田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

180203 朝の散歩 昼の散歩115   ・・・・I LOVE 友 Mine Engel①

2018年02月03日 11時22分20秒 | 愛・LOVE・友 

「いや、現実生活の中に教材があるからね。専業主婦のAさんと病気療養中の若い女性のBさんにモニターになっていただいて、彼女たちから質問を受けながら、一緒に考えていくという方法でやっている」

・・・・寺子屋の楽しさは?

「学習は喜んでやれるか、長続きするにはそれが良い時間を過ごせるか否かだ。人類の歴史が展開した時空に遊び、暇をつぶすのは楽しい。」

・・・時空に遊ぶ?自由に話すという意味かね?

「時間の範囲は宇宙の創世から今日まで。地球ができてから今日までを1年365日とすれば、人間が農業を発明して今のような社会を作ったのは0.2秒前に過ぎぬ。世代数からすれば300世代ぐらいかな?このうち人間が経済学を論じ始めたのは3000年前ぐらいだし、近代経済学に至っては200年に満たない。」

・・・それで?

「何が正しいかを明らかにするには、真理そのものではなく真理に向かうその人の態度による。対象への向き合い方で真理は汚されるし、隠蔽もされる。学問の神様アリストテレスは、(人の)幸福は余暇のうちにある。それに人生の充実が加われば人間の持ちうる完全な幸福・・が得られる。だから寺子屋の目的は、語り合い学ぶことで、余暇の意味を知ること、経済学をその立場から見直したいということに置いた。」

・・・・塾生はよろこんでいる?参加費は?

「一回200円。10人ほど集まる。費用はコピー代ね。塾生の1人はこう言ったよ。何の気なしに来ていたけど、オレたちすごいことを勉強しているのだね、と。」

・・・・学校ではない?

「学校・スクールの語源は余暇・スコーレから来ている。仕事の余暇に自由に好きなことをやる、それが本来のスクール、今の学校はいい成績を取るのが目的になっている。」

・・・・???

「寺子屋に来ても何の実利もない」

 

サラリーマンをやめてすぐに某宗教大学に入学。それを卒業すると今度は国立大経済学博士課程に入学。当時の手紙によれば、経済学を発生の根本から学びたいとのことでした。だが国立大学では教授と折り合いが悪くすぐに退学、それじゃあオレがやるしかない、2003年、月二回のペースで自称寺子屋を開いて経済学を勉強中です。若かりし頃、彼は「貧しい者の立場で経済学を考える」べきと、普通の経済学を批判してことが思い出されました。彼によるとふとしたことでイエス・キリストの山の上の説教「幸いなるかな」に接した。福音「神の国」を導きとしてあるべき経済学(オイコノミア)を自分なりに形成できるのではないかとなったようです。その着想は大胆、ある意味で奇抜といわれても仕方が無いけれど、彼の研究はアカデミズムに受け容れられるものではないらしく、おそらくただの「ぼやき」にとどまっていくかも知れません。しかしその彼が送ってくれる言葉の端々には私が共鳴するところ、時に分厚い言葉があり常々私自身も現代の経済学は、人間の真の幸福とはなにかというイエス・キリストの提起していた訴求が消え、お金(=交換価値)の動きだけを見つめてあれこれ遊んでいる感じ、極言すれば経済学は空回りしているように思えていたからです。


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