”・・・思い返せば、終戦直後は食糧危機だった。地方においても、食生活はひもじかった。農家でないわが家も三度の食事に事欠いた。麦を混ぜたご飯が主食で、おじや(雑炊)、すいとん(だんご汁ともいっていた)もあった。菜園でつくった護国イモがおやつだった。
資料を参照すると、東京や大阪などの大都市では、ヤミ市場があってごったがえしている。「米よこせ」デモもあった。配給だけに頼っていたら餓死してしまう。近郊近隣農家に買出しにも行ってる。(収穫した米を供出せずに、ヤミ米にまわしてぼろもうけしていた農家もいた。)”
まさにこの記事の通り、終戦前後(1945年頃、約65年くらい前)の時期は、小生も栄養失調症と診断されこともあるような状態だった。ある程度栄養改善がなされたのは、アメリカからの援助物資や学校給食などだったような記憶がある。
米などを口にできる日の記憶は残っておらず、かぼちゃ・たまねぎ。イモ類、すいとんまがいのものを食べたような記憶がおぼろげながら残っている。
あれから、半世紀とちょっとで今度は米余りが問題となっている。幸いにも、小生の人生は、飢餓に始まり、飽食に終わろうとしている。どこまで米談義ができるか判らぬが、同窓会ブログを引用しながら思いつくままに書いてみることにしよう。次回何が書けるだろうか・・・。
追記;
コンビニ・弁当屋・スーパーマーケット等いたるところで弁当を手に入れることができるようになったが、弁当と名の付くものの主力製品はご飯の入った弁当である。こんなにも沢山の弁当が出回っているのに、米の消費量が以前に比べて少なくなったのは、副食が贅沢になったことが主要な原因なのではないかと思うのである。
その一例として、たまたま俳句の会の新年会で供された料理の写真があるのでこれを引用する。これらの写真は宴席料理に近いので標準的な家庭料理とは異なるのだが、この種の料理が典型的に示すのは、米以外の料理の量が圧倒的に多くなり、米の出番が少なくなったということである。
米が嫌いな日本人はいないのであるが、他にも沢山美味しいものがあるということが一番大きな米離れの原因ではないだろうかと思っている。