たまたま約束していた午後の打ち合わせがなくなったので、まもなく大天守の保存修理工事が始まる姫路城へ行くことにして、11時39分新大阪からJRで姫路駅へ向かった。
姫路城は、わが国で世界遺産に登録された第一号、日本を代表する城であることはよく知られているが、来月11日から始まる工事で長らくあの白鷺にたとえられた美しい姿を見ることはできなくなる。工事期間中は平成22年4月12日から平成27年3月末まで、自分の年齢を考えると果たして修理後を見ることができる保障はないので急に行きたくなった。
姫路駅には入場まで40分待ちの案内が張り出してあった。混雑していることは覚悟して行ったので天守閣に登ることは諦め、ほどほど見学をしたあとは周辺のウォーキングをすることに切り替えて、姫路駅前の大手門通りをまっすぐにすすみ城への入り口、桜門橋に行った、すでに長蛇の列、入場門までちょうど40分かかった。
さらに、天守閣へ登るには2時間半か3時間かかると城内放送が繰り返されていた。とにかく人、人、人、すでに13時50分になっていた。二の丸まで行って引き返し、千姫ゆかりの西の丸へ移動、ここも40分待ちという。何度も来ているので中に入ることはやめた。
千姫について少し・・・七歳で豊臣秀頼と政略結婚をした徳川家康の孫姫(徳川秀忠の長女)は、大坂夏の陣で秀頼の死後、江戸へ戻る途中、桑名城主の本多忠政の子・忠刻と恋に落ち結ばれた。後に忠刻とともに姫路城へ移った。このとき、本多忠政が千姫のために西の丸を築き、そこから千姫は自分が築いた男山千姫天満宮を遥拝したという。
幸せな日々を過ごした千姫も結婚して11年目に忠刻が亡くなり、江戸城へ帰る千姫を藩士や城下の人々は泣いて送ったと伝えられている。
サクラは三分咲き位だったが西の丸の広場からの天守閣の眺めは見事だった。来週あたりは大変な人出になることだろう。
ここからは9年前にウォーキング倶楽部の例会で歩いたコースを逆に行くことにした。
桜門橋を出て城見台公園を北へ向かう。もう工事の準備が始まっている。
美術館前を左折して外堀にそってそびえる天守閣を左に見ながら人の姿もほとんどない道を清水橋へ。
ここから川沿いに北へすすむと男山へ登る急な階段が続く、登りつめると男山排水池公園へ、ここは姫路市内が一望できる眺望スポット。左手向こうに高くそびえる姫路城の大きさが実感できる。距離にして2キロほどか。
少し下って千姫天満宮へ行く。ここが千姫が建立し、城内の西へ丸から遥拝したと伝えられている天満宮だが、ここにも人の姿はなかった。
再び、清水橋へ戻り、中堀にそって続く千姫の小径をすすむ、堀の左上に千姫の西の丸がそびえて見える。
千姫の小径の途中に千姫、忠刻のふたりの歌碑があった。
「初秋の風を 簾(すだれ)にまきとりて」(忠刻)
「軒はにおほふ 竹の葉の露」 (お千)
裏に説明が彫られていた。
この歌は、千姫(1597-1666)が徳川第二将軍家忠から大安宅船(おおあたかぶね)を預けられたことを記念し、一家一族の繁栄を祝福するため、八月十四日の待宵を期して月見かたが「船」の題で歌の会を催した時の連歌の一部で、千姫が姫路で残した唯一の歌と言われています。
市之橋へ出て左折すると日本庭園が素晴らしい好古園へ、入園はパスして大手前通りを歩いて姫路駅へ、JRで戻ってきた。
サクラには少し早かったが、お天気がよくて姫路城天守閣を眺めることができて満足した。まもなく大工事が始まる、五年後の改修された姿を見られるのを楽しみに待ちたい。
姫路城は、わが国で世界遺産に登録された第一号、日本を代表する城であることはよく知られているが、来月11日から始まる工事で長らくあの白鷺にたとえられた美しい姿を見ることはできなくなる。工事期間中は平成22年4月12日から平成27年3月末まで、自分の年齢を考えると果たして修理後を見ることができる保障はないので急に行きたくなった。
姫路駅には入場まで40分待ちの案内が張り出してあった。混雑していることは覚悟して行ったので天守閣に登ることは諦め、ほどほど見学をしたあとは周辺のウォーキングをすることに切り替えて、姫路駅前の大手門通りをまっすぐにすすみ城への入り口、桜門橋に行った、すでに長蛇の列、入場門までちょうど40分かかった。
さらに、天守閣へ登るには2時間半か3時間かかると城内放送が繰り返されていた。とにかく人、人、人、すでに13時50分になっていた。二の丸まで行って引き返し、千姫ゆかりの西の丸へ移動、ここも40分待ちという。何度も来ているので中に入ることはやめた。
千姫について少し・・・七歳で豊臣秀頼と政略結婚をした徳川家康の孫姫(徳川秀忠の長女)は、大坂夏の陣で秀頼の死後、江戸へ戻る途中、桑名城主の本多忠政の子・忠刻と恋に落ち結ばれた。後に忠刻とともに姫路城へ移った。このとき、本多忠政が千姫のために西の丸を築き、そこから千姫は自分が築いた男山千姫天満宮を遥拝したという。
幸せな日々を過ごした千姫も結婚して11年目に忠刻が亡くなり、江戸城へ帰る千姫を藩士や城下の人々は泣いて送ったと伝えられている。
サクラは三分咲き位だったが西の丸の広場からの天守閣の眺めは見事だった。来週あたりは大変な人出になることだろう。
ここからは9年前にウォーキング倶楽部の例会で歩いたコースを逆に行くことにした。
桜門橋を出て城見台公園を北へ向かう。もう工事の準備が始まっている。
美術館前を左折して外堀にそってそびえる天守閣を左に見ながら人の姿もほとんどない道を清水橋へ。
ここから川沿いに北へすすむと男山へ登る急な階段が続く、登りつめると男山排水池公園へ、ここは姫路市内が一望できる眺望スポット。左手向こうに高くそびえる姫路城の大きさが実感できる。距離にして2キロほどか。
少し下って千姫天満宮へ行く。ここが千姫が建立し、城内の西へ丸から遥拝したと伝えられている天満宮だが、ここにも人の姿はなかった。
再び、清水橋へ戻り、中堀にそって続く千姫の小径をすすむ、堀の左上に千姫の西の丸がそびえて見える。
千姫の小径の途中に千姫、忠刻のふたりの歌碑があった。
「初秋の風を 簾(すだれ)にまきとりて」(忠刻)
「軒はにおほふ 竹の葉の露」 (お千)
裏に説明が彫られていた。
この歌は、千姫(1597-1666)が徳川第二将軍家忠から大安宅船(おおあたかぶね)を預けられたことを記念し、一家一族の繁栄を祝福するため、八月十四日の待宵を期して月見かたが「船」の題で歌の会を催した時の連歌の一部で、千姫が姫路で残した唯一の歌と言われています。
市之橋へ出て左折すると日本庭園が素晴らしい好古園へ、入園はパスして大手前通りを歩いて姫路駅へ、JRで戻ってきた。
サクラには少し早かったが、お天気がよくて姫路城天守閣を眺めることができて満足した。まもなく大工事が始まる、五年後の改修された姿を見られるのを楽しみに待ちたい。
腰が抜けそうなくらい驚いてます。
「もうひとつの東海道」で見ざる言わざる聞かざるの猿が奇遇だとコメントしてきましたが、
千姫まで重なるとは・・!
不思議ですね!
それにしても千姫を旅館の名前に使って物語とくっつければ夢があってヒットですね。