新聞その他の報道は、くら~い話しが多い。
景気が悪いとか、百年に一度の経済危機ということもあるけど、
人類社会そのものが下降線上にあるわけだから、やむをえない。
世が末法の時代に入る、ということで民衆が恐れおののいた鎌倉時代を想起させられる。
あの頃の民衆の気持ちが、何となく分からないではない。
若者というと、このところ、ニート、フリーター、日雇い派遣のイメージが重なる。
勿論、そういう人ばかりではないが、イメージとして。
老境の者からみると、20代、30代は、まだまだ多くの可能性を秘めている、とつくづく思う。
活動的で、体力・生命力が最も旺盛な年代。
しかし、現実には、心の底で閉塞感を感じている人が多い様に感じる。
「可能性」といっても言葉だけで、現実は八方ふさがり、将来も期待できそうもない、というパターン。
まさに、閉塞感そのもの。
本人自身の問題もあるけど、若干気の毒であるのは、
自身が心体ともに伸びる時期に、時代が下降線をたどっている、そのギャップの中で生きなければならない、という点。
このプア3で書いてきた様に、戦後の大衆の中流意識は「幻想」ではあるが、
幻想であったとしても、閉塞感あふれる代を生きることと比較すると、
まだ幻想の中で生きる方が「マシ」かもしれない、という気もする。
先週の日曜日の夜(2009年1月25日)、NHKスペシャル
- 沸騰都市 第5回「ヨハネスブルク“黒いダイヤ”たちの闘い」
南アフリカを殆ど知らない者が語るのは、僭越このうえないが、印象が上と重なる。
世に悪名高きアパルトヘイト政策が撤廃された後(1994年)、
反アパルトヘイトの闘士 マンデラ(ネルソン、後にノーベル平和賞を受賞)が大統領に就任し、
様々な改革を実施した、その後の現状をレポートしたもの。
アパルトヘイトの撤廃で、希望ある社会の到来を手にした筈が、
結果として、黒人への富の再配分の実現には至らず、失業は増大し、社会犯罪も激化。
黒人の貧富の差が拡大し、200万人の富裕層が生まれる一方、貧困層が二倍に拡大しているとの内容。
黒人中間層は、「黒いダイヤ」と呼ばれているのだそうな。
政府の黒人経済強化策で、優先的にレアメタル鉱山の採掘権を得、鉱山経営で成功を収める黒人など、
成功者は、何らかの形でマンデラ等の元 反アパルトヘイトの闘士とパイプを持つ者たち。
確かに、勝利した者、それに貢献した者は果実を得る訳だが、
闘争の目的は、スローガンはスローガンで、本音はそういうことだったの? と聞きたい感じ。
印象を一言に集約すると、「南アよ、おまえもか」に尽きる。
昔、会社勤めの頃、アパルトヘイトに話しが及ぶと、いつも二つの意見に分かれた。
一つは、アパルトヘイトはけしからん、白人相手のビジネスは、結果としてその体制に加担しているのでは? という意見。
もう一つは、白人が支配しているからこそ、貧しいとはいえ最低限の生活は維持できている、そうでなくなったら黒人は食えなくなるぞ、というもの。
そんな話しをしてから20年以上が過ぎた。
勿論、これからの南アも紆余曲折を経るだろうが、現時点では、後者が正しかったことになる。
反アパルトヘイトで闘っていた時代は、等しく貧しくて苦しかったが、希望はあった、と思う。
アパルトヘイトが撤廃された今、黒人の間の格差を、南アの民衆はどう感じているのだろう?
ここからの教訓-
①苦しくても、夢や希望があれば生きられるが、その希望がなくなったら苦しい。
②等しく貧しければ、貧しく感じる度合いは薄い。貧しくなくても、もっと豊かな者がいると貧しく感じる。
日本の若者よ、もし今の自分を不遇と考えているのなら、あなたの選択肢は二つある。
(不遇でない人は読むに及ばず。)
(1)不遇の原因を取り除く、そのための活動をする。
(2)社会への幻想は捨て、自分自身で希望を見出し、例え、ちっぽけなものであっても、そのために生きる。
さて、どちらをとりますか?
