,Folks! 

 

 

5回目の北米の旅をまとめたシリーズです( ↓ )

https://blog.goo.ne.jp/yasunrod/e/8d9060f0d7915fab1ab43d51ddc1ef7a


永遠の蓼科・保科館...

2019年05月21日 | Wonderful Memories 

 

 

 

こんばんはZUYAさんです 

 

 

時々ふとした時に保科館を思い出します... 

 

 

ZUYAさんの青春時代(?)でした 

 

 

ZUYAさん、保科館の女将さんの作った

 

『 ふき味噌 』 が大好きでしてね  

 

  

当時は印刷工場でアルバイトをして

 

大型連休は工場が休みだったので

 

信州の保科館で働くパターンだったのです 

 

 

行く度にジャムとかの空き瓶に

 

東京に持ってお帰りなさいと 

 

たっぷり作って用意してくれていた 

 

 

いやぁ懐かしいなぁ...

 

本当に年に数回、大都会東京から離れて

 

息抜きが出来ましたよ~ 

 

 

 

 

 

保科館に所縁のある方は

 

ぜひ Facebook グループの

 

『 嗚呼、我らが保科館 』 にご参加くださいませ~