陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

殿ご乱心劇場

2024-12-05 16:00:16 | Weblog

韓国の「非常戒厳令」騒動は、全容解明までには時間がかかると思うけど、少しづつ内幕情報が出ておりますなぁ。
現時点では、大統領の尹錫悦と、側近の国防相 金龍顕を核とする少数の者が仕組んだ様で、どうも「殿ご乱心劇場」のようでござります。

様々な面で従北一派に追い込まれ、打開のために勝負に出たのは分からんでもないけど、打った手はお粗末で、且つ6時間で解除するなど、全てが中途半端であって、その真意はつかみどころがありまへんなぁ。

人間、窮地に追い込まれ続けたら「一発勝負」に出ることもあるとは思うけど、精緻な戦略とか準備以外にも、ようく考えなあかんことがありまする。
何かというと、天運でござります。
とどのつまりは、オノレの「能力」とか、「最善の努力」とかじゃあないんですわ。
能力があって、懸命の努力をしたとしても、「天運」がないとアカンのですわ。残念ながら。。。
その「天運」には二つあって、一つは「オノレの天運」、もう一つは「時の天運」でござります。
「時の天運」とは、同じことをするにしても、時代・時節に即しておるか否かで成否は分かれるんですわ。つまり、好機を待つ、好機を呼び込まんと成功せん、ということでござります。
そして、その二つの天運が揃わんと、うまくゆかんのですわ。

これは、ワタシがここまで生きてきた上での実践上の「結論」でござります。
そして、ワタシが陋巷で底辺生活をしておる、その理由というか、原因でもありまする。

尹錫悦と金龍顕は、その辺りの考察が足りんというか、見えんかった様でござりますなぁ。
結果、「殿ご乱心劇場」になってしまいましたわ。
この騒動は、日本を含む諸国にも大きな影響を与えておって、教訓は「民主国であっても、その底が浅いお国は用心せなあかん」ということでござります。人間も同じやけどね。

【補足】
勘違いされると困るけど、ここでいう「天運」は、「宿命」とか「命運」とは似て非なるものでござります。ワタシのいう「天運」は、あくまでオノレが判断する、判断せなあかんもので、その判断が正しかったか、誤ったかの行く末が「宿命」なり「命運」やと思うておりまする。 陋巷底辺のお粗末な話でござりました。
(注)底辺の言うことは信用せん方がええかもよ。

コメント
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