もう、13年目になるのか・・・
阪神淡路大震災
今日のような寒い日だった
下から突き上げられるような揺れに
蒲団の中から動くことができなかった。
兵庫県に隣接する市のわが家(マンション)は
棚の物が落ちた程度ですんだが
あの恐怖の一瞬は忘れられない。
あの日の前日16日の夜
二日前のセンター試験に失敗した息子と
進路について深夜遅くまで話し合い
受験校を変更することにした。
翌17日に
学校の見学と願書取りに行く約束をして
寝たのはもう17日の二時か三時頃だったと思う。
願書は締切り数日前に
郵便で手にしたが
試験会場は大阪になり
近隣の大学なのに
一度も見たこともないままに受験。
受かったその学校も
高校で進学指導のベテランだった兄が
もったいないことをするなと反対したのに
もし・・・また?
という恐怖もあったりして
親子共々に考えたこともなかった
東京で学生生活を送ることになった息子は
そのまま東京にいついて13年目。
父さん子だった息子も
卒業したら戻ってくるということで
4年間が待ち遠しくて
親父から息子へのはがき通信を書き続けた。
(これが読売新聞から取材、掲載された)
もう、一緒に歩くことも
生活することも
かなわないことだが
毎年、鎮魂の日がくるたびに
わが家のあの日が
思い出されて
複雑な心境になる。
でも永遠に一緒に歩けなくなった
多くの親子さんたちに比べたら
幸せなものだ。
年末まで主宰していたウォーキングクラブでは
毎年、1月例会は「震災モニュメントウォーク」を
行ってきた。
随分と多くの慰霊碑を訪ねてきた。
3年前には、半年かけてメンバーが折り続けた
6433羽の折鶴を東遊園地の慰霊碑に持っていった。
(当時聞いた亡くなった人の人数分)
http://www.human-dy.com/shinsai.walk.17.1.16.html
すっかりおなじみになった
はるかのひまわりの活動も続けている。
あの日
隣の大阪におりながら
なにの役にもたたなかった
悔いがあったからだが
これは自分がヒロシマの高校時代に
やっていた活動につながっていること
ノーモア ヒロシマ!
ノーモウ コウベ!
今日は東京で
息子もあの日のこと
あの日から今日までのこと
思い出していることだろう。
震災さえなければ
いつも一緒に生活できたのに
息子の部屋は親父の部屋になっているが
本箱はあの年の息子の部屋のままだ。
その後も続く震災、自然災害・・・
どこかで、だれかが自分の身代りになって
いると思うと祈らずにはおられない。
極めて個人的な17日の話になったが・・
6434の御霊に祈りを捧げます!
阪神淡路大震災
今日のような寒い日だった
下から突き上げられるような揺れに
蒲団の中から動くことができなかった。
兵庫県に隣接する市のわが家(マンション)は
棚の物が落ちた程度ですんだが
あの恐怖の一瞬は忘れられない。
あの日の前日16日の夜
二日前のセンター試験に失敗した息子と
進路について深夜遅くまで話し合い
受験校を変更することにした。
翌17日に
学校の見学と願書取りに行く約束をして
寝たのはもう17日の二時か三時頃だったと思う。
願書は締切り数日前に
郵便で手にしたが
試験会場は大阪になり
近隣の大学なのに
一度も見たこともないままに受験。
受かったその学校も
高校で進学指導のベテランだった兄が
もったいないことをするなと反対したのに
もし・・・また?
という恐怖もあったりして
親子共々に考えたこともなかった
東京で学生生活を送ることになった息子は
そのまま東京にいついて13年目。
父さん子だった息子も
卒業したら戻ってくるということで
4年間が待ち遠しくて
親父から息子へのはがき通信を書き続けた。
(これが読売新聞から取材、掲載された)
もう、一緒に歩くことも
生活することも
かなわないことだが
毎年、鎮魂の日がくるたびに
わが家のあの日が
思い出されて
複雑な心境になる。
でも永遠に一緒に歩けなくなった
多くの親子さんたちに比べたら
幸せなものだ。
年末まで主宰していたウォーキングクラブでは
毎年、1月例会は「震災モニュメントウォーク」を
行ってきた。
随分と多くの慰霊碑を訪ねてきた。
3年前には、半年かけてメンバーが折り続けた
6433羽の折鶴を東遊園地の慰霊碑に持っていった。
(当時聞いた亡くなった人の人数分)
http://www.human-dy.com/shinsai.walk.17.1.16.html
すっかりおなじみになった
はるかのひまわりの活動も続けている。
あの日
隣の大阪におりながら
なにの役にもたたなかった
悔いがあったからだが
これは自分がヒロシマの高校時代に
やっていた活動につながっていること
ノーモア ヒロシマ!
ノーモウ コウベ!
今日は東京で
息子もあの日のこと
あの日から今日までのこと
思い出していることだろう。
震災さえなければ
いつも一緒に生活できたのに
息子の部屋は親父の部屋になっているが
本箱はあの年の息子の部屋のままだ。
その後も続く震災、自然災害・・・
どこかで、だれかが自分の身代りになって
いると思うと祈らずにはおられない。
極めて個人的な17日の話になったが・・
6434の御霊に祈りを捧げます!
大したことは出来ませんでしたが、
ボランティアにも参加させていただきました。
人間の非力さとまた逆に力も感じました。