東海道五十三次ひとり歩きシリーズの続編、12月22日・冬至の日に続いて23日の天皇誕生日に平塚→藤沢→戸塚を歩いた。(12月23日の記録)
[12月23日-(7)平塚→(6)藤沢→(5)戸塚]
◎距離は21.6キロ、箱根駅伝の同区間は8区(3区)21.5キロ
前夜、平塚駅前のホテルで、今日のコースの確認と見どころポイント、通過時間設定をして
◎ゴールは平塚駅手前のバスセンター前、到着予定時間は16時30分。
◎今日は帰宅するので最終時間を戸塚駅発17時40分と設定し余裕をもって歩くことにした。
ホテルを午前7時45分にスタート。コースを歩く前に平塚八幡宮へお参りして、東海道平塚駅前交差点を8時8分にスタート、お天気が良く寒くもなく国道1号線を元気よくすすむ。
最初のポイントの相模川にかかる馬入橋についた。想像していたより長い橋で、すぐ下流をJR東海道線が走っている、振り返ると富士山がきれいに見える。前にすすみたいし、富士山は見たいし・・・振り返り振り返りすすむ。
橋の名前は源頼朝がここで落馬したことでつけたといういわれがあるらしい。ここにも渡しがあった違いない。次の新田交差点あたりが平塚宿の東口にあたると思われた。
茅ヶ崎市に入り、日蓮宗の信隆寺を過ぎ、今宿を越えると新湘南バイパスの下を通過、小出川を渡るとすぐ右下に不思議な光景が眼に入ってきた。公園の真ん中の小さなプールのようなところに古い木が何本か並んで浮かぶように立っている?
近くに行って説明を読んでみると旧相模川橋脚跡が保存されているものだった。8時50分。ほぼ予定通り。ここで早めの休憩、給水。
また、1号線に戻り大きく左から右へカーブしてすすむと鳥居戸橋へ着いた、橋の左手に色鮮やか鶴峯神社の赤い鳥居が目立つ。道路脇に南湖の左富士の碑がたち、ここから左富士の見えるところ、振り向いてみると、確かに1号線の左側に見事な富士山が見えた。これが左富士、左富士が見えるのは2ケ所だけ、吉原で左富士を見ることができなかったので感動!しばらく写真を撮ってながめていたら自転車で通りがかった若い女性が自転車を止めて携帯で撮り始めた。ここは広重の絵にも描かれているところ。
千ノ川を渡り左へカーブしながら1号線に沿ってすすむと茅ヶ崎茶屋郵便局の前へ、このあたりから平塚と藤沢間の茅ヶ崎間の宿として賑わい茶屋町と呼ばれたところらしい。第六天神を過ぎると十間坂の交差点へ、右側に円蔵寺が見えてきたので寄ってみた。慶安2年に徳川家光から朱印状が与えられた真言宗高野山派のお寺で庭に弘法大師の大きな立像が立っていた。
このあたりから茅ヶ崎の中心地なのだろうか賑やかな通りになり松並木が続く。茅ヶ崎警察署、郵便局前を通り茅ヶ崎駅前交差点を過ぎる。町並みがきれいで気持ちよい歩きが続く。一里塚バス停前の一角にお江戸から14番目の茅ヶ崎一里塚が整備されて塚も昔の面影を残していた。
市立病院入口前を過ぎるとまたきれいな松並木になった、茅ヶ崎高校の前を通り松並木に沿って小桜交差点へ、10時10分、ちょうど予定時間ぴたり。
小和田を過ぎ古い佇まいの上正寺に寄ってみた、このお寺は茅ヶ崎で唯一の浄土真宗のお寺だそうで聖徳太子二歳像があるそうだが、拝観はしなかった。
東小和田を過ぎるとまた松並木が見えてきた、赤松バス停を真ん中にしてしばらく並木の下を歩く、これぞ東海道。気持ちがいい。幹は太く高くてかなり古い松だろう。この松並木が終わるところあたりから藤沢市だ。10時30分。予定通りの時間で通過、よし。
二ツ谷に入る、二ツ谷稲荷の前を通る、このあたりには大山詣帰りの信者達が江の島や鎌倉へ向かう途中に休憩所として二軒の茶屋があったためにそう呼ばれるようになったそうだ。ここにも松並木が少し続く。赤羽派出所向かいの三角地点に古い祠が見えたので寄ってみた。古い四ツ谷不動(大山道標)が立ち不動明王が安置されていた。古いはず、説明板によると延宝四年(1676)に建てられたもの。ここは東海道と大山道が交差した四辻に建てられたものでこのあたり多くの茶店が立ち並び参詣客でにぎわったらしい。
東海道はここで1号線から44号線をすすむ。しばらくすすむと左手の土塁の上に松並木が続いたが、これは昔の東海道の土塁跡が残っているものらしい。
辻堂を過ぎると好物の羊羹の幟が目の前に飛び込んできたのでつられて店に入った。おやつにと二個、県指定という大庭城最中とくり羊羹を買った、お店の人が気をつけて行ってくださいと声をかけてくれた、うれしかった、さあ、どこで食べようか・・・・とりあえずリュックの中へ。
