四国学院大学
アートマネジメント公開講座2018
9/23 基礎講座
『60回目のかがわ文化芸術祭』
講師:橋本一仁
1990年代からの
日本の文化芸術環境の変化をはじめ、
英国の地域劇場や文化芸術政策(視察より)、
かがわ文化芸術祭の60年のあゆみなど。
………………………
■文化芸術環境の変化
転換期となった90年代。
バブルの崩壊と共に、効率性や機能性重視の
経済発展に陰りが見え始めた。
中央主導の行政システムの変化。
地域の抱える課題にきめ細かく取り組む
自治体行政の新しいシステムの実現が模索されてきた。
…………………
■英国の地域劇場 ( 視察より )
文化行政政策について
文化の民主化
→質の高いもの、優れた芸術文化の成果を
多くの人に届けようという考え方
文化の民主主義
→より多くの人が文化芸術活動の過程に
関わっていくコミュニティアートの考え方
〔英国の地域劇場〕
・エディンバラ……トラヴァース劇場
・グラスゴー……シティズンズ劇場
・リーズ…
ウエスト・ヨークシャー・プレイハウス
など
地域の文化の拠点として
地域の人々の生活に繋がるような活動
それぞれの地域が抱えている問題を
どう解決しようとしているか
例えば…
多文化の人々の問題を解決するための
様々なプログラム
中央主導から地域主導へ
という行政システムの変化に伴い
文化の民主化から文化の民主主義へ
……………………………
■かがわ文化芸術祭の60回のあゆみ
1961年 高松市民会館 開館
1966年 文化会館 開館
文化団体の発表の場所として
表現者の育成、支援からスタート
鑑賞者への対応の視点が少し欠ける
↓
様々な改革
30回(1987) 5000人の第九
31回(1988) 県民ホール 開館
38回(1995) ミュージカル「スサノオ」
芸術祭、一旦休み
【国民文化祭かがわ'97】
*サブテーマの設定
*対象部門の拡大(文芸が参加)
*主催公演の企画の公募制導入
*モニター制度の導入
(反応を知りフィードバック)
*ワークショップ等 参加型 模索
40回(1998) シアターワークショップ
↓
3年間の成果発表として香川を舞台に演劇
42回(2000) 「紙屋悦子の青春」「夏の花火」
衛紀生/松田正隆/西川信廣(文学座)
43回(2001) プロムナードコンサート
*ホール以外の場でも楽しめる
*他ジャンルとのコラボレーションも
45回(2003) さぬきシェイクスピア
↓「ロミオとジュリエット」
46回(2004) ↓「ハムレット」
↓ ※ 2004 サンポート高松 新設
47回(2005) ↓「夏の夜の夢」
48回(2006) 劇空間プロジェクト
旧金比羅大芝居(金丸座)とシェイクスピア
「じゃじゃ馬ならし」
49回(2007) 「暮らまるごとアートフル」
50回(2008) 【かがわ文化芸術祭】と改称
「暮らしにアート」
「アート塾」
アートを生活の中でとらえ直す
高みと幅と厚みのある
より豊かな地域創造とも連動した
文化芸術を目指すはことを始めた
大型アートプロジェクト
瀬戸内国際芸術祭 始まり
芸術祭は、生活と共にあるもの、地域密着型
のアートとして区分けできるものにしたい。
52回(2010) 街角アートパフォーマンス
スタート
53回(2010)「恋するジュリエット」
音楽舞踊劇
*演出 西村和宏
56回(2014) かがわ演劇祭
(シェイクスピア関連)
子どもシェイクスピア
「ロミオとジュリエット」
57回(2015) 前夜祭 紅白対抗 さぬき音楽祭
県展80周年
59回(2017) 宵闇のリューゲ 上映会
60回(2018) 記念シンポジウムなど
160事業が準備されている
香川の文化芸術の歴史の流れ、
話の中から主なものを挙げてみた。
(年など間違ってたらすみません…)
多文化の交流と創造は
これからも大切にしていきたい。
……………………………
私事ではあるが、振り返ってみると
いくつか関わっているものがある。
主なものは、
2006年 金丸座での「じゃじゃ馬ならし」
しかし実はその前に参加しかけたものもある。
2000年「紙屋悦子の青春」「夏の花火」の
オーディションに参加して通ったものの、
仕事の都合で辞退してしまったのだ…。
1999年、ちょうど結婚した年に
オーディションだったか。
次年度、あの職場の異動がなければ(涙)。
近いところなら 2014年
子どもシェイクスピア
「ロミオとジュリエット」に次女が参加。
親も貴重な体験となった。
そんなこんなで、
人生の節目には香川の演劇との接点が
あったのだなと改めて思う。
観客としてなら、
上に挙がっているものの他にも
たくさん観てきた。
そんな機会が増えたのも、
さぬきシェイクスピアでご一緒した方々
からの案内があったからかもしれない。
それでも、子育て中は滅多に出られず(笑)。
年の離れた子ども三人、
常に幼児の居る生活を十数年。
外に出る為に周囲の説得や お願い。
時には 考え方の違いに闘いながら。
そんな中、誰かに預けなくても
出かけられるような
家やきょうだい間のシステムを
コツコツ作り上げてきた(笑)。
やっとだ!と思ったのも束の間
介護期に。終わると次はまた違う問題が。
色々な意味で引きこもりの時期が続いたけど、
演劇に触れたい思いは雑草の芽のごとく
刈っても枯れずに根を張っていたようだ。
ささやかながらも息を吹き返している。
そんな自分の日常や、誰かの別の日常も
どこかで交わるような これからを
足もとから目指していきたい。