170420 朝の散歩、昼の散歩(52)・・・老境の友「百姓をやめてサラリーマンに」
英語サロン(since2002)ではこの15年間に多くの人との出逢いがあった。そこで出てくる話題は多種多様でその新鮮さや唐突さで迫りくる私のボケを遅らせてくれていたかもと思っている。
10年前のこと。同じ会社に勤めていた友人がふらりと英語サロンにやってきた。彼は近畿(三重)の百姓家に生まれ、「諸般の事情」で大阪に出てサラリーマンになった。順調に出世を果たし、輸出業務で世界を駆け巡り40年間に大きな業績を上げたが・・・。今(2017年)再び百姓になりたがって?あがいている。
彼は、時々年賀状などで奇妙な文章を送ってくれていた。どうやら彼自身のことをだぶらせているのだろう。例えば・・・。
「南洋」に出かけた金持ち(たぶん土地成金=自分のこと)がそよ風に吹かれている村の老人に言った。「どうして働いてカネを儲けないのかね?」老人は面倒くさそうに返した。「カネを儲けて何がいいのかね?」
「大きな家に住んで、池に鯉を飼って、エアコンの部屋でのんびり、水は水道をひねればいいし、旨いものもなんぼでも食えるんだ」
「旨いものって何かね」
「マグロのトロの刺身、神戸牛のビーフステーキ、新鮮な野菜」
「なんだね?そんなのここにはみんなあるわいな。ほらここに湧いている水はうまいね、ここの涼しい風は身体にいいね。刺身? ここのトコブシやアワビはうまいがね。海草は野菜よりたくさん採れるよ、みんなタダ。あんたはなんであくせく働いてあんな空気の悪い都会にいるのかね」・・・。
またある時彼は次のようにぼやいていた。
僕は、大きな家には住めなかったが、給料の右肩上がりのおかげで、オール借金で家族が暮らすには十分な家も建てられた。メシも人並みには食えた。
だが淀川の水道水は、昔はそのままでも旨かったのに、やがて浄水器をつけないとどうにもならなくなった。風呂に入れた水はカルキの臭いがふんぷんとしていた。
この生活、僕が百姓を捨てて求めた成果なのだろうか? 僕が村を離れてから40年余り、この今の「近代生活」はそのご褒美だったのだろうか、あるいは村を裏切った天罰だったのだろか?
都会に出るに当たり、僕は「おふくろに楽をさせてやりたい」、「おやじの療養費を稼ぐ」、「先祖伝来の土地は手放すまい」、「弟妹の自立まで支援せんとアカン」と思っていた。でも、僕はもしかして、生まれ故郷を壊すことに加担してしまったのかもしれない。「あっちの水は甘いぞ、こっちの水は辛いぞ」といって、甘い水を求めて集団的に村を脱走したんだ。
最近僕が村に帰ってみたらすべて荒廃の極みになっている。村の人口は3000人から今は1000人だ。僕の小、中の母校はなくなろうとしている。小学校は全校で20数名しかいない。そのころ1学年50人だったのに。65歳以上の高齢者が4割を占め、防団も結成できない。氏神のお祭りは老人も子どもを総動員してもやっと実行できる。田畑の放棄も目立つ。里山は立ち枯れた松があちこちにある。近代技術のおかげで簡易水道と簡易下水道をひいてもらったが、老いたおふくろの家はただ負担金が増えただけである。家の井戸はむなしく汚れている。
都会の自分も旧家も豊かにというのは、欲張った希望だった。凡庸な貧農の倅が考えそうなことだったが。ちょっと資本主義の原理をかじれば(田舎で金儲けはできないことは)解ることだがな・・。
まあよい、これから夜の難波に行く。神戸牛のビフテキが旨いレストランだ。このシェフは同じ村の友人だ。元のような活性は戻らない故郷をしのんでいる僕のオアシスだけど、なああ・・・」
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