羽鳥を過ぎる左へ大きくカーブする、メルシャンの工場が見えてきた。少し寄り道をすると重要文化財の薬師如来像があるという養命寺があるのだが、少しでも早く藤沢の中心地へ行きたいのでパスしてそのまますすむと右側の塀にそって祠が見えてきた。お参りしてとのぞくと・・・・あれっ、二人並んだ道祖神が口紅をしている。両脇にはきれいな菊の花がいけられみかんも備えられている、仔馬のような人形も置かれていてずいぶんと賑やかな道祖神さん、そばに説明文が書かれていたので読んでみたら
「女性の願い事なら、何でもかなえてくださり、満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をする」と伝えら、今でも、お顔から白粉が絶えることがないという。そのような所から、誰からともなく「おしゃれ地蔵」と名付けられたらしい。形は道祖神だがお地蔵さんと呼ばれているようだ。でも、男の願い事は聞いてくれないようだからパス。
引地川西交差点を過ぎ引地川にかかる引地橋を渡り、5分ほどすすむと湘南高校のバス停、続いて湘南高校入口交差点へ。えっ?あのプロ野球ニユース初代キャスターの佐々木信也さんの母校で有数の進学校ではなかったか?記憶違いでなければ、佐々木さんの時代に甲子園で優勝している名門高校。そういえば佐々木さん、どうしているのやら。
しばらく緩やかな坂を上って行くと高架になって下を電車が交差している、小田急江の島線ですぐ左に駅が見えている。なるほど、ここから江の島へ行けるのだな、でも残念。高架の手前に上方見付跡があるらしいので行ったり来たりして探したが結局みつからなかった。かざり屋という古い店があったが、そこはかんざし屋だったらしい。高架で11時28分。予定到着時間が11時30分だから予定通りに来ているので安心した。
このあたりが藤沢宿の西の出入り口だったと思われるので、ここから東の出入り口にあたる遊行寺坂あたりまで80分を当てることにして自由にうろうろしてみることにした。集合場所は遊行寺で午後のスタートは12時50分。ここまで午前中は順調に来ていたが、実は、実は? 午後が・・・お楽しみ。
最初に訪ねたのが「白旗神社」、この神社の御祭神が、寒川比古命と源義経公。えっ?源義経??? 兄頼朝に追われ奥州平泉で亡くなり文治五年(1189)に藤原泰衡から義経の首が鎌倉に送られてきた、それを神社で祭神として奉ようになったらしい。
その首実験の後に腰越しの浜に捨てられたが、潮にのって境川をのぼりこの辺りに漂着したのを里人が救いあげ洗い清めた井戸と伝えられている義経首洗い井戸がすぐ近くにあったので訪ねてみた。弁慶の首も送られてきたという話もあるらしい。
白旗神社には立派な藤棚があり芭蕉の句碑もあった。ここで時間をとり過ぎてしまった。
それから周辺にあるお寺参りを始めた。創建が元歴元年(1184)で藤沢宿最古の寺院の一つ真言宗の荘源寺、本陣職を務めた蒔田家の墓がある日蓮宗の妙善寺、天然記念物の高さ25メートルのカヤの巨木のある浄土宗の常光寺、そして飯盛女の墓碑がたくさんある浄土真宗の永勝寺をぐるり一周した。わずかな地域に各宗派のお寺が集まっているのはめずらしい。きっと古い時代から信心深い人たちの門前、宿場町だったのだろう。
もとの東海道に戻ってきたら12時26分で完全に時間を読み違えていた。宿場の中心地であったと思われる通りを蒔田本陣跡、通りの反対側に移動して問屋場跡の碑を探しながら、いくつか宿場の雰囲気が残っている建物はあったもののそれ以外に宿場の名残を残すものはなかった。藤沢橋交差点手前を左へ境川にかかる遊行寺橋を渡りそのまま遊行寺の総門へ。参道のいろは坂の石段を上って行った。
遊行寺は一遍上人が開祖の時宗の総本山で、藤沢は鎌倉時代から遊行寺の門前町として栄え、宿場町となってさらに大きな発展を遂げてきたという。さすがに総本山、規模が大きい。銀杏の樹の下で弁当を食べているとハトに囲まれて、おにぎりを与え、のんびりとおやつに買った最中も食べているうちに13時10分を過ぎていた。
予定を20分も過ぎたのでそのままコースの遊行坂へすすめばトラブルことはなかったのに、なにを思ったのか、もう一度戻ってくるつもりで元の道に行き高札場跡を探しているうちに、方角の違う藤沢橋の交差点を直進してしまい気がついたら郵便局前だった。完全に間違っていたためにかなりの距離を引き返すことになった。もう一度遊行寺に行き、小栗半官と照手姫かりの長生院へは寄る予定にしていたのに断念してそのまま遊行寺坂へ急ぐことにした。
