昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

母からの贈り物。

2010-11-14 17:34:53 | 家族
きのう母の三回忌で今は主のいない実家に行ったが

庭の母が育てたみかんの木がたくさん実をつけていた

まだ少し青かったのでとるのはやめた


帰り際に両親の眠る宮島の見える丘の上の墓を訪ねた

墓の前にある数本のみかんの木は父のあとを母がよく

お世話をしていた


暮れには段ボールに詰めたみかんを送ってもらった

日当たりのいいこちらのミカンは黄色く色づいていた

ひとつだけもらってカバンに入れた


「母からの贈り物」


いつまでも母は秋の贈り物をしてくれるだろう

食卓の上にたったひとつ置かれた母のみかん

いつ食べるやら・・・


今日も咳と鼻水でおだやかではなかった

早く元気にならないとじぶんらしくないぞ

しっかりしろ!


三回忌。

2010-11-13 22:11:48 | 家族
母の三回忌でふるさと広島へ日帰りしてきた

普段、なかなか兄弟が会うことはできないが

母が召集してくれたおかげでそれぞれの伴侶も

一緒に自分たちが生まれ育った母の思い出が

つまった実家で楽しく過ごしてきた


ただし、昨夜から咳がひどくてがらがら声で

いい声を母に聞かせることができなかった

風邪をひくと必ずのどを痛めるのは子供の頃と同じ

そんな時、いつも首のまわりを湿布してくれたことを

なつかしく思い出した

母のことになると尽きないなあ・・・・。


納骨を終えて。

2010-10-19 22:15:20 | 家族
家内の母親が亡くなったことがきっかけで、将来、子供に
迷惑をかけないようにするために墓をどうするか?
1ケ月あまり検討をしてきたが、京都・西本願寺の大谷本廟に
納骨することにした

幸い自分の家も家内のほうも菩提寺が真宗本願寺派だったので
話はスムースにすすんだ

自分がいつの日か永久の眠りを始めるのもこの京都・五条坂の
大谷本廟になることがほぼ決まった。大谷本廟は、浄土真宗の
宗祖の親鸞聖人のご廟所で、司馬遼太郎さんの墓地もあると聞
いている



家内、母親の関係する故人もまとめてお世話に
なることにしたので面倒なこともあったが
となりは清水焼の店が続くちゃわん坂、坂を上がると
清水寺、環境として申し分のない最善の方法だと
思ってほっとした



手続きを終えて時間も十分あったので家内の希望で
大龍馬展を開催中の霊山歴史館へ行くことにした

大谷本廟のある五条坂から歩いて八坂通りへ、東山に行く
と自然に足が向くのがこの八坂通り、このゆるやかな通り
を上りつめたところにある八坂の塔を見ないと気が済ま
ないからだが、その前にその八坂通りの京料理の店で
「ゆば御膳」の昼食をとった

ゆるやかな道を八坂の塔へ、手前にある庚申堂へよった
八坂通りの店々にも身代わりざるのおさるさんが軒下から
釣り下げられており奈良町とまったく同じ



八坂の塔は以前もこちらに紹介した記憶があるが、聖徳太子
が建てた法観寺という古いお寺なのになぜか八坂の塔と呼ばれ
写真でもよく紹介されている




おなじみの二年坂は大勢の観光客であふれ、人ごみをぬう様
にしてすすむ



高台寺に突き当たる手前の坂道を行く、そこから右へ
すすむ坂道が通称維新の道、正式には霊山坂、ここを
上っていくと突き当たり正面左が護国神社があり
右に霊山歴史館がある



維新の道を上っていく



すぐ左に幕末の西本願寺の別邸で翠紅館と呼ばれた屋敷跡があり
ここは志士達の会合の場所だったところで1863年に反幕府
勢力の各藩の志士達が集まり攘夷の具体策が検討されたことは
翠紅会議と言われている



