競馬の出走表を眺めていてふと唐突に考えるのは、一見ランダムに並べられた無数の馬名や人名の羅列に、こっそり何か意味のようなものが埋め込まれていたなら、全く対応出来ていないことになるな・・・という恐怖感。
そこで文化的素養の基礎の基礎を少しずつでも入れていきますか・・・と、最近新書を何冊か読んでみた中の1冊が「俳句的生活」(長谷川櫂著)。
あいにくそちら方面にとことん疎く、Google 日本語入力で「ハセガワカイ」と打ち込んだらあっさり著者名が出てくるくらいの著者なのかどうかもわからずとりあえず読んでみた。
学生の時に受験で古文をやったことはあるのだから、意味もよくわからずひらがなを中心に縦書きされているのをな~んとなく適当に読んでも、俳句の575とか和歌の57577っぽく「区分け」しつつ目で追えはする。
語感というか風情の欠片はわかるような気がしないでもないけれど、季語の種類もろくに知らないし、味わうのには程遠い。
まあそんな中で、やはり松尾芭蕉と正岡子規の二人に関しては個別の著書に目を通しておくべき・・・と感じたことが、今回この本を通読した収穫ということにしておきたい。
それと、敢えて学生時代に避けた谷崎潤一郎の小説を、そろそろ何冊か読んでみる頃合いかな?と思ったことも(この新書の著者が、谷崎潤一郎に関するエピソードを再三入れてきていたので・・・)。
読んでないのに、そのうち読もうと本棚に入れたままにしてある谷崎潤一郎の文庫本「蘆刈・卍」があるのも変な話。この本は、学生の時に奈良の奥に旅行に行った時に、「春琴抄・吉野葛」とともに持って行ったものの、ともに挫折したままだったのも覚えとる。
そこで文化的素養の基礎の基礎を少しずつでも入れていきますか・・・と、最近新書を何冊か読んでみた中の1冊が「俳句的生活」(長谷川櫂著)。
あいにくそちら方面にとことん疎く、Google 日本語入力で「ハセガワカイ」と打ち込んだらあっさり著者名が出てくるくらいの著者なのかどうかもわからずとりあえず読んでみた。
学生の時に受験で古文をやったことはあるのだから、意味もよくわからずひらがなを中心に縦書きされているのをな~んとなく適当に読んでも、俳句の575とか和歌の57577っぽく「区分け」しつつ目で追えはする。
語感というか風情の欠片はわかるような気がしないでもないけれど、季語の種類もろくに知らないし、味わうのには程遠い。
まあそんな中で、やはり松尾芭蕉と正岡子規の二人に関しては個別の著書に目を通しておくべき・・・と感じたことが、今回この本を通読した収穫ということにしておきたい。
それと、敢えて学生時代に避けた谷崎潤一郎の小説を、そろそろ何冊か読んでみる頃合いかな?と思ったことも(この新書の著者が、谷崎潤一郎に関するエピソードを再三入れてきていたので・・・)。
読んでないのに、そのうち読もうと本棚に入れたままにしてある谷崎潤一郎の文庫本「蘆刈・卍」があるのも変な話。この本は、学生の時に奈良の奥に旅行に行った時に、「春琴抄・吉野葛」とともに持って行ったものの、ともに挫折したままだったのも覚えとる。