4年前のあの日、朝、7時45分頃、現場に近いJR尼崎駅を
山陽線で西に向かっていた。
夕方、仕事を終え出張先のホテルに入って事故のことを知った。
深夜までテレビを見ていたことを鮮明に覚えている。
次の日、21時前に尼崎駅を通って帰阪した。
あれから4年、時の流れの早さに改めて気がつく。
犠牲になられたご遺族、傷ついた方には、あの日から時間が止
まっていることだろう。
2年目の6月
お世話をしているウォーキング倶楽部で慰霊ウオークを行った
メンバーが折った1000羽の折鶴を現地の慰霊場所に捧げた。
現場を見て思った。
傷がついたままの狭いマンション
地下へ一両目が入ったというが
とてもそんなスペースはない
地獄だったろう。
急カーブの線路
想像するだけでも鳥肌がたった。
今日、1両目の車両から22時間後に救出された大学生
(当時)と
救出した救急センター医師との対面場面がテレビで報じ
られていた。
杖をついて歩く青年のさわやかな顔がうれしかった。
幸せになってほしい。
いまなお、後遺症で苦しまれている方の快方が1日も早い
ことを願わずにはおられない
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
山陽線で西に向かっていた。
夕方、仕事を終え出張先のホテルに入って事故のことを知った。
深夜までテレビを見ていたことを鮮明に覚えている。
次の日、21時前に尼崎駅を通って帰阪した。
あれから4年、時の流れの早さに改めて気がつく。
犠牲になられたご遺族、傷ついた方には、あの日から時間が止
まっていることだろう。
2年目の6月
お世話をしているウォーキング倶楽部で慰霊ウオークを行った
メンバーが折った1000羽の折鶴を現地の慰霊場所に捧げた。
現場を見て思った。
傷がついたままの狭いマンション
地下へ一両目が入ったというが
とてもそんなスペースはない
地獄だったろう。
急カーブの線路
想像するだけでも鳥肌がたった。
今日、1両目の車両から22時間後に救出された大学生
(当時)と
救出した救急センター医師との対面場面がテレビで報じ
られていた。
杖をついて歩く青年のさわやかな顔がうれしかった。
幸せになってほしい。
いまなお、後遺症で苦しまれている方の快方が1日も早い
ことを願わずにはおられない
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
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