(2月6日の裁判員の続き)
裁判員のことを書いていたら思い出したことがある。
それを書く。
知っている人も多いと思うけど。
戦後の食糧難の時代は、食管制度(食糧管理法)があったが、配給は十分ではなかった。
人はやむなく闇米を求めた。
一週間から一カ月の遅配は普通だったそうだから。
勿論、闇米の売買・流通は当時の法律で犯罪。
そんな中で、飢え死に(栄養失調)した人が二人いた。
一人は東京地裁の判事、もう一人は旧制 東京高校のドイツ語教授。
彼らは、ヤミ買いに手を出さず、死んだ。
名は失念していたので調べたら、次のとおり。
東京地裁判事 山口良忠氏
旧制東京高校教授 亀尾栄四郎氏
山口判事は「人を裁く裁判官の身でどうしてヤミ買いが出来るか」と、配給だけの生活。
亀尾教授は、「教育者たる者、表裏があってはならぬ」との信念。
日本中で二人。自らの信念でヤミに手を出さなかった人は。
昭和20年当時の人口は約7,000万人。
→ 2/70,000,000=0.00000286%
残りの人は、政治家も、裁判官も、警察官も、役人も、教師も、みんな闇米を手にしたわけヨ。
この件については、いろいろ意見があるだろうけど、
法律とか、人間とか、規範とかいっても、いろいろな意味で「世の中、そんなもの」。
同じ様な例はゴマンとある。
昔の例の方が支障がないから昔のことを書くが、
昨日まで「鬼畜米英」と叫んでいた者が、今日はコロッと変わる。
「君たちだけを死なせはしない、後から行くから」といって特攻隊員を送りだした司令官は、
知らぬ存ぜぬで世を生きる。
徹底抗戦と言いながら、何もしない。
日本人はそんなもの。
と書きながら気づいたが、これって今の役人と全く同じだね。
ウリ二つ。
遺伝子が脈々と受け継がれている。
『昔陸軍、今●●』の●●は、省庁でも、官僚でも、役人でも、何を入れても当てはまる。
百年安心といいながら、1年たったら「年金制度の危機」なんて、その典型。
今、話題の渡りや天下りだって同じ。
話がそれたが、
現代の裁判官は、上の判事と同じことができますか?
同じ姿勢で仕事に臨んでいますか?
口先きだけ、言うだけじゃあダメですよ。
同じことができない者に人を裁く資格があるのかね?
当事者はいろいろ屁理屈を言うだろう。
国民は、ワタシは、そんな屁理屈なんぞは訊いていません。
人を裁く者としての「姿勢」を問うているんですよ。
職業裁判官ではない裁判員だって同じこと。
裁判員として裁判に臨む人は、上の質問を自分に問うてから出かけるんだよ。
自分は何者で、何をしようとしているのか、と。
本来的に、司法制度や裁判官を論ずる前に、今の日本でまっ先にやるべきことがある。
それは、未だになされていない日本人自身による太平洋戦争の「戦争責任」問題。
戦後60余年たっても裁判は行われておらず、従ってケジメがついていない。
今となっては、当事者の多くは死に、生きている者も高齢。
現実問題としては、(人を裁くための)裁判は難しい。
結局、ウヤムヤのなし崩し。
そういう国家及び国民性であることが一番の問題。
だから、周辺国からいつまでもネチネチと言われる。
ワタシ自身、そういう周辺国に「チベットその他、オマエも同じじゃないか」と言いたいが、
周辺国は、上の様な日本人のあり方を問うている、と思う。
その核心部分を放置し、表面だけ一見キレイに見える様にしても、何も変わらない。
裁判員に就任する諸氏は、その辺りを一度は考えてみるとよい。
ワタシ?
ワタシは、人を裁けるほどの高潔な人格、高邁な識見は、残念ながら持ちあわせておりません。
また、消極的であれ、裁く側に立ってみようと思うほど傲慢ではありません。
かつ、裁判所に出かける時間もありません。
従って、裁判員になりたくてもなれない。
ワタシは、裁判員を務められる人がうらやましい。
ワタシはプアであるので、そういう人物及び状態にはほど遠いから。
うらやましい?
う、ちょっと待てよ。 ひらめいた!
ワタシは、人生の目標を「裁判員になる」こととし、それを目指すべきなんだ!
