12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

雑芸

2007年08月06日 08時38分28秒 | Weblog

五木寛之著「百の旅 千の旅」より
“表現者として私は、いわば一芸を究める世界を断念し、雑芸というか、雑芸人というか、そういう方向を選ぼうとしてきた人間である。 ひとことでいえば「表現者」として生きようと志してきた。・・・(中略)・・・

ふつう世の中では、一芸というか、ひとつの道を究めていく人間が尊敬される。それはどこでも同じだろう。しかし、二足のわらじ三足のわらじどころか何十足のわらじをはき続けながら、世間からは胡散臭いと見られ、ここかしこにやや怪しげな雰囲気をたたえながら、表現者としての道を歩んでいく人間もいていいのではないか。・・・(中略)・・・

音楽というフィルターを通しながら文学を見る、文学というフィルターを通しながら美術を見る・・・(中略)・・・

私は、それを自分の宿命的な生き方と感じている。 それと同時に、その道が自分にとって、あるいはいまの時代にとって、唯一の生きかたかもしれないと感じるところがあるのだ。 変な言いかたではあるが、雑芸を通して、ひと筋の道をゆく、という生きかたもあっていいのではないか、と思うのだ。“

 氏の考え方は、「常識の呪縛」をいったん取り払って、無の状態から導いているように思えるのである。

まさに、小生の生き方を、見事に代弁してくれているのである。

チャランポランに、色々なことに手を出して、節操のないやつだと陰口を叩かれている小生にとって、誠に有り難い一文であった。

 しかし、次の陰口が聞こえて来るような気がする。

五木先生とお前との絶対的な差は、「チャランポランかどうかである」と・・・。