どこにでかけても「母の日」のポスターが
目に付いていたその日はさびしく終わった
母が亡くなってから二度目の母の日
もう自分に「母の日」はない
人並みにカーネーションを贈ったり
生花よりも後も楽しめる鉢植えを贈ったり
普段疎遠ばかりにしていたので息子として
せめて「母の日」だけは気持を伝えたかった
心掛けたことは形ある花や品物よりも
添える「ことば」には工夫をしたものだ
母の葬儀のあと寄った実家の母の台所に
いつの母の日に贈ったのかわからない
万年筆の文字もにじみ色あせたメッセージ
カードが貼られているのをみた
実家に帰るたびにみていたので知っていたが
母には多分宝物だったのだろうと思った
葬儀の時、長兄が参列したご近所の人に
そのメッセージカードの文面を読み上げて
母と子供との関係を話していたのを思い出す
もちろん文章は簡単、一字残らず覚えている
いまも主のいない空家の台所には今日も
あの「母の日」のメッセージカードが
貼られたままになっているに違いない
母に普段から電話はあまりしなかったが
はがきだけは「母親通信」とよく書いた
母に贈る言葉を考えるのが楽しかったが
「母の日」がなくなったのはさびしい
”おふくろ、元気にしてる?”
http://hyamasaki.blog102.fc2.com/
もう一つの東海道五十三次・言葉の旅
目に付いていたその日はさびしく終わった
母が亡くなってから二度目の母の日
もう自分に「母の日」はない
人並みにカーネーションを贈ったり
生花よりも後も楽しめる鉢植えを贈ったり
普段疎遠ばかりにしていたので息子として
せめて「母の日」だけは気持を伝えたかった
心掛けたことは形ある花や品物よりも
添える「ことば」には工夫をしたものだ
母の葬儀のあと寄った実家の母の台所に
いつの母の日に贈ったのかわからない
万年筆の文字もにじみ色あせたメッセージ
カードが貼られているのをみた
実家に帰るたびにみていたので知っていたが
母には多分宝物だったのだろうと思った
葬儀の時、長兄が参列したご近所の人に
そのメッセージカードの文面を読み上げて
母と子供との関係を話していたのを思い出す
もちろん文章は簡単、一字残らず覚えている
いまも主のいない空家の台所には今日も
あの「母の日」のメッセージカードが
貼られたままになっているに違いない
母に普段から電話はあまりしなかったが
はがきだけは「母親通信」とよく書いた
母に贈る言葉を考えるのが楽しかったが
「母の日」がなくなったのはさびしい
”おふくろ、元気にしてる?”
http://hyamasaki.blog102.fc2.com/
もう一つの東海道五十三次・言葉の旅
うちのかみさんもこんな幸せな母にしてやりたいのですが・・・しげ
親孝行もしないままに逝かせてしまいました。
はがき通信だけはそれなりにしたつもりですが・・・三ケ年計画にもありましたから。
わが家の女房にもそうさせてやりたいのですが無理でしょう。
生きているうち親孝行というけれど今となっては顔を見に行くのみとなってしまいました。
私もそうでした。遠く離れて暮らしてきましたので、母が置いてからは、会うのは状況の悪い時ばかり、親孝行どころではありませんでした。その分、母親通信のはがきを出し続けましたが、母はそれでも楽しみだったようでした。