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終戦前日、大阪大空襲の日を思う。

2010-08-14 19:45:06 | ひとりごと
今日14日、65年前の終戦前日、大阪は8度目の大空襲を
受けた日

今夜のNHK19時のニュースでその模様が京橋空襲として
報じられていたのでブログにしてみることにした

あの日、今の大阪城公園一帯にあった大阪砲兵工廠などが
米軍のB29、約150機により約700トンの1トン爆弾を
集中的に投下された

午後1時頃、その空襲から逃げようと今のJR環状線京橋駅に
かけこんだ人達が落とされた1トン爆弾4個によって500人
以上が犠牲になった
そのことがいまでも「京橋空襲」として語り継がれている

京橋駅の南口横の道路わきに慰霊碑が建てられているので
何年か前にウォーキング倶楽部例会で大阪の戦争のきず跡
を巡るウォークを企画しメンバーを連れて行った

何度もあの慰霊碑の前に行っているが、その度に思うのは
あのポツダム宣言を早く受諾しておればこんな悲劇もなく
広島、長崎への原爆投下もなかったのだから残念でたまらない



改めて「日本のいちばん長い夏」を久しぶりに読み直してみた

7月28日、日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言に対して
日本政府が翌28日にこれを「黙殺」すると発表したことが
そのあと広島、長崎への原爆投下になり全国各地で戦火の
犠牲を拡大してしまったのだから憤りは消えない

長崎原爆投下の翌10日にポツダム宣言を受諾する方向で
連合国側に伝え、8月14日の御前会議で宣言を受諾すると
決定、午後11時に正式受諾を連合国側に回答したという

翌15日の正午、ラジオを通して天皇陛下が敗戦を伝える
玉音放送を行った

その間にも神奈川県の小田原市は8月15日の午前0時から
3時の間にB29の爆撃を受け市街地は火の海となり早朝
まで燃え続けたという
この数時間後に小田原市民は終戦の詔勅を聞くことになった
のだからやりきれない

「日本のいちばん長い夏」、65年の時が過ぎても真実は
伝えられなければならない。

(今日が一番若い日→70歳と113日)


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