最近改めてZUYAさんの人生を形成している要素として“音楽の(ブルースの)の重要さ”を強く感じる
ZUYAさんは長く自分が 『 Minority (マイノリティ) 』 であることに“自分らしさ”と言うものを感じて生きていたのだが、ふと気づくとここ数年ですっかり自身が最も忌み嫌っていた 『 Majority (マジョリティ) 』 に身を落ちつけている
このように述べてしまうとまた一部の方に反感を買いそうだから(笑)、“自分らしさを感じない”とでも書くべきかな。ZUYAさんの“現実的な”友人や知人は皆理解してくれているから、その結論に至った経緯・要因を改めてここで書く必要はないだろう
今回はいつも以上に“休養期間”が延びてしまっているが、いつも以上に魅力的なエキサイティングな事象がいろいろと起こっている。もちろんそれらには不慮の事故だった 『 ぎっくり腰 』 、そして半分は過失である 『 高血圧 』 も含めてである
その最先鋒になったのは間違いなく 『 Fender USA の求人募集&応募 』 であり、その後色々なことが動き始めた。友人(いや“恩人”とでも言うべきかな) Big Dave Mclean のドキュメンタリー映画 『 Ain't About The Money 』 、そして先週末の竹田和夫氏のライブに至るわけだ
こうなるとその流れはあらゆる変化を生み出す。昨日のニューヨークのご婦人との出会いもそうだ
Big Dave McLean(ビッグ・デイヴ・マクレーン)について少し書こう
彼の青春時代はビートルズなどのロック旋風の真っ只中であったが、商業的、ムーブメント的な音楽には目もくれず(耳かな?)、マディ・ウォーターズやジョン・ハモンド等との邂逅を経てブルースに全ての人生を捧げ続けているカナディアン・ブルースマンの草分け的存在
“農場で扱き使われてブルースの真髄を極める~”なぁんて奇妙奇天烈な考えを持ってカナダに渡ったZUYAさんであったが、彼と出会って農場ではなくブルース・クラブでプレイする道へ。そして、その後の恩師・大沢博美との出会いにもつながって行く...(偶然にも2人は同じ年)
彼の長年の夢であったミシシッピへの旅を機会に彼のドキュメンタリー映画が作られるという話を以前から聞いていた。彼とは何度もステージに呼び込まれ話も色々した。その Dave の格も素晴らしい作品が出来上がったことは心から嬉しく思う
日本で公開なんてことは先ずないだろう。でも、そう言う点も彼が広大なアメリカ大陸にいる多くの優れたのブルーズマンの一人であるが所以なのかもしれない
『 Ain't About The Money 予告編より 』 (日本未公開)
ZUYAさんは世の中すべての人に自分の考えを知ってもらおう、理解してもらおうなんておこがましい考えなど一度も持ったことはない。もちろんこのブログを通してそう言うことをする気も毛頭ないわけだ。そういう行為はZUYAさんに言わせるとまさに“宗教的思考”なのである。他人に自分の考えを共感させることによって自己満足(自己の幸せ)を求める輩だ
“自分の考えに共感する人”を友とすべきであると言うのが、 『 ZUYA教 』 の真髄なのである(あれ?“教”っておかしいだろ...)
と言っても“反社会的になる”と言うわけではなく、“協調性を兼ね備えた上での個々の自立を目指す”とでも言うべきか
先週末に観た竹田和夫氏のライブ。数年振りに拝聴させて頂いたが、素晴らしいテクニックでエモーショナルなフレーズ連発する。時にはかなりのスピーディなーフレーズも飛びだすのだが、その時頭の中で“何か”が弾けた
ZUYAさんは巷に数多くいる 『 速弾き狂信者 』 に共感を覚えることはまずない。“速弾き”と言うのはあくまでも表現方法の一つであり、それが“全て”でも“究極”でもないからだ
その昔,マディ・ウォーターズを中心に白人と黒人の優れたミュージシャンが一堂に会した 『 ブルース・サミット・イン・シカゴ 』 と言うTVライブがあった
Soundstage: Blues Summit Chicago 1974 [DVD] [Import] | |
クリエーター情報なし | |
Sony Legacy |
この中で“早く弾けることなんて重要ではないんだよ。何を持っているか大事なんだよ!”とマイク・ブルームフィールドとジョニー・ウィンターが語っているシーンがある。二人とも平凡なギター・プレイヤーからすれば十分に 『 速弾きプレイヤー 』 なのだが
竹田氏のギター・ソロを喰い入るように観て(聴いて)いた時、今まではその二人の会話を本当に理解していなかったことに気づいた。そう遂に“真意”がわかったのである
世の中についても同じことが言えるのではないのかと思うわけだ。残念ながら世の中には“有名な会社で働いている”とか“良い車、良い服を着ている”ということでしか人を判断できない輩がいる(もちろんZUYAさんはそう言う輩は相手にはしないが)
ただ冒頭に述べた“マイノリティであること”について少し書き加えておくと、“存在感のないマイノリティはただの空想(夢)の世界の存在”でしかないと言うこと
つまり自分自身を光り輝かせる努力、或は行動をせずに自己分析に勤しんでいるだけではダメだと言うこと。ZUYAさんの目指す 『 マイノリティ 』 は 『 マジョリティ 』 を凌ぐ存在の物でなければならない。ただ単に“百分率”の話ではないのだ。そう、常に向上心を持ち自分自身を磨き上げ続ける能力があってこそ 『 マイノリティ 』 である価値が生まれると言うものだ
それを少しずつ心の奥底から再び引っ張り上げて、“周りに気取られず、自分の感性を信じてこれからも生きて行きたい”と思う今日この頃のZUYAさんでございます
皆さま、素敵な春をお過ごしください~