相原言の『日々是好日』

日々の生活での出来事や鉄道模型工作、写真撮影等を日記と備忘録を兼ねて綴っていきたいと思います。

福岡通信 Part4

2012年03月27日 00時10分00秒 | 日々の暮らし
今回は門司港レトロ最終回、街歩き編です。

門司港駅を出て、最初に向かったのは開門海峡ミュージアムの近くの、大連通りです。
この通り沿いに、係留描が並んでいます。

大連航路があったころは、この歩道の柵あたりまでが岸壁だったそうで、この写真で歩道より右側は埋め立てだそうです。

途中、線路が残っている箇所もあります。

この写真の奥にある工事仮囲いの中に「旧大連航路発着所」があったらしいのですが、そのときは良くわからずