10/6(土) サラダボール公演
『川底にはみどりの魚がいる』観劇
大きなセットは
『髪をかきあげる』とほぼ同じ。
しかし手前中央のテーブルとイスは透明。
奥に斜めに横たわる大きな台の上には
透明の板のボックスがベンチのよう。
端には、透明の食器やグラスが
いくつかずつ、まとめて置かれている。
透明なモノが現実離れした雰囲気。
好きの言葉をせがむ女と、乗り気でない男。
男には召集令状。早く婚姻届を出したい女。
どうせ死ぬからと拒む男。
男の元彼女。元反政府活動をしていた者同士。
三人の揺れる関係を見ながら
自分の感情移入の対象も揺れた。
結婚とは何なのか。戸籍上のことなのか?
それはその人たちが生きていく上で、
どんな意味を持ち、
どんな意味を持たないのか。
今ある価値観、何を大事にするのかなど
当たり前に捉えていることに疑問を持ったり
自分なら…と改めて考えたりした。
もし、今ある世界がひっくり返ったら。
今のままではいられないかも。
すべてにおいて。
法律や慣習や、決まった形に従うか抗うか。
そして身近な大切な人との関わりは。
それぞれに共感する部分も場面ごとに移ろう。
けれど最後は自分自身の自然な感情があふれて
涙が止まらなかった。
…………
以下、だいぶ長いです💦
男は最初、
戦地に行けばどうせ死ぬのだから
婚姻届は出さない方がいいという考えだった。
女の未来を思ってのこと。
既存の価値観に左右されたくないという
考えもあってのことのように思えた。
最初、自分はこれに共感。
女はそれでも婚姻届を出したいと。
それほど彼を思っているのか。
ある意味羨ましい。どちらの側でも。
話が進むと、元彼女の存在あり。
今も気心の知れた間柄らしく。
その様子を見ていると、
今の彼女が婚姻届にこだわるのは
純粋に好きなだけじゃなく
女の意地にも思えた。
それなら何となく分かる、と共感。
一方では、元彼女の
自分にはない フランクで行動力のある面に
憧れる気持ちも。
そんな元彼女ではあるけれど、
男を亡くす怖さはあるようで。
そんな不安な気持ちがちらり見えると
心が揺さぶられた。
弱さではあるけれど、それが人間。
誰にでも欠けたところはある。
そう思うと急に自分のことのように
引き込まれていった。
そんな元彼女、
徴兵を逃れて三人で逃げようと荷造り。
それに賛同する女。
見ている自分も何だかワクワク。
逃げおおせるはずがない。
先は明るくないはずだけど、
自分からやりたいと思えることには
こんなに力が湧くものなのだと思った。
それまでの男は
二人から逃れ 消えていこうとさえ
しているようにも見えた。
けれど女たちの思いが伝わってか
結婚式をしようということに。
それは届けなどではなく、ただ誓うだけ。
白い手袋(軍手?)なんて簡易な(笑)。
けれどそれは相手へと
歩み寄るような形かもしれないと思った。
バラバラの三人、
今までの当たり前がひっくり返った中、
混乱しつつも それぞれの思いに
手を伸ばそうとする姿に泣けた。
思い通りにはいかない現実。
時には絶望もするけれど
手を伸ばす人がいるなら 繋ぐこともできる。
それで全てが解決されなくても。
どこだったか、
「願わないで待つ」という、あれ。
いいなと思った。
なぜか、モンテ・クリスト伯の
「待て、しかして希望せよ」の
言葉が頭に浮かんだ。
以前、それに触れる機会があったからか。
その時期は、希望を持つから苦しかった。
どう考えても先が見えない、道がない。
いっそ希望を捨てたら楽になる。
分かっていても
一筋の希望が見えれば すがりたくなる。
その度に打ち砕かれて、の繰り返し。
ジレンマで擦りきれそうな毎日だった。
ただ、待つ。限りなく難しいけど
希望は捨てなくてもいいよ。
自分にはそんな言葉に思えた。
それは八方塞がりの自分に
一番近く寄り添ってくれた存在だったかも。
生身の人間や現実は、色々な事情で
寄り添えないことは当たり前のようにある。
誰が悪い訳じゃなく、
そういうものだと思っている。
けれど渦中にいる者には、
今すぐの助けが必要な時がある。
そんな時、何かの形で
触れることができる作品や言葉や
そのようなものがあるのは有り難いこと。
誰にでもそんな機会があればいい。
これもまた、その一つかもしれない。
そんなことを思う舞台だった。