12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

日本の未来像

2007年08月08日 08時13分00秒 | Weblog

同窓会ブログで、いかなる町内に住んでいるかとの命題を貰った。

現在の団地は、第一期70区画(S38年頃造成以降10年毎に造成)、二期40区画、三期60区画の計170区画で構成されている。

よい機会なので、第一期70区画の内、小生の住んでいる道路を挟んでの26区画を、ざっと調査してみた。
(分類には、多くの方法もあろうが、独断と偏見で勝手に決めた)

高齢者夫婦=10(内老人介護中=4)
後家+やもめ(小生はこれに該当)=6
空き家・空き地=3
現役世代夫婦=7(内老人介護中=2)

団地も40年以上を経過するとかような状態になる。
売り家のカンバンと空き家が目立ち始めている。

土地・不動産が貴重な財産という神話も、過去のことのような気もしてきた。

なんだか、日本の将来像にも思えてくるのである。

追記:
都心の高級マンションに住んでいる友人の便りを掲載してみる。
 
・・・(略)・・・第一、町内会なるものはないから草刈、清掃などの奉仕活動もない。居住している小マンションは定住者は1/3のみで、他は外人や事務所に貸して絶えず入替わりがあるから、どんな人が住んでいるかも分からない。とても共同作業を行える状況ではない。

管理組合はあるが、定住者の持回りで運営せざるを得ず、私も入居以来ずっと理事長や会計理事などやらされている。ゴミ出しルールを無視して捨てる奴、管理費を払わない奴、野良猫に餌付けをする奴などがいて困ってます。

人口密集地でありながら孤独死すると白骨になるまで発見されないこと請合い。一方、周辺の不動産値上がり率は日本一とか。近くの広尾では1年間に5倍になったという。

狂っているとしか思えないが、これも世間で言う小泉改革の弊害なのだろうか。江戸情緒、人情などというものはカケラもない。
 
総じて、嘆きの声ばかり聞こえてくるのである。

阿波踊り

2007年08月07日 08時09分35秒 | Weblog

都合6年徳島市に住んだが、踊りを見たのは5夏である。
内3夏を踊った。
今でも踊りたいが、過激な踊りなので、息が切れて数分間も続かない。

人を元気にする踊りである。
なぜ元気になるかと言うと、“うさ”を吹き飛ばす力があるからと思う。
見るだけでもその効果は絶大だが、踊ればなおさらである。

ずいぶん前のことだが、子供達が大きくなったので、家族で見物に出掛けた。
それ以来、家族全員虜になり、それから十数年通い続けた。

朝自宅を出発、フェリーで高松に渡る、道中八十八箇寺にお参りをしながら徳島市へお昼ごろ到着。 桟敷券という有料席の券を購入して、再度八十八箇寺のお参りなどのため郊外へ出発。

夕刻、桟敷に入場し踊りを見物、九時過ぎに桟敷を出て、帰途に着く、帰宅は午前1時から2時頃となる。これが、かつての例年の夏のイベントであった。

踊りが済んだときから、翌年の宿の予約が始まるのである、半年前などでは、とても宿など取れるべくもない。
とにかく、早急な計画の決定と実行が肝要である。

しかし、今年は、都合で見物できそうにないが、来年は、徳島で踊りの日に同窓会の開催予定である。今から、早くも期待しているのである。

 「わたしの心も浮いてきた ・・・おどらにゃ損そん・・・」


雑芸

2007年08月06日 08時38分28秒 | Weblog

五木寛之著「百の旅 千の旅」より
“表現者として私は、いわば一芸を究める世界を断念し、雑芸というか、雑芸人というか、そういう方向を選ぼうとしてきた人間である。 ひとことでいえば「表現者」として生きようと志してきた。・・・(中略)・・・

ふつう世の中では、一芸というか、ひとつの道を究めていく人間が尊敬される。それはどこでも同じだろう。しかし、二足のわらじ三足のわらじどころか何十足のわらじをはき続けながら、世間からは胡散臭いと見られ、ここかしこにやや怪しげな雰囲気をたたえながら、表現者としての道を歩んでいく人間もいていいのではないか。・・・(中略)・・・

