この言葉も、五木寛之氏の「他力」から引用したものである。
ある若いお坊さんが、難解な教義を学んだが、師匠さんの言うことが理解できないのであった。
このことを師匠に話すと「千日聞き流せ」と言われたのであった。 判らないことでも、長いこと聞き流していると、自然に判るというのである。
このことは、小生にも経験がある。 「名俳句100選」というCDを聞いたときのこと、数回聞いたのでは、何のことかちんぷんかんぷん、数十回目にして、三分の一ほどの句が、ぼんやりと判ったような気がし始めた。
そして、現在数百回を目指して聞いているところである。
どこまで行けば、完全に判るのか見当もつかないが、暇に開かせて聞き続けているのである。
確実に回数に比例して、理解度は高くなっているようの思えるのである。
ちゃらんぽらんでも、しないより、する方が、ましなのである。