熊野古道に小栗半官と照手姫のゆかりのある個所があり、大阪南部から和歌山市海南あたりまでは、熊野古道を別名小栗街道と表示している道標があったことを覚えているので関心があったが、パスすることになったのは残念。
遊行寺坂へ戻ってきたのは14時7分。約1時間20分も遅れてしまった。これで設定したキロごとの予定時間の目安はたたなくなったので、これからは、少しでもゴールが遅くならないように、スピードアップする以外ないので見どころも最小限度にして本気?で歩くことにした。
ただ、最終日の午後は疲れが出るはずだからと休憩を含めて40分ほど、調整時間を設けていたので、16時30分のゴールには、実質的には40分の遅れ、これなら取り戻せると思った。昨日の平塚の最後でポカをしたのに今日もやってしまった。
とにかく進もう・・・遊行寺坂は箱根駅伝8区の難所、左に遊行寺、右に諏訪神社を眺めながら上って行く、藤沢宿の東口、江戸方見付跡、一里塚跡の碑を確認しながら一気に上って行く、上りが続く、駅伝選手にはきつい上りかもしれないが歩くのにはそんなに厳しい坂とは思わなかった。
上りきると両側は静かな住宅街、適当に遊歩道風に整備された道をどんどんすすむ、ここは気合を入れて急ぐのみ。14時半、鉄砲宿バス停を過ぎて1号線を少し上がった小道にある双体道祖神に寄った後は、また、車の通行量の激しい1号線に沿ってどんどんすすみ、戸塚第一歩道橋に来て気がついた。あっ、いつのまにか藤沢市から戸塚に来ている、横浜市戸塚区だ。
松並木の左が分離帯になり外にも道が続くきれいな松並木が500メートルは続き、原宿交差点で二本の道路は再び1号線になったが、原宿バス停で給水休憩、15時11分。少し疲れを感じてきた。三日分の荷物を背負って歩くので肩が痛む。浅間神社前を通過し江戸から11番目の原宿一里塚の前を行く、このあたりの1号線は車がまったく途絶えないほど続く、昨日から今日、ほとんど1号線に沿って歩いているので疲れてくると汚れた空気、騒音、が余計に疲れを増長させる、とにかく早く通り抜けたい一心で歩く。小田原からここまででもっとも疲れを感じた時間帯。15時26分。
陽が傾きかけてきて・・・のっぽさんになった!
吹上の信号を過ぎると道は左を膨らみながら坂道を下って行く。この坂を大坂というらしいが戸塚八幡まで大きくカーブを描きながらかなりの角度で下りが続く、約2.5キロ。
これを上って行くのは疲れるだろう。この大坂は何度もの改修してなだらかになっているらしいが当時は険しくてさびしい道であったに違いない。途中で左手眼下に市街地が見え隠れして戸塚の町が近づいていることを感じた。坂の中間あたりで戸塚警察署前を通過、戸塚見付跡が見当たらず行きつ戻りつして時間を浪費したが、それでも気合をいれて歩いた成果か16時11分に芭蕉句碑のある戸塚八幡に着いた。大幅に遅れていた時間をほぼ取り戻してゴールまでの距離もわずかになったので16時30分の予定時間には間に合うと確信した。
戸塚神社にお参りして戸塚宿の中心地を歩く、八坂神社、海蔵寺、戸塚消防署前を通り、澤邊本陣跡の碑、明治天皇戸塚行在所址に寄り、バスセンター前に着いたのが16時24分。ほぼ予定の時間にゴールした。
今日の歩数 約48,500歩
戸塚バスセンター前は、いつのまにか夕方の雰囲気につつまれて気温も下がり風が冷たかった。そこから平塚駅方面は工事中でJR平塚駅へは、人の流れに連れられて行くうちに地下にある改札へたどりついた。
予定していた最終のJRの時間には1時間も余裕があったのでゆっくりと温かいコーヒーが飲みたいと思ったが、夕方の雑踏を見ていると帰りたくなった。夕食に食べる駅弁を買って帰りの時間をチェック、予定していた最終の電車より早い電車に乗ることにした。ここから長い帰り旅が始まった。車内から携帯で初めて本家のブログに書き込みをした。
○戸塚16:59→(沼津行き青春18きっぷ)→沼津(乗換)→浜松着21:02
○浜松21:38→(新幹線ひかり)→名古屋(のぞみに乗換)→新大阪着23:05
・・・6時間6分・・・ JR交通費 2,300+9,100=11,400円
こうして天皇誕生日にとうとう横浜まで来た。あと三日で日本橋へ。ゴールが見えてきた。
次回はここからスタートする。3月を予定している。