音楽というフィルターを通しながら文学を見る、文学というフィルターを通しながら美術を見る・・・(中略)・・・

私は、それを自分の宿命的な生き方と感じている。 それと同時に、その道が自分にとって、あるいはいまの時代にとって、唯一の生きかたかもしれないと感じるところがあるのだ。 変な言いかたではあるが、雑芸を通して、ひと筋の道をゆく、という生きかたもあっていいのではないか、と思うのだ。“

 氏の考え方は、「常識の呪縛」をいったん取り払って、無の状態から導いているように思えるのである。

まさに、小生の生き方を、見事に代弁してくれているのである。

チャランポランに、色々なことに手を出して、節操のないやつだと陰口を叩かれている小生にとって、誠に有り難い一文であった。

 しかし、次の陰口が聞こえて来るような気がする。

五木先生とお前との絶対的な差は、「チャランポランかどうかである」と・・・。


短波サーフィン

2007年08月05日 08時20分01秒 | Weblog

 小学生高学年から中学生時代の間、ラジオに凝った時期があった。
部品屋さんで購入した部品をハンダで接続し、何台か自作のラジオを作ったのである。

これが嵩じて、短波リスナーとなった。深夜、世界各国の短波放送を受信することが最大の生きがいとなった時期がある。
正確な周波数は、傍受した放送局が、時々放送するコールサインと読み上げる周波数をメモし、それを自作の受信機の目盛りに鉛筆で書き込んでいた。

こんな受信機で、かろうじてであるが、意外と遠方でも受信することが出来た。
(受信状態は、極めて悪く非常に聞き取りにくかった、また子供のことで外国語など全く分からないに等しいが、それでも何とかしたのである)

最も遠い国は、中米のコスタリカの短波放送局であった。友人達に大いに自慢した。
このようなときには、受信証明書を放送局から貰って、それを友人達に示すのがルールであった。 

受信証明書を貰うためには、グリニッチ標準時(世界標準時)の何時何分に***hzでどんな放送をし、コールサインは何であったかを、はがきに書いて放送局宛に送る。 そうすると、その放送局から、きれいな絵葉書が送られてくる。

これが証明書であり、大変な宝物であった。 この当時は、多くの人達が、短波放送を利用して、世界を覗くべくサーフィンをした時代であった。
これを仮に「短波サーフィン」の時代と呼ぼう。

現在は、インターネットを通して、世界中の文字情報はもとより、映像・音楽・音声など、幅広い情報をサーフィンできる便利な時代となった。

エルミタージュ美術館を見ても、ルーブル美術館を見ても、・・・どうも感激が少ない。
やはり安易に手に入るものには、それなりの感慨しかないのである。

究極は、汗しても自分の足で稼ぐ以外にないようである。


肉体の声

2007年08月04日 08時44分31秒 | Weblog

 五木寛之著「百の旅 千の旅」より

“・・(略)・・さて、趣味は何かと聞かれれば、自分の心身の働きを正確に知ること。それを探索すること、それをコントロールすること。これが本当は、私のいちばんの趣味だと思っている。・・・(中略)・・・

人類が二足の直立歩行をはじめてから宿命的に背負っている腰痛をどう克服していくか。 手術したり薬で治したりするのではなく、自分自身でどうコントロールするかということが、私にとってつきせぬ興味であり、また趣味として追求せざるを得ないようなテーマであった。

たぶん私は、自分の肉体の声を聞くということが好きなのだろう。“

氏は、医者・薬に頼らない生き方をするべき、超人的な努力を払っているようである。余人にはとても真似の出来そうにない生き方であろう。

昨日も書いたように、太極拳教室から帰宅して気が付いた、尿に血が混じっているのであった。腎臓がん・膀胱がん・前立腺がん・・・など、知っている限りの病名が頭をよぎった。

