昨日、一昨日と、静岡に行ってきました。
母方の祖母が亡くなりまして、そのお通夜と葬儀です。
97歳。大往生と言えるでしょう。
1918年。大正7年に静岡県周智郡気多村に生まれ、
同じ周智郡三倉村で生まれた祖父と結婚し、
大正、昭和、平成という激動の時代を生き抜きました。
第一次、第二次大戦の戦火の中を生き抜き、
戦後の混乱と貧困、そして復興の中で、祖父と共に力を合わせ、
5人の娘を育て上げ、11人の孫…自分もその一人ですが、
我らへつながる道を作ってくれました。
所謂「肝っ玉かあさん」で、気が強くも優しい祖母でした。
自分が幼少の頃から中学に上がるまで、祖父と祖母は同居しておりましたが、
本当に語るのが難しいほど世話になりました。
本当に長生きで、17年前に二つ上の祖父が亡くなってからも元気でした。
去年の夏からはさすがに体力に陰りが見えたとのことで、
寝たきりになりましたが、本当に最後まで大きな病気もなかったようです。
我が一族は皆体が丈夫ですが、祖母の遺伝的特徴を受け継いでいるようで
皆ずんぐりとした身体ですが、大きな病気をする人はいないようです。
よくその話をすると笑っていましたが、今思えば本当にありがたい身体だと思います。
祖父が亡くなった時に「じきに行くからね」と言ってた祖母。
17年も生きたので、祖父は天国でじりじりしながら待っていたかと思います。
祖父も若いころは時代もあって激しかったようですが、
基本的には祖母の前ではたじたじ。でも祖母にメロメロな人だったので、
きっと天国でも何だかんだ文句を言いながら待ってたのだろうと(笑)
「17年も長く生きたから、向こうにいってすぐに分かるかな?」などと親族で話が出ましたが、
面白いもので長い付き合いの人というのは、何歳になっても
不思議と初めて会った時のイメージで見えてしまうこともあるかと思います。
親にしてみれば私も子供のままだそうですし、両親も自分からすればそんなに変わりません。
友人だって、それこそ中学の時のイメージのままです。
きっと祖父と祖母も天国で再び会う時は、初めて出会った時か、
一番幸せだったときの姿で出会うんじゃないかと思います。
今頃どんな話をしているのでしょうね?
検索で「大正時代 写真」と検索すると、当時の写真が出てきます。
舗装路もろくになく、鉄道も未発達。
日本はそれこそ「米と絹しか産業の無い国」だったのかと思います。
それが今では土が見える事がほとんど無い都市があたりまえになり、
日本の各地には一日で快適に到達でき、モノにも溢れています。
手紙もまともに届くか心配され、それこそ何日もかかった時代。
写真も晴れの日にしか撮らなかった時代。
それが晩年は情報に溢れ、”メール”はその場で届き、
写真もいつでも撮って送れる時代に変わりました。
本当にすごい変わりよう。
その変化の中を生き抜いたことは、本当に驚きと尊敬です。
自分たちもこの先どんな変化があるか分かりませんが、
常に前向きにその日その日を生きること。
最後の教えとして胸に刻んでおきたく思います。
ばあちゃん。今までありがとう。
いつか向こうで会う時には、また一緒に好きな寿司でも食べましょう。
安らかに…合掌。
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