こんにちはZUYAさんです
今回は旅日記を綴る予定でしたが、ちょっと変更させて頂きます(※楽しみにお待ちになっていた方々、ごめんなさい)
心がボロボロになっていましてね、何とか立て直そうとするものの裏目に出ることの繰り返しで、まぁもがいているわけです。ブログの文章を綴るのも辛く、書かなきゃ書かなきゃと思っている間にもうこんな時間(午後1時近く)に...
先日の旅日記も少しずつ書いて、「下書き」にしてあります。その旅もどうもピントがずれてしまいましたし…
その旅に出る準備をしていた早朝に、飛び込んで来たニュースが「Tina Turnerの逝去」でした。そんなわけで時系列がおかしくならないように、今日はティナ・ターナーのことを書きますね
ティナ・ターナーは、しばしば“ロックンロールの女王”なんて肩書きを目にしますが、彼女の真髄はRhythm&BluesやBluesにあります。そして彼女を語る上で避けられない「某宗教団体への入信」、これも有名な話ですね。ええ、あれだけ旧統一教会が問題視されているのにも関わらず、まったくスルーされているあの団体です。最近になってようやく騒がれ始めた某タレント事務所の問題と同じで、“日本の中で触れてはいけない闇”の一つなのでしょう
まぁそれはさて置き、音楽的な部分だけを書いていきますね~
Ike Turnerに見い出されて、1950年代後半からステージに立ちそのステージングは瞬く間に音楽シーンを席巻したわけです。Family NameからもわかるようにIkeと結婚し、離婚後も“Turner”を名乗っています
60年代後半にThe Rolling Stonesのツアーのオープンニング・アクトを何度も務めたことで、白人層にも彼らの音楽が広まったことは否めないと思います。71年にはCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル)の「Proud Mary」をカバーすると、人気は最高潮に達しました
華やかな経歴とは真逆で、夫婦の仲は悲惨になり夫であるアイクの壮絶な暴力に耐え切れなくなり、僅かの小銭だけを持ちツアー先のホテルから逃げ出し、その後離婚に至ります
80年代になり彼女はソロ・アーティストとしての地位を確立して行くわけですが、ロックを歌う彼女をあまり好まないZUYAさんは、その辺のことに関しては言及を控えますね。ZUYAさんはやはり“Ike&Tina Turner“の時代が好きです。アイクは人として(男として)はどうしようないほどのクズ野郎でしたが、70年代前半までの彼の音楽のプロデュース能力は素晴らしいものがあったと思います
ティナのエネルギッシュな歌声、ステージ・パフォーマンス、そして音楽への情熱は、音楽の世界だけでなく世界の多くの女性に多くの勇気を希望を与えたと思います
1993年には彼女の自伝を映画化された「What's Love Got To Do With It (邦題:Tina ティナ)」。目をそむけたくなるようなシーンもありますが、よく出来た映画だと思います
さて数ヶ月前から感じている心のモヤモヤ。特に昼下がり辺りから重くなります。そしてその時間は長くなって来ているように感じています。少しでも光が見える方に見える方にと、自分を持っていこうと思っている今日この頃です
数週間後には、またベースでライブに参加することを依頼されているので、それまでに何とか自分らしさを取り戻したいものです。図体だけはデカいくせに、何でこんなに繊細な心を持っているのですかね。やはり“時間に縛られる、生き方に制限をかけられる”のは、ZUYAさんらしくないのかもしれませんね
Have A Good Day,Folks!