福岡に来てそろそろ2週間。
福岡自体はまだまだ楽しめそうなのですが、本業のほうが飽きてきました(笑)。
そろそろ、関東に帰りたいです。
それでは前回の「門司港レトロ」の続き、今回は「九州鉄道記念館」編です。
門司港駅から徒歩5分(公式発表)。
門司港駅の電留線に止まっている電車を眺めながら楽しく歩きます。
ゲートのとなりに有るのが「59634」ゴクローサンヨです。
九州に来る前は、米坂線で活躍していたようで、廃車になる前年に九州に来たようです。
保存状態は良好です。
足回りから落ちる油が、活きているカマを想像、昔訪れた機関区を思い出させます。
2両目はC59-1です。
うそっぽいくらい、ピカピカです。
フロントデッキの長いヘッドマーク掛けが特急牽引機で有った事を物語っています。
春の柔らかい陽射しを受けて、輝くナンバープレート。
ピカピカです。
製造銘板には「汽車会社 昭和十五年製造 製造番號2000」とあります。
製造からわずか24年で廃車になっています。
意外と短いですね。
次はEF10-35。
EF10がここで展示される理由はわかるのですが、門司側が交流電化された以降、この機関車はどこにあったのか、不思議でした。
調べると、廃車時は飯田線で使用され豊橋機関区にいたとか。
あの方が詳しいのではと思ったりしています。
窓周りがオリジナルと異なりますね。
小学校の頃、EF10は、近所の中央線をEF11、EF13等と貨物を牽引していました。
この頃の客車列車は、EF13が暖房車を連れて牽引していました。
EF10は色々な形状の車体が有ったことを覚えています。
次はED72-1。
現役時代は見たことが無いのではと思います。
ED73は何回か見た記憶がありますが。
かっこいいですよね。
正面非貫通で鳩胸型。
漆黒の闇を切り裂いたライト。
瞭機のED73が1000番台で20系を牽引していたのに比べると、やや地味な存在。
でも現役時代は10系寝台車を連結した急行列車等を引っ張ったのでしょう。
5両目はキハ07-41。
この国鉄気動車標準色、良いですよね。明るくて、柔らかで。
どんな車両に塗っても似合うと思います。
「日本車輌会社 昭和12年製」とあります。
さっきのC59-1よりこちらの方が古いですね。
最後は豊後森機関区に配属されていたので、このサボが掛かっています。
う~ん、良いなぁ。
サボの色が車体色に合っています。
この車両は車内が見学できます。
スリッパに履き替えて車内に入ります。
肘掛も取っても何も無い、素朴な座席。
背もたれの高さも低いようです。
多くの旅人が、この取っ手を使って窓を開けて、外の風を車内に入れたことでしょう。
戦前、戦中、戦後と激動の日本を走り続けたこの車輌。その車内を吹きぬけた時代の風はどんな風だったのでしょうか。
昭和12年製の窓の外を平成生まれの787系がよぎる。
「やぁ、爺さん、元気か?」「元気にやっとるばい」そんな会話かな。
つばめ運用を降りた787系は、以前の華やかさが失われ、かつての精彩が無いような気がします。
「つばめ」という花形列車を担った車輌の宿命です。
天井部分。
特徴ある丸屋根。本当の網棚。そして車内を暖かく照らした室内灯。
木製の床にあるエンジンの点検口
エンジン上部は相当高温になったと思うのですが、木製床で大丈夫だったのでしょうか?