消去法で選ぶのではなく、積極的に選択すべき。
これは人きる姿勢であり、どっちつかずや消極的な選択は、すなわち現在の不遇がずっと続くことを意味する。
中途半端は人生の失敗につながるよ。ワタシの様に。
自分たちだけでなく、今までの歴史でも、どうしようもない混乱期や低迷期があった訳で、
その「時代」に押しつぶされない様にしたいもの。
勿論のこと、そこここにいる善人らしき仮面をかぶったペテン師にしてやられないためにも。
人間だけじゃあないよ、国家や公益という仮面をかぶった組織だって同じこと。
and / or
景気が悪いとか、百年に一度の経済危機ということもあるけど、
人類社会そのものが下降線上にあるわけだから、やむをえない。
世が末法の時代に入る、ということで民衆が恐れおののいた鎌倉時代を想起させられる。
あの頃の民衆の気持ちが、何となく分からないではない。
若者というと、このところ、ニート、フリーター、日雇い派遣のイメージが重なる。
勿論、そういう人ばかりではないが、イメージとして。
老境の者からみると、20代、30代は、まだまだ多くの可能性を秘めている、とつくづく思う。
活動的で、体力・生命力が最も旺盛な年代。
しかし、現実には、心の底で閉塞感を感じている人が多い様に感じる。
「可能性」といっても言葉だけで、現実は八方ふさがり、将来も期待できそうもない、というパターン。
まさに、閉塞感そのもの。
本人自身の問題もあるけど、若干気の毒であるのは、
自身が心体ともに伸びる時期に、時代が下降線をたどっている、そのギャップの中で生きなければならない、という点。
このプア3で書いてきた様に、戦後の大衆の中流意識は「幻想」ではあるが、
幻想であったとしても、閉塞感あふれる代を生きることと比較すると、
まだ幻想の中で生きる方が「マシ」かもしれない、という気もする。
先週の日曜日の夜(2009年1月25日)、NHKスペシャル
- 沸騰都市 第5回「ヨハネスブルク“黒いダイヤ”たちの闘い」
南アフリカを殆ど知らない者が語るのは、僭越このうえないが、印象が上と重なる。
世に悪名高きアパルトヘイト政策が撤廃された後(1994年)、
反アパルトヘイトの闘士 マンデラ(ネルソン、後にノーベル平和賞を受賞)が大統領に就任し、
様々な改革を実施した、その後の現状をレポートしたもの。
アパルトヘイトの撤廃で、希望ある社会の到来を手にした筈が、
結果として、黒人への富の再配分の実現には至らず、失業は増大し、社会犯罪も激化。
黒人の貧富の差が拡大し、200万人の富裕層が生まれる一方、貧困層が二倍に拡大しているとの内容。
黒人中間層は、「黒いダイヤ」と呼ばれているのだそうな。
政府の黒人経済強化策で、優先的にレアメタル鉱山の採掘権を得、鉱山経営で成功を収める黒人など、
成功者は、何らかの形でマンデラ等の元 反アパルトヘイトの闘士とパイプを持つ者たち。
確かに、勝利した者、それに貢献した者は果実を得る訳だが、
闘争の目的は、スローガンはスローガンで、本音はそういうことだったの? と聞きたい感じ。
印象を一言に集約すると、「南アよ、おまえもか」に尽きる。
昔、会社勤めの頃、アパルトヘイトに話しが及ぶと、いつも二つの意見に分かれた。
一つは、アパルトヘイトはけしからん、白人相手のビジネスは、結果としてその体制に加担しているのでは? という意見。
もう一つは、白人が支配しているからこそ、貧しいとはいえ最低限の生活は維持できている、そうでなくなったら黒人は食えなくなるぞ、というもの。
そんな話しをしてから20年以上が過ぎた。
勿論、これからの南アも紆余曲折を経るだろうが、現時点では、後者が正しかったことになる。
反アパルトヘイトで闘っていた時代は、等しく貧しくて苦しかったが、希望はあった、と思う。
アパルトヘイトが撤廃された今、黒人の間の格差を、南アの民衆はどう感じているのだろう?
ここからの教訓-
①苦しくても、夢や希望があれば生きられるが、その希望がなくなったら苦しい。
②等しく貧しければ、貧しく感じる度合いは薄い。貧しくなくても、もっと豊かな者がいると貧しく感じる。
日本の若者よ、もし今の自分を不遇と考えているのなら、あなたの選択肢は二つある。
(不遇でない人は読むに及ばず。)
(1)不遇の原因を取り除く、そのための活動をする。
(2)社会への幻想は捨て、自分自身で希望を見出し、例え、ちっぽけなものであっても、そのために生きる。
さて、どちらをとりますか?
消去法で選ぶのではなく、積極的に選択すべき。
これは人きる姿勢であり、どっちつかずや消極的な選択は、すなわち現在の不遇がずっと続くことを意味する。
中途半端は人生の失敗につながるよ。ワタシの様に。
自分たちだけでなく、今までの歴史でも、どうしようもない混乱期や低迷期があった訳で、
その「時代」に押しつぶされない様にしたいもの。
勿論のこと、そこここにいる善人らしき仮面をかぶったペテン師にしてやられないためにも。
人間だけじゃあないよ、国家や公益という仮面をかぶった組織だって同じこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます