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義母が亡くなった。

2010-08-15 15:18:34 | ひとりごと
きのう家内の母がなくなった
本人が病を抱えながら母親の介護に通っていたのに
その隙間、みとることなく亡くなった

1年半前に亡くなった自分の母親と同様に寝たきりの
辛い介護年数が続くばかりで長生きすることが果たして
幸せなんだろうかといつも思っていた

これで本人も家内もほっとしたのではないだろうか
ふとそんなことを思った

今日は終戦記念日、昔は敗戦記念日といっていたように
思うが義母は65年間たってやっと終戦を迎えたのだろう

終戦当時、家内は両親や親戚筋と満州の開拓団にいた
8月9日、突然ソ連軍が参戦し満州方面に攻め入ってきた
ために家内の父親は現地で召集された
(詳細は聞いていない)

そこでソ連軍に捕まったのだろう、シベリアへ送られた
その後は今日までの65年間、消息不明のままに過ぎて
きた

昨日のブログに書いた通り、ポツダム宣言を早く受諾して
おれば少なくともソ連軍の参戦はなく何十万という日本人
人が極寒のシベリアへ連れて行かれ強制労働の末に多くが
命を落とすという悲劇は起こらなかったはずだ
わずか数日のことで犠牲者は膨れ上がったのだ
北方四島を失う因になったのかもしれない
(このあたりの状況は数日前のNHK特集番組の通り)

家内は伯父夫婦と母親に連れられ長い逃避行のすえ日本へ
聞いた話で一歩間違えれば残留孤児になっていても不思議
ではなかったのでよくも無事に帰国を果たしたものだ

当時、女の子は中国人から欲しがられたそうで幼かった
家内は丸坊主にし男の子のかっこうをさせて盗られない
ようにしたと伯父から聞いたことがある

わが家では家内の父親のことやシベリアの話は意識的に
してこなかったのでこれで当時の状況を知る身内もなく
家内もやっと終戦を迎えたと思っているだろう

今日はこれから通夜、明日に葬儀を行うが
お盆でもあり、息子(孫)にも誰にも知らせず
夫婦だけで葬ることにした。



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