大丈夫だったのでしょうけど。
運転台。
右下の黒いつまみが変速機レバーでしょう。
乗り心地の殆どが、機関士の腕次第だったのではないでしょうか。
キハの車内でレトロにどっぷり浸かっていると時間がどんどん過ぎていきます。
先を急ぎましょう。
時代はここで新しくなって(?)クハ481-603です。
番号から判るように東北で使用されていたクロ481からの改造車。
この角度、非常に美しいです。
惚れた者の弱みなんでしょうが「本当に美しい」。
その一言に尽きます。
運転台周り。
481系列では床下に高圧機器を収納する為、151系列と比べて床板が高くなっている関係で、ボンネットから屋根に続くラインが一直線になっていません。
個人的には151系列のほうが好みですが、それでも美しいです。
いつかは、絶対、模型化しようと強く心に誓いました。
この車輌も車内が見学できます。
国鉄特急電車の標準的な車内ですね。
昭和50年代の長距離移動は、殆ど急行列車でしたので、この車内にお世話になることは殆どありませんでした。
こだま型電車のシンボルである冷房装置(AU12)を室内側から。
このAU12は運転切り替えのスイッチがついていた。
急行電車のグリーン車はこスイッチが窓柱にあり、乗客が操作できる構造だった。
東芝のロゴも懐かしい。
当時の特急車輌のステータス。
冷水機。
あの紙コップがなかなか上手く取れないんですよね。
まとめて数枚取れてしまう。
そんな思いでも今は懐かしい記憶です。
先ほど入ってきた787系が出て行きました。
「ちょっくら、行ってくるわ」「おう、気をつけて行ってこいよ」
そして最後はちょっと微妙なクハネ581-8
サボは月光です。
星2つの電車寝台。懐かしいです。
運転室直後の機器室。
カツミのクハネ581は、この部分がブレスで表現されていたなぁ(私は持っていません)。
外観はクハネ581ですが、中身はクハ715です。
一部区画が寝台になっていました。
寝台では禁煙。
今じゃ、殆どの列車が禁煙ですから、隔世の感があります。
車端の広告枠
特急時代には無かった設備だと思うのですが。ヨンサントウの頃の広告でしょうか。
581系列用のAU15を車内から。
かなり高い位置についています。
鉄道記念館の本館
この鉄道記念館は車輌展示場が電留線の隣にあるため、頻繁に車輌の出入りする音が聞こえます。これが展示車輌を活き活きと見せている一つの要因ではないでしょうか。
実際、各展示車輌にはスピーカで現役時代の音が流れるギミックがありますが、それ以上に出入りする車輌の音を聞いていると、展示車輌なのか現役なのか、ちょっと錯覚する気分で、面白いです。
大分長くなったので、鉄道記念館編はこれで終わり。
門司港レトロ最終回は、街歩き編です。
福岡自体はまだまだ楽しめそうなのですが、本業のほうが飽きてきました(笑)。
そろそろ、関東に帰りたいです。
それでは前回の「門司港レトロ」の続き、今回は「九州鉄道記念館」編です。
門司港駅から徒歩5分(公式発表)。
門司港駅の電留線に止まっている電車を眺めながら楽しく歩きます。
ゲートのとなりに有るのが「59634」ゴクローサンヨです。
九州に来る前は、米坂線で活躍していたようで、廃車になる前年に九州に来たようです。
保存状態は良好です。
足回りから落ちる油が、活きているカマを想像、昔訪れた機関区を思い出させます。
2両目はC59-1です。
うそっぽいくらい、ピカピカです。
フロントデッキの長いヘッドマーク掛けが特急牽引機で有った事を物語っています。
春の柔らかい陽射しを受けて、輝くナンバープレート。
ピカピカです。
製造銘板には「汽車会社 昭和十五年製造 製造番號2000」とあります。
製造からわずか24年で廃車になっています。
意外と短いですね。
次はEF10-35。
EF10がここで展示される理由はわかるのですが、門司側が交流電化された以降、この機関車はどこにあったのか、不思議でした。
調べると、廃車時は飯田線で使用され豊橋機関区にいたとか。
あの方が詳しいのではと思ったりしています。
窓周りがオリジナルと異なりますね。
小学校の頃、EF10は、近所の中央線をEF11、EF13等と貨物を牽引していました。
この頃の客車列車は、EF13が暖房車を連れて牽引していました。
EF10は色々な形状の車体が有ったことを覚えています。
次はED72-1。
現役時代は見たことが無いのではと思います。