霊山観音



明治元年に明治天皇の詔により維新に尽力し日本の
新時代に殉じた志士たちの霊を祀るために創建され
そこに各藩が次々と祠を建てている

坂本龍馬と中岡慎太郎、木戸孝充、高杉新作をはじめ
多くの志士達の墓にお参りした
墓地を訪れていた若い人たち、とくに修学旅行生の
多さには驚いた

見るだけではアカンぞ、龍馬のように目を外に向け、
大きな志を持って生きる人間になりいや!そう言って
やりたいが、自分のことを振り返ると生意気なことは
言えない、今の大人がだらしないからなあ



坂本龍馬と中岡慎太郎の墓↑と像↓



木戸孝充の墓



龍馬の墓前から眼下に京都市内が広がる、八坂の塔も真下に
きれいにみえる、その景色をみながら、龍馬はいま、どんな
気持ちで日本を眺めていることやら・・・
しっかりせいや!そんな声が聞こえてくるような気がした



歴史館は三度目だが初めての家内は興味を持ってきただけに
随分時間をかけて熱心に見ていた



霊山歴史館は全国唯一の幕末・明治維新の専門歴史館で、
現在は龍馬伝にちなんで特別展を開催している




高台寺の前でしばし甘党になりのんびり過ごした。


兄からのプレゼント!

2010-07-22 23:25:31 | 家族
先日、京都で二日間をともにした兄が以前にもまして

元気だったのに驚いて泊ったホテルでくつろいだ時に

聞いてみると起床してから始まるストレッチから一日の

過ごし方を計画的に健康と趣味を織り交ぜながら楽しく

工夫して過ごしていること聞かされた


断片的にはこれまでよく聞いていたのだが、じっくりと

話し込んでいると、よくそこまでもと関心することばかり

何事にも几帳面で研究(工夫)することが好きな兄の性格は

若い時のまま


そんな兄がこちらの体のことを心配して自分が飲んでいる

健康補助食品がいいので飲んでみないかと言っていたが

ほんとうに送ってきてくれた


これまでは年上の兄の体のことを心配してあれやこれと

言ってきたのだが、いつのまにか立場が逆転したみたいで

子供のころからの弟思いは相変わらずで嬉しかった


これまでサプリメントなど、一切、口にしたことはないが

大好きな兄が弟を思いすすめてくれるのだから効果があろう

となかろうとそんなことはどうでもいい続けてみる。


続・祇園祭山鉾巡行。

2010-07-18 20:53:58 | 家族
続・前夜の宵山に続き祇園祭のクライマックス、17日は「山鉾巡行」

32の山鉾が四条烏丸から長刀鉾を先頭にして順番にすすむ
四条河原町交差点で鉾の位置を90度左へまわして(辻まわし)
河原町通りを北上、市役所のある河原町御池通りで左に辻まわし
御池通りをすすみゴールのそれぞれの町内へ戻っていく

ホテルを出て8時10分にスタート地点の烏丸四条交差点へ行った
らすでに一番の見どころ四つの交差点角は身動きのできないくらい
の人で埋め尽くされていた

先頭の長刀鉾がスタートするのが9時、それまで人ごみの中でじっ
と待つ山鉾の巡行を見るのは初めてで興味津々、兄は動画で撮ると
張り切ってホテルで予行演習をしていたが大丈夫かなあ



一緒にいたのにいつのまにか人込みに押されて二人の距離が離れ
て行くときどき、“アニキ!”  “○○!”と確認しあった
斎竹(いみだけ)に張られたしめ縄(神域の境界を示す)を長刀鉾の
稚児の手でそのしめ縄を切り落とすことから巡行が始まった




雲ひとつない快晴の空に突き上げるように長刀鉾の長刀がそびえて
みえるコンチキチンの祇園囃子にゆったりと曳かれてすすむ姿は
まさに雅の巡行、32の山鉾はお囃子に合わせるようにゆっくりと
すすむ




いつのまにか外人さんが横に来て山鉾が来る方向が壁になった
困ったなあ・・・周りから聞こえてくる言葉は圧倒的に外国の言葉
警察官が後ろに下がるように言うが多分外人さんにはわからないん
だろう








巡行の半分くらいを見て、兄が見たがっていた「辻まわし」を見る
ために四条河原町交差点の高島屋前に移動、これも大変な人で難行?
その四条河原町交差点あたりは山鉾の上は見えるが車輪は見えない

[辻まわし]とは、山鉾自体が方向を変えるための舵がないので、車
輪の下に割り竹や棒を敷き、水をかけ、横から引っ張って車輪を滑
らすことで方向を転換する、囃子方・音頭取り・曳き手のタイミン
グをあわせて行う迫力ある辻まわしは巡行の見せ場の一つ。

とうとう辻まわしは見られなかったが、それでもしばらくは高島屋の
前の人ごみの中でやってくる山鉾を見続けた
後からデジカメを確認したら手を伸ばして撮った中の一枚に辻まわし
が写っていた-四条河原町交差点



11時半、さすがに足が疲れたのだろうか兄はもう満足したのでいい
というので見物は終えることにして高島屋のレストランで京都の
「鴨なんば」を食べたが兄もおいしいと大満足してくれた

予定を切り上げて12時半の新幹線で兄は広島へ帰って行った
兄弟二人、夏の京都で77歳と70歳の楽しい思い出をつくった
元気であればまたどこかに思い出づくりに行こう。

祇園祭宵山・伏見・ボストン展を兄と。

2010-07-17 16:15:47 | 家族
田舎の兄が祇園祭とボストン美術展を見たいというので
77歳と70歳の兄弟で楽しく歩いて回れる京都二日間コースを
用意して16日昼前に家内と京都駅で兄を迎えた

事前に寺田屋に行ってみたいというリクエストがあったので寺田屋を
含む伏見散策ウォークの資料を作成して、まず伏見散策からと
京都駅から近鉄、京阪電車を乗り継いで伏見の中書島駅で下車



伏見は伏水と呼ばれる良質の水が湧くところから伏見と名付けられ
酒造りの町として有名な酒蔵が集まっている
また明治維新を決した鳥羽・伏見の戦いで御幸宮に陣取った薩摩軍
と伏見奉行所の幕府軍が銃撃戦を繰り広げたところでもある(後述)

駅頭から始まる古い伏見の町を最初に訪れたのが赤い竜軍門のある長建寺
そのすぐ前を流れているのがかって伏見城の濠であった濠川、長雨で増水した
川には観光船として復活している十石船が停泊していた




濠川にそって柳の散策道が続き、向かい側は月桂冠でおなじみの大倉酒造の
白壁と黒壁が濠川の川面に映り情緒たっぷりの散策路を3人でのんびり歩いた



蓬莱橋を渡りまっすぐすすむと龍馬通り続くが左折して寺田屋に向かった
ついたばかりの観光バスから大勢の人が降りてきて寺田屋に入っていたので
先に昼食をすることにして黄桜酒造のレストラン、カッパカントリーへ行った



ここはウォーキング倶楽部の納会で何度も利用しているが酒も料理もおいしい
今日は龍馬にちなんで人気メニューという「龍馬弁当」にした
売店では龍馬の名前の入った地ビールや日本酒がたくさん売りだされていた




再び寺田屋へ行ったが次から次へと団体バスの観光客が訪れていた
狭い寺田屋の中は見物客でいっぱい、おばさん達が多いのにも驚いた
これもテレビの龍馬伝の影響なのだろうと思った






このSNSでも寺田屋のことは何人かの方が紹介していたので少しだけ触れて
おきたい

[寺田屋]は伏見と大坂の間を行き来する人を運んだ三十石船の船宿で、薩摩藩はここを常宿にしていた、文久2年(1862)に薩摩藩の尊王攘夷急進派の有馬新七らが薩摩藩主島津久光が鎮圧のために差し向けた藩士らと同志討ちをした寺田屋騒動があった宿として知られている
また、慶応2年(1866)には投宿中の龍馬が伏見奉行所に襲撃され、のちに妻となるお龍の機転によって難を逃れたことでも知られている





次は容赦なく照りつける暑い道を月桂冠大倉記念館を訪ねて明治の酒蔵を改装した館内を見学したあと利き酒をいただいたが、ここも観光バスで大勢の人が訪れていた




77歳の兄の足を心配したが日ごろからストレッチやウォーキングで鍛えているようで元気よく歩いてくれたのでさらに鳥羽・伏見の戦いの跡を訪ねて伏見奉行所跡へ向かった
元高校歴史教師の兄にはこちらが教えられることが多くて話がはずんだ



伏見奉行所は慶応4年(1868)1月に勃発した鳥羽・伏見の戦いでは新撰組、会津藩など旧幕府軍が陣を構えたところで300メートルほど北の御幸宮神社に陣を置いた薩摩藩や管軍の砲撃を受け奉行所は完全に破壊されてしまった
いまは市営住宅の一角に碑と石垣跡がわずかに残っているだけ、奉行所跡を探すのに時間がかかり荷物を持って歩いた兄はさすがに炎天下でき疲れたようでしばらく休憩した

そこから北へ御幸宮神社を訪ねたあと、近鉄から京阪電車を乗り継いで京都市立美術館のボストン美術展へ向かうために三条へ移動し、平安神宮前の京都市美術館を訪ねたら16時になっていた



「ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち」(朝日新聞社主催)
モネやゴッホなど、ボストン美術館が所蔵する16~20世紀のヨーロッパの巨匠47人のよりすぐれた名画80点が展示されていた



日本初公開というレンブラントの全身肖像画や、モネの作品が多く肖像画、風景画、宗教画・・・どれももすばらしい作品だったが、おなじみのミレーの「馬鈴薯植え」はよかった



展覧会場を出ると小雨になっていたがそのまま祇園祭の宵山へ向って四条新町方面へ

兄のリクエスト、「屏風祭」の「杉本家」に行きたいという、えっ?屏風祭?
初めて聞いた、宵山の期間中には、山鉾町内の旧家や老舗が屏風や掛け軸など秘蔵の美術品を飾り、祭り見物の人々に公開するそうだ、杉本家もその一軒京風の旧家に入って京独特の生活上の工夫やつくりを見てなるほどと思った


少しずつ暮れていく通りの山鉾に灯りがともされ始めていた、どんどんと増えてくる見物人の熱気とコンチキチンのお囃子で否応なしに祇園祭の世界へ引きずり込まれていった






人の多さにすべての山鉾を巡ることはできなかったが三人は足の疲れも忘れてほとんどの山鉾は訪ね歩いた、小雨と夕立で山鉾にビニールがかけられていたために雅な姿を見ることができなかったのは残念だった





歩きつかれて夕食に入った京料理の店で京都のおばんざい料理を兄に食べさせたが入った店が悪かったのか待たせるばかりで味もよくなくせっかくだったのにがっかりした

最後に烏丸・四条の長刀鉾をたずねた、山鉾巡行では常に先頭をすすむ長刀鉾のまわりは身動きもままにならないくらいの人、人、人・・・
人の波にもまれながら写真を撮っているうちにいつのまにか家内とはぐれてしまったが探すのも大変だし大阪へ帰る時間だったのでほっておいたら、1時間後に四条烏丸から阪急で戻ったとメールが入ったので安心した(最初から予定)



兄と二人で八坂神社近くのホテルへ着いたら22時半になっていた
今日の歩数は約22,000歩、昼間の暑さ、あの人ごみの中を77歳の兄がよく歩いた今日一日、とてもよかったと言ってくれたのが嬉しかった。

祇園祭!

2010-07-16 23:14:59 | 家族
いま八坂神社近くのホテルにもどってきた

心配していた雨は時々ぱらつく程度で

祇園祭の宵山を楽しんだ

それにしても大変な人出で烏丸四条付近で

家内とはぐれたが阪急で帰るだろうと探さなかった
(1時間後にちゃん帰宅したとメールがあった)

今夜はホテルで兄とふたり

明日の山鉾巡行は楽しみだ

そうそうボストン美術展もよかった。


兄弟で祇園祭へ。

2010-07-15 23:35:15 | 家族
京都は祇園祭のクライマックス

明日は宵山

明後日は山鉾巡行


京都に住んだことがありながら

祇園祭の宵山、巡行は見ていない

いまさら行くこともないと思っていた


ところが郷里の兄がぜひ見たいと

ボストン美術展見学も兼ねて明日来る

時間があれば龍馬の跡も歩きたいという


案内することはできるが説明ができるか

なにしろ現役時代は高校の歴史教師で

かなり勉強して資料も作ってくるに違いない


そんな兄の役にたつかどうかは知らないが

いつものウォーキング資料作成のつもりで

少しだが寄せ集めて準備してみた


祇園祭りの知識はあまりなかったので

兄のおかげで少しだけだが勉強ができた

二日間、仲良しの兄と過ごせるのが楽しみ


明日だけは家内も同行する

昼前に京都駅から、まず伏見に龍馬を訪ね

伏見散策、ここはお任せのコース


夜は「宵山」

降水確率50%が気にかかるが

夜は兄と語りあかそう。


息子からのプレゼント。

2010-06-16 23:01:42 | 家族
東海道五十三次の完歩と

父の日のプレゼントに

息子が

心拍測定機能付の腕時計を

送ってくれた



メーカーは違うが

ほぼ同じ機能付の腕時計を

普段から使っているので


両手にするわけにはいかないが

せっかくのプレゼントだから

時々、交代して使うことにしたい


この機能付時計には

猛暑の東海道を歩いているとき

ずいぶんと助けられた


日本橋にゴールして二ケ月になったが

ほんとうは息子の母校で会って

そこから日本橋まで一緒に歩くのが

歩く前からの約束だったので

タイトルもそのようにしたが

それが実現できなかったこと

とくに親子ゴールの写真が撮れなくて

兄たちにも見せられなかったことが

いまになって心残りになっている


途中から状況が変わって

その代わり大勢の人に

出迎えてもらったのだから

それはそれとして

生涯の思い出として大事にしたい。


母の日に思う。

2010-05-09 23:39:31 | 家族
どこにでかけても「母の日」のポスターが
目に付いていたその日はさびしく終わった

母が亡くなってから二度目の母の日
もう自分に「母の日」はない

人並みにカーネーションを贈ったり
生花よりも後も楽しめる鉢植えを贈ったり

普段疎遠ばかりにしていたので息子として
せめて「母の日」だけは気持を伝えたかった

心掛けたことは形ある花や品物よりも
添える「ことば」には工夫をしたものだ

母の葬儀のあと寄った実家の母の台所に
いつの母の日に贈ったのかわからない

万年筆の文字もにじみ色あせたメッセージ
カードが貼られているのをみた

実家に帰るたびにみていたので知っていたが
母には多分宝物だったのだろうと思った

葬儀の時、長兄が参列したご近所の人に
そのメッセージカードの文面を読み上げて

母と子供との関係を話していたのを思い出す
もちろん文章は簡単、一字残らず覚えている

いまも主のいない空家の台所には今日も
あの「母の日」のメッセージカードが
貼られたままになっているに違いない

母に普段から電話はあまりしなかったが
はがきだけは「母親通信」とよく書いた

母に贈る言葉を考えるのが楽しかったが
「母の日」がなくなったのはさびしい

”おふくろ、元気にしてる?”

http://hyamasaki.blog102.fc2.com/
もう一つの東海道五十三次・言葉の旅

母の一周忌。

2009-11-16 14:32:52 | 家族
昨日、母の一周忌で広島の実家に帰った
両親と先祖の墓参りをすませて
主をなくし住む者がいない実家の仏壇に
手を合わせてつぶやいた

 親父と楽しくやってますか?

 あんたも元気かね!

と母のくちぐせが聞こえるような気がした

兄弟とその伴侶全員が元気にそろって母も
安心したことだろう

家内が病弱であったために
孫の中でも特にかわいがられたわが息子も
日帰りで東京からかけつけてきた

母が管理していた実家の庭のみかんが
たくさん実をつけていて兄がお土産に
持たせてくれた

新幹線でそのみかんを食べながら母をしのんだ

実家に行く前にJR宮島口から連絡船の出る岸辺
にまわってみた

紅葉狩りの観光客が船着き場に列をつくっていた。

連絡船で宮島へ、船の右に厳島神社の鳥居が見える

ふるさとの母のもとに。

2009-08-30 18:32:22 | 家族
朝、衆院選挙を済ませてから
母の初盆を遅ればせながら
済ませるため
ふるさと広島へ帰った

丘の上にある墓にお参りして
兄が予約してくれていた
海の見える店で昼食をした


話はいつものように
母と父のことばかり

いくつになっても
親は生きている

ふるさとでの滞在時間は
わずか2時間だったが
母のふところへ戻って
安らいだ気分だった。



それぞれの戦後64年。

2009-08-16 23:52:50 | 家族
昨日のブログを書いてなかなか寝付けなかった

紹介した「昭和二十年夏、僕は兵士だった」を
読んでいて俳人の金子兜太さんが、戦後の自分の人生を

 「残生」

たくさんの死者を見送ったのに、自分は死ななかった
それ以後の人生は自分にとって、残りの命という感じがあると語っている。

戦争についても被曝体験についても何も口を開かなかった
父にとって「戦後」はなんだったのか。

もしかして、死した戦友や被爆死者に対して
生きている自分の後ろめたさとか
生き残った者としてどう生きるべきか
そんな葛藤を胸にしまったままに
何十年も生きてきたのだろうか!

いまになって父の苦悩みたいなものがわかってきたような気がして
子供のころ、なぜ、戦争の話をしてくれないのか?と
父に対して詰問したり、疑問を投げかけたことを
悔やんだりして眠れぬ夜を過ごした。

今日はお盆休みの最終日
新大阪駅はふるさと帰りの人々でラッシュ状態
不況だというがとてもそんなことが感じられない光景を
見ていて平和のありがたさ
今日の繁栄の陰に
意味のない死に方をした多くの青春が
あったことを忘れてはならないと思う。


8月16日18時16分。仕事場から撮影。

遠くなったふるさと、さびしかった連休。

2009-05-07 23:06:35 | 家族
連休が終わり普段通りの
生活に戻った


今年は3日から
お天気がすっきりしなくて
どこへも出かけず読書と
原稿書きで過ごした


例年は介護生活をしていた
郷里の母を見舞いに帰るのが
行事になっていたが


今年はふるさと帰りを
することもなくなって
落ち着かない日々を
過ごしてしまった


なんだか急にふるさとが
遠くなったみたいで
さびしいやら
物足らないやら


こうして
少しずつ
ふるさと離れが
始まるのだろうか


母の日を前に
今年はなにを
しようか
その必要もなくなった。




母から自然の恵。

2009-04-16 22:18:13 | 家族
ふるさとの兄から竹の子が届けられた

いなかの実家近くにある野菜畑の横に
20本程度のささやかな竹林がある。

野菜畑も竹林も長く母がお世話してきた
家族の大事な食糧補給地だった。

今年はその竹林に異常なほど竹の子が
生えてきているという。

義姉が茹でてパックに入れてくれていたが
食べきれないほどの量が入っていた。

その竹林と畑との間に実家の墓があって
去年の11月に父の待っていたその墓に
母がはいった。

竹の子が好きなことをよく知っていた母が
送ってくれた自然の恵みだろうと思った。