情けないことながら、ワタシはプアなわが人生をどう生きれば良いのか、いまだに分からない。
ところが、やっと、今、わかった!
アラカンになるまで分からなかったのも道理。
ワタシは裁判員になるべく生まれてきたんだ!
裁判員制度ができた今、それが分かった。
裁判員は、上に書いた、ワタシが有していない条件を満たしているわけで、
ワタシはその到達を目指すべきだと、
そして、裁判員になることがワタシの人生なんだと!
裁判員はプアではないのだから、裁判員がプア脱出の道なんだ!
ワタシは悟った。悟った経験がないため、断言はできないが、そういう感じ。
悟ったついでにもう一つ、次を実行しよう。
死んだとき、墓標を下の様にする。
▼裁判員になれた場合
⇒大きな銅像をたて、墓銘に「裁判員●●●●」と記す。
(銅像も墓銘も金ピカにするゾ。誇らしく。)
▼裁判員になれなかった場合
⇒銅像はなしで、墓銘に小さく「裁判員になれなかったプアな●●●●」と記す。
早速、遺書を作っておこう。
皆さんも証人になってください。
併せて、銅像をたてるときは募金への拠出もお願いしますヨ。
一口、そうですなあ、十万円で。
これから裁判員となる世の諸氏よ。
ワタシは、諸氏の様に、人格高潔、識見高邁な人物になり、プアを脱却した境遇になるよう、
その様な人生を目指しますぞ。もう、遅いかもしれないけど。
目標 裁判員!
目指せ! 非常勤 裁判所職員(国家公務員)!
そもそも、このブログは、ワタシがプアである原因をつきとめ、そこから脱却する方策を考えるためのもの。
お釈迦さんは、出家してから菩提樹の下で悟りをひらくまで、確か6年ほどかかったと思うが、
ワタシはブログ開始(2008年10月)以来、4カ月強にして悟りを得た。
もっとも、お釈迦さんは「正覚(しょうがく)」の境地に達したわけだが、
ワタシは方向に気づいただけで、中身はこれからだから、比較にはならないね。
そもそも比較する方がおこがましい。
すぐ調子にのる、こんなことじゃあ「高潔な人格」は百年河清を待つに等しいかも。。。
裁判員のことを書いていたら思い出したことがある。
それを書く。
知っている人も多いと思うけど。
戦後の食糧難の時代は、食管制度(食糧管理法)があったが、配給は十分ではなかった。
人はやむなく闇米を求めた。
一週間から一カ月の遅配は普通だったそうだから。
勿論、闇米の売買・流通は当時の法律で犯罪。
そんな中で、飢え死に(栄養失調)した人が二人いた。
一人は東京地裁の判事、もう一人は旧制 東京高校のドイツ語教授。
彼らは、ヤミ買いに手を出さず、死んだ。
名は失念していたので調べたら、次のとおり。
東京地裁判事 山口良忠氏
旧制東京高校教授 亀尾栄四郎氏
山口判事は「人を裁く裁判官の身でどうしてヤミ買いが出来るか」と、配給だけの生活。
亀尾教授は、「教育者たる者、表裏があってはならぬ」との信念。
日本中で二人。自らの信念でヤミに手を出さなかった人は。
昭和20年当時の人口は約7,000万人。
→ 2/70,000,000=0.00000286%
残りの人は、政治家も、裁判官も、警察官も、役人も、教師も、みんな闇米を手にしたわけヨ。
この件については、いろいろ意見があるだろうけど、
法律とか、人間とか、規範とかいっても、いろいろな意味で「世の中、そんなもの」。
同じ様な例はゴマンとある。
昔の例の方が支障がないから昔のことを書くが、
昨日まで「鬼畜米英」と叫んでいた者が、今日はコロッと変わる。
「君たちだけを死なせはしない、後から行くから」といって特攻隊員を送りだした司令官は、
知らぬ存ぜぬで世を生きる。
徹底抗戦と言いながら、何もしない。
日本人はそんなもの。
と書きながら気づいたが、これって今の役人と全く同じだね。
ウリ二つ。
遺伝子が脈々と受け継がれている。
『昔陸軍、今●●』の●●は、省庁でも、官僚でも、役人でも、何を入れても当てはまる。
百年安心といいながら、1年たったら「年金制度の危機」なんて、その典型。
今、話題の渡りや天下りだって同じ。
話がそれたが、
現代の裁判官は、上の判事と同じことができますか?
