田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

覚えることと知ることと・・・劣等生の魅力

2008年12月10日 21時47分05秒 | 愛・LOVE・友 
「45年の教師生活の最後の頃、私は心の中でどうやったら彼らをやる気にさせるのだろうかと問い続けた。学生諸君には色々な試験を通るために短期間でもよいから覚えておくという勉強をすることはあっても、自然や社会に対して自分が持った疑問を、自分で努力して解いてやろうという気持が弱いように思えたからである。旧制大学や新制大学の初期の学生には自分の疑問大切にし、それを勉学の基礎にする風はかなり強かった。それが失われていく過程や条件は、教育に従事する人々にとってはいまでも大きな問題であろう」
思うに、受験勉強は、なぜ?という疑問を差し挟む必要のない勉強である。断片化された知識を正確に覚えておいて紙上にぶちまければ、合格点が採れるか、○×式に答えを選択すれば、その比率が高ければ合格する。
古島教授は、言う。「身の回りをよく眺め、おかしいなと思うことがあればさらに詳しく調べて見るという気風は何も学校で養われるものではない」子供の知識欲を育てるには、「どうして?どうして?」と何につけても繰り返して尋ねる子供の質問を「うるさい子だ」と言葉を遮られることをしないことだ。親が「なぜだろう、なぜだろう」と一緒に疑って時には一歩進んだ答えを与えてくれることが自分にとってよかったと述べている。自然への接触は四季を通じて多くなり疑問の幅も拡がる。遊びの中で知識が身に付いていくものだと言うのである。まことにもっともだと思うが、現代の教育観にはそれがすっぽり欠落しているような気がする。おそらくそうした機会に恵まれた子供が大成する。教育は大人はほんの手助けをするだけでよい。干渉しないこと。「どうして、どうして」という疑問をとことん追いかける、大人は暖かく手助けする、丸暗記の世界とは全く違う環境に子供を置くことだと思う。

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