ED73は何回か見た記憶がありますが。
かっこいいですよね。
正面非貫通で鳩胸型。
漆黒の闇を切り裂いたライト。
瞭機のED73が1000番台で20系を牽引していたのに比べると、やや地味な存在。
でも現役時代は10系寝台車を連結した急行列車等を引っ張ったのでしょう。
5両目はキハ07-41。
この国鉄気動車標準色、良いですよね。明るくて、柔らかで。
どんな車両に塗っても似合うと思います。
「日本車輌会社 昭和12年製」とあります。
さっきのC59-1よりこちらの方が古いですね。
最後は豊後森機関区に配属されていたので、このサボが掛かっています。
う~ん、良いなぁ。
サボの色が車体色に合っています。
この車両は車内が見学できます。
スリッパに履き替えて車内に入ります。
肘掛も取っても何も無い、素朴な座席。
背もたれの高さも低いようです。
多くの旅人が、この取っ手を使って窓を開けて、外の風を車内に入れたことでしょう。
戦前、戦中、戦後と激動の日本を走り続けたこの車輌。その車内を吹きぬけた時代の風はどんな風だったのでしょうか。
昭和12年製の窓の外を平成生まれの787系がよぎる。
「やぁ、爺さん、元気か?」「元気にやっとるばい」そんな会話かな。
つばめ運用を降りた787系は、以前の華やかさが失われ、かつての精彩が無いような気がします。
「つばめ」という花形列車を担った車輌の宿命です。
天井部分。
特徴ある丸屋根。本当の網棚。そして車内を暖かく照らした室内灯。
木製の床にあるエンジンの点検口
エンジン上部は相当高温になったと思うのですが、木製床で大丈夫だったのでしょうか?
大丈夫だったのでしょうけど。
運転台。
右下の黒いつまみが変速機レバーでしょう。
乗り心地の殆どが、機関士の腕次第だったのではないでしょうか。
キハの車内でレトロにどっぷり浸かっていると時間がどんどん過ぎていきます。
先を急ぎましょう。
時代はここで新しくなって(?)クハ481-603です。
番号から判るように東北で使用されていたクロ481からの改造車。
この角度、非常に美しいです。
惚れた者の弱みなんでしょうが「本当に美しい」。
その一言に尽きます。
運転台周り。
481系列では床下に高圧機器を収納する為、151系列と比べて床板が高くなっている関係で、ボンネットから屋根に続くラインが一直線になっていません。
個人的には151系列のほうが好みですが、それでも美しいです。
いつかは、絶対、模型化しようと強く心に誓いました。
この車輌も車内が見学できます。
国鉄特急電車の標準的な車内ですね。
昭和50年代の長距離移動は、殆ど急行列車でしたので、この車内にお世話になることは殆どありませんでした。
こだま型電車のシンボルである冷房装置(AU12)を室内側から。
このAU12は運転切り替えのスイッチがついていた。
急行電車のグリーン車はこスイッチが窓柱にあり、乗客が操作できる構造だった。
東芝のロゴも懐かしい。
当時の特急車輌のステータス。
冷水機。
あの紙コップがなかなか上手く取れないんですよね。
まとめて数枚取れてしまう。
そんな思いでも今は懐かしい記憶です。
先ほど入ってきた787系が出て行きました。
「ちょっくら、行ってくるわ」「おう、気をつけて行ってこいよ」
そして最後はちょっと微妙なクハネ581-8
サボは月光です。
星2つの電車寝台。懐かしいです。
運転室直後の機器室。
カツミのクハネ581は、この部分がブレスで表現されていたなぁ(私は持っていません)。
外観はクハネ581ですが、中身はクハ715です。
一部区画が寝台になっていました。
寝台では禁煙。
今じゃ、殆どの列車が禁煙ですから、隔世の感があります。
車端の広告枠
特急時代には無かった設備だと思うのですが。ヨンサントウの頃の広告でしょうか。
581系列用のAU15を車内から。
かなり高い位置についています。
鉄道記念館の本館
この鉄道記念館は車輌展示場が電留線の隣にあるため、頻繁に車輌の出入りする音が聞こえます。これが展示車輌を活き活きと見せている一つの要因ではないでしょうか。
実際、各展示車輌にはスピーカで現役時代の音が流れるギミックがありますが、それ以上に出入りする車輌の音を聞いていると、展示車輌なのか現役なのか、ちょっと錯覚する気分で、面白いです。
大分長くなったので、鉄道記念館編はこれで終わり。
門司港レトロ最終回は、街歩き編です。