12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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片仮名・平仮名

2011年02月04日 06時11分34秒 | Weblog

NHKラジオ深夜便 ▽明日へのことば・アンコール 「夜間教師は私の天職」・・・(映画“学校”シリーズ原作者…松崎運之助(みちのすけ)氏 の放送で聞いたのは、夜間中学で実際にあったことである。

それは夜間中学の生徒さん達にとって「片仮名は直線と丸とで構成されているから書き易い」が、「平仮名は曲線で構成されるためにとても書き難い」ということだった。

このことから、識字率の低い明治時代には学校の教科書に書き易い片仮名を採用したのかと、素人の小生は短絡的にあて推量したのだが、これは大きな誤りだった。

正しくは次をご覧いただきたい、かなり長い文であるが、平仮名・片仮名の住み分けの歴史が判る、さらりと読み流していただきたい。

1.YAHOO知恵袋による、歴史的な経過;
”戦前の小学校の教科書は、カタカナで書かれていたと思うのですが、なぜですか。ひらがなは教えてなかったのですか?

昭和15年(1940)までは小学校1年生は全部カタカナで、漢字まじりのカタカナでした。ひらがなは2年生からでした。もちろんこれも漢字まじりでした。昭和16年から教育規準が変わって1年生からひらがなになり、カタカナは補助的に教えられる事になったものが、現在まで続いているようです。

上の回答者の方よりも、もっと古いことを答えます。日本の正式な文章は、昔から(奈良時代以前)、『漢文』だったのです。皆さんもご存知のように『漢文』の送り仮名は、『カタカナ』です。漢字に次ぐ、正式な文字が『カタカナ』だったのです。

漢文の次には、『漢字カナ混じり文』が正式になってきたのです。ですから、明治期の教科書は『カタカナ』を教えていたのです。幕末期の、藩校の教科書は漢文であり、送り仮名等が『カタカナ』で書かれていたため、明治の小学校でも『カタカナ』を最初に教えていたのです。

片仮名は、形が簡単であること、教育勅語を初め、憲法、法律がカタカナ書きであり、どちらかと言うと片仮名の方が平仮名よりも社会的に優位であったように聞いています。平仮名も少し遅れて習ったと思います。新聞・雑誌・書物などは平仮名とルビ付き漢字ではなかったかと思います。

 

2;OKWAVEでの質疑応答:
”戦前の教科書は皆、カタカナ表記でしたが、戦後平仮名表記に変わって平仮名日本語を表記し始めたのはなぜですか?

日本を占領していた連合国軍の指示によって1947年から「ひらがな優先」の教科書「みんないいこ」が採用されました。私の記憶では「みんないいこ、おはなをかざる」で始まっていました。占領軍の言い分はもっともで、日常の使用では「ひらがな」が圧倒的に多い、直線的なカタカナが覚えやすいとは限らない、というものです。

これ以来、法律文などは「ひらがな」となり、「カタカナは外来語専用」という習慣が確立しました。このことは、日本語のために良かったと思います。

参考;平仮名Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BB%AE%E5%90%8D

片仮名Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D