月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

10/6(土) サラダボール公演 『川底にはみどりの魚がいる』観劇

2018-10-11 15:43:28 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


10/6(土) サラダボール公演
『川底にはみどりの魚がいる』観劇

大きなセットは
『髪をかきあげる』とほぼ同じ。
しかし手前中央のテーブルとイスは透明。
奥に斜めに横たわる大きな台の上には
透明の板のボックスがベンチのよう。
端には、透明の食器やグラスが
いくつかずつ、まとめて置かれている。
透明なモノが現実離れした雰囲気。

好きの言葉をせがむ女と、乗り気でない男。
男には召集令状。早く婚姻届を出したい女。
どうせ死ぬからと拒む男。
男の元彼女。元反政府活動をしていた者同士。
三人の揺れる関係を見ながら
自分の感情移入の対象も揺れた。

結婚とは何なのか。戸籍上のことなのか?
それはその人たちが生きていく上で、
どんな意味を持ち、
どんな意味を持たないのか。
今ある価値観、何を大事にするのかなど
当たり前に捉えていることに疑問を持ったり
自分なら…と改めて考えたりした。
もし、今ある世界がひっくり返ったら。
今のままではいられないかも。
すべてにおいて。
法律や慣習や、決まった形に従うか抗うか。

そして身近な大切な人との関わりは。
それぞれに共感する部分も場面ごとに移ろう。
けれど最後は自分自身の自然な感情があふれて
涙が止まらなかった。
…………

以下、だいぶ長いです💦

男は最初、
戦地に行けばどうせ死ぬのだから
婚姻届は出さない方がいいという考えだった。
女の未来を思ってのこと。
既存の価値観に左右されたくないという
考えもあってのことのように思えた。
最初、自分はこれに共感。

女はそれでも婚姻届を出したいと。
それほど彼を思っているのか。
ある意味羨ましい。どちらの側でも。
話が進むと、元彼女の存在あり。
今も気心の知れた間柄らしく。
その様子を見ていると、
今の彼女が婚姻届にこだわるのは
純粋に好きなだけじゃなく
女の意地にも思えた。
それなら何となく分かる、と共感。
一方では、元彼女の
自分にはない フランクで行動力のある面に
憧れる気持ちも。

そんな元彼女ではあるけれど、
男を亡くす怖さはあるようで。
そんな不安な気持ちがちらり見えると
心が揺さぶられた。

弱さではあるけれど、それが人間。
誰にでも欠けたところはある。
そう思うと急に自分のことのように
引き込まれていった。

そんな元彼女、
徴兵を逃れて三人で逃げようと荷造り。
それに賛同する女。
見ている自分も何だかワクワク。
逃げおおせるはずがない。
先は明るくないはずだけど、
自分からやりたいと思えることには
こんなに力が湧くものなのだと思った。

それまでの男は
二人から逃れ 消えていこうとさえ
しているようにも見えた。
けれど女たちの思いが伝わってか
結婚式をしようということに。
それは届けなどではなく、ただ誓うだけ。
白い手袋(軍手?)なんて簡易な(笑)。
けれどそれは相手へと
歩み寄るような形かもしれないと思った。

バラバラの三人、
今までの当たり前がひっくり返った中、
混乱しつつも それぞれの思いに
手を伸ばそうとする姿に泣けた。

思い通りにはいかない現実。
時には絶望もするけれど
手を伸ばす人がいるなら 繋ぐこともできる。
それで全てが解決されなくても。

どこだったか、
「願わないで待つ」という、あれ。
いいなと思った。
なぜか、モンテ・クリスト伯の
「待て、しかして希望せよ」の
言葉が頭に浮かんだ。
以前、それに触れる機会があったからか。

その時期は、希望を持つから苦しかった。
どう考えても先が見えない、道がない。
いっそ希望を捨てたら楽になる。
分かっていても
一筋の希望が見えれば すがりたくなる。
その度に打ち砕かれて、の繰り返し。
ジレンマで擦りきれそうな毎日だった。

ただ、待つ。限りなく難しいけど
希望は捨てなくてもいいよ。
自分にはそんな言葉に思えた。
それは八方塞がりの自分に
一番近く寄り添ってくれた存在だったかも。

生身の人間や現実は、色々な事情で
寄り添えないことは当たり前のようにある。
誰が悪い訳じゃなく、
そういうものだと思っている。
けれど渦中にいる者には、
今すぐの助けが必要な時がある。
そんな時、何かの形で
触れることができる作品や言葉や
そのようなものがあるのは有り難いこと。
誰にでもそんな機会があればいい。
これもまた、その一つかもしれない。

そんなことを思う舞台だった。

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10/5(金) サラダボール公演 『髪をかきあげる』観劇

2018-10-11 15:40:43 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


10/5(金) サラダボール公演
『髪をかきあげる』観劇

中央、一段高い台の上に座卓。
奥へと斜めに横たわる大きな台は橋のよう。
橋の下からこちらへ向かって川が伸びている。
川には水が。水面が見える。もっと奥には
小さく見える街並み。
中央奥、少し手前両側に机など。

突然目の前の座卓の上に立つ男が
馬のいななきのような声。
何事だ。その後も出てくる人々は、それぞれ
男女の仲だったり、職場の同僚だったり
男友達同士、家庭教師と教え子の間柄だったり。

少しずつかみ合わないのは会話なのか
その人の考え方、ものの捉え方なのか。
近いはずなのに少しずつ違う
けれどそれは決定的でもあり。
まるで手の届かない川の両側。
お互いに近寄ったとしても、川の中。
川の中では居られない。

無責任が楽だと言う男。リラックス出来ると。
それもそうかもしれないな。
きちんとするから気が抜けない。
それが過ぎることも多い。
皆それが当たり前だと思い込んでる。

自分のそばには人がいないと言う女。
馬くらい違う生き物ならいる、ということか。
似たようなこと、たまに思う。
ひしひしと感じる相容れなさ。
お互い様だろうけど。
結局、心の中の空白は簡単に
埋まるものではないんじゃないかと。

でも、あの場面はいいなと思った。
橋の上で蛍を探す
子どもを亡くした夫婦。
懐中電灯をつけたり消したりする二人。
そこへ通りすがり、ふと会話する女。
無責任な関係だけど、だからこそ
楽に関われるのかもしれない。

違う境遇、たぶん考え方も違うだろう。
でも川の上に架かる橋があって
そこを歩くことがあるなら
その時だけでも共有できるもの。
わずかな時でも、
次はいつという、当てはなくても。
ふっと繋がる場があればいいなと思った。

それくらいがちょうどいいかも。
それくらいなら有り得ないことじゃない。
ちょっと心が明るくなる。

最後、街に灯りがともった。
透明だった川の水が、少しずつ青くなった。
単純にきれいだと思い
変わらないという諦めを
静かにほぐしてくれるような気持ちになった。
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10月10日(水)のつぶやき

2018-10-11 05:36:09 | 日記等 未分類
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