同じ姿勢で仕事に臨んでいますか?
口先きだけ、言うだけじゃあダメですよ。
同じことができない者に人を裁く資格があるのかね?
当事者はいろいろ屁理屈を言うだろう。
国民は、ワタシは、そんな屁理屈なんぞは訊いていません。
人を裁く者としての「姿勢」を問うているんですよ。
職業裁判官ではない裁判員だって同じこと。
裁判員として裁判に臨む人は、上の質問を自分に問うてから出かけるんだよ。
自分は何者で、何をしようとしているのか、と。
本来的に、司法制度や裁判官を論ずる前に、今の日本でまっ先にやるべきことがある。
それは、未だになされていない日本人自身による太平洋戦争の「戦争責任」問題。
戦後60余年たっても裁判は行われておらず、従ってケジメがついていない。
今となっては、当事者の多くは死に、生きている者も高齢。
現実問題としては、(人を裁くための)裁判は難しい。
結局、ウヤムヤのなし崩し。
そういう国家及び国民性であることが一番の問題。
だから、周辺国からいつまでもネチネチと言われる。
ワタシ自身、そういう周辺国に「チベットその他、オマエも同じじゃないか」と言いたいが、
周辺国は、上の様な日本人のあり方を問うている、と思う。
その核心部分を放置し、表面だけ一見キレイに見える様にしても、何も変わらない。
裁判員に就任する諸氏は、その辺りを一度は考えてみるとよい。
ワタシ?
ワタシは、人を裁けるほどの高潔な人格、高邁な識見は、残念ながら持ちあわせておりません。
また、消極的であれ、裁く側に立ってみようと思うほど傲慢ではありません。
かつ、裁判所に出かける時間もありません。
従って、裁判員になりたくてもなれない。
ワタシは、裁判員を務められる人がうらやましい。
ワタシはプアであるので、そういう人物及び状態にはほど遠いから。
うらやましい?
う、ちょっと待てよ。 ひらめいた!
ワタシは、人生の目標を「裁判員になる」こととし、それを目指すべきなんだ!
情けないことながら、ワタシはプアなわが人生をどう生きれば良いのか、いまだに分からない。
ところが、やっと、今、わかった!
アラカンになるまで分からなかったのも道理。
ワタシは裁判員になるべく生まれてきたんだ!
裁判員制度ができた今、それが分かった。
裁判員は、上に書いた、ワタシが有していない条件を満たしているわけで、
ワタシはその到達を目指すべきだと、
そして、裁判員になることがワタシの人生なんだと!
裁判員はプアではないのだから、裁判員がプア脱出の道なんだ!
ワタシは悟った。悟った経験がないため、断言はできないが、そういう感じ。
悟ったついでにもう一つ、次を実行しよう。
死んだとき、墓標を下の様にする。
▼裁判員になれた場合
⇒大きな銅像をたて、墓銘に「裁判員●●●●」と記す。
(銅像も墓銘も金ピカにするゾ。誇らしく。)
▼裁判員になれなかった場合
⇒銅像はなしで、墓銘に小さく「裁判員になれなかったプアな●●●●」と記す。
早速、遺書を作っておこう。
皆さんも証人になってください。
併せて、銅像をたてるときは募金への拠出もお願いしますヨ。
一口、そうですなあ、十万円で。
これから裁判員となる世の諸氏よ。
ワタシは、諸氏の様に、人格高潔、識見高邁な人物になり、プアを脱却した境遇になるよう、
その様な人生を目指しますぞ。もう、遅いかもしれないけど。
目標 裁判員!
目指せ! 非常勤 裁判所職員(国家公務員)!
そもそも、このブログは、ワタシがプアである原因をつきとめ、そこから脱却する方策を考えるためのもの。
お釈迦さんは、出家してから菩提樹の下で悟りをひらくまで、確か6年ほどかかったと思うが、
ワタシはブログ開始(2008年10月)以来、4カ月強にして悟りを得た。
もっとも、お釈迦さんは「正覚(しょうがく)」の境地に達したわけだが、
ワタシは方向に気づいただけで、中身はこれからだから、比較にはならないね。
そもそも比較する方がおこがましい。
すぐ調子にのる、こんなことじゃあ「高潔な人格」は百年河清を待つに等しいかも。。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます