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空気を読む!

2008-02-07 23:06:58 | ひとりごと
たった一日だけ
それも講師と受講生という関係で
一緒に勉強したことのある営業マンが
うつ病とやらで
ずっと欠勤しているという話を
会社の人から聞かされた。

仲間に「空気」を
読むということを
盛んに話していた彼のことは
すぐに思い出した。

「空気を読む」
去年あたりからよく耳にすることばだ
「KY」とも言うらしい。

昔流にいえば
「察する」ということか

相手の表情や
しぐさ、態度
ことば、話し方、文脈・・・等々
をよく読んで

そこから
こちらのとるべきことを判断するという
「気配り」へのすすめだろうか。

「気づき」
とか
「洞察」
ということにも通ずるのかもしれない。

いずれにしても
いまの若者たちが
この「空気を読む」ということに
こだわるのは

仲間はずれにされたくないとか
不快な思いを与えたくないという
意味があるのだろう。

要するに人とうまくやっていきたい
人とのかかわり方に
神経を使っているということだ。

若い人たちと討議をしていて
いつも感ずることだが
自分の意見を述べるとき
相手の反応を顔で確認しながら
しゃべる特徴がある。

そんなことを思いながら
自分のことを振り返ってみると
それなりに気を遣っているつもりだが

そういうことに不得手なのだろう
あとから後悔することが多い。

若い人たちの中に入ることがよくあるが

場の雰囲気を壊すことをしてはならないし
違和感を与えてはいけないという
邪魔したらいけない・・・

これも空気を読む!ということか?

察しの文化
日本人はそれを美徳としてきた。

しかし

ネット社会になって
メールとか
HPとか
SNSとか

直接対面をしない
まったく違った出会いの場が
ネットという
見えない空間という形で
生まれてきて

そこで距離を測り
場の空気を推し量るということは
なかなか難しい。

「場」という概念も
すっかり変わってきた。

それだけに
「空気を読む」という
新たな技術を会得しないと
問題を生み出してくることになる。

最近
そういうことを感ずることが
よくある。

ことばと文字だけで
そこから何が読めるのか

そう思うと
迷惑をかけたり
失礼をしていることに
気付かずいる自分が
いるかもしれない。

ブログ、MIXI、掲示板等
鍵もなければ部屋もない
そして姿が見えない
24時間オープンの空間に
自分の場をつくってみて思うのは

自分なりのきちんとした物差しを
もって距離感を測っていかないと
迷惑をかけたり
受けたりすることになる。

横道にそれたかもしれないが
確かに場の空気を読むのがうまい人は
いる。

自分からみれば「あこがれさん」だ。