急ぎ、泌尿器科のある大病院に駆け込んだ。 それまでの数週間、なんとなく体がだるく、いつもに比べ微妙に調子がよくなかった。 熱は無く、これといった痛みも無く、せいぜい軽い便秘のような下腹部の張りのようなものなどがあっただけだった。

これは、装着した入れ歯がうまく合わず、調整に一月半ほどかかった。これが原因で長期間、麺類の丸呑みを続けたせいと思い込んでいた。

 自分の心身の働きを正確に知ること。それを探索すること、それをコントロールすること。

これを小生の趣味の一つにする必要があると思ったが、果たして、出来るかどうかは今後の推移を見守る以外にない。


がん検診

2007年08月03日 06時36分30秒 | Weblog

 7月中旬、太極拳教室から帰宅後、尿に血液を確認した。
父親は、膀胱癌であったが、このときの発見のきっかけも、血尿であった。

急ぎ、病院を訪ねた。
 おそらく、前立腺炎であろうとの見立てであったが、念のため癌検診もするという。

結果は、8月1日に判明、無事前立腺癌ではなく、慢性前立腺炎という診断がおりた。

今後暫く、抗生剤の服用と、疲労を蓄積しないようにとの指導だった。 自覚症状は、あまり無かったというか、感じなかったが、今にして思い起こすと次のようなものだった。

 なんとない体がだるさと、軽い便秘のときのような下腹部の張った感じ、それに腰の両サイドが重く苦しいような腰痛らしきもの。
このような微妙な体調の変化に敏感にならなくてはと、大いに反省した。

ご存知の方が多いと思うが、前立腺がんの検査は大変簡便である、ただ血液を採取するのみである、またそれほど高価でもない。

年に一度くらい受診すべきと思った。
(ただし、的中率は六割くらいと聞いたような気がする)

あらゆる癌は、早期発見が第一である、早期であれば完治する確率が非常に高いといわれている。


乳酸菌X

2007年08月02日 05時24分52秒 | Weblog

某民放の番組より
白神山地は、日本発の世界遺産である。
ブナの原生林が、山腹一面覆っている。このブナの腐葉土中に、貴重な微生物がいるというのである。

「白神こだま酵母菌」というものが、最初に紹介された。
腐葉土から比較的低温で自然発酵するスーパー酵母菌が見つかったというのである。

この酵母菌を用いてパン生地の発酵を実演していた。
卵・牛乳を用いずに、大変キメの細かい美味しいパンが、出来るという。
卵や牛乳アレルギーの人には、大変な朗報である。

欠点は、まだ高価であることと、若干取り扱いが難しいという。

次に、紹介されたのが、「乳酸菌X」である。
零度少し手前のごく低温化で、十分に繁殖する乳酸菌なのだそうである。

この菌の特徴は、零度直前の低温で発酵するため、添加物無しで漬物などが作れるという。
防腐剤を使わない安心・安全な発酵食物を生む有効な手段なのだそうである。

世界中の秘境に分け入って、有用な細菌や微生物を探している人がいるのである。 探すことも大変なのだそうであるが、採集したものを分析評価して有用のものを取り出すのもまた、非常に大変なという。

しかし、ぜひとも頑張ってもらいたいものである。


千日聞き流せ

2007年08月01日 08時25分58秒 | Weblog

この言葉も、五木寛之氏の「他力」から引用したものである。

 ある若いお坊さんが、難解な教義を学んだが、師匠さんの言うことが理解できないのであった。

このことを師匠に話すと「千日聞き流せ」と言われたのであった。 判らないことでも、長いこと聞き流していると、自然に判るというのである。

このことは、小生にも経験がある。 「名俳句100選」というCDを聞いたときのこと、数回聞いたのでは、何のことかちんぷんかんぷん、数十回目にして、三分の一ほどの句が、ぼんやりと判ったような気がし始めた。

そして、現在数百回を目指して聞いているところである。
どこまで行けば、完全に判るのか見当もつかないが、暇に開かせて聞き続けているのである。

確実に回数に比例して、理解度は高くなっているようの思えるのである。

ちゃらんぽらんでも、しないより、する方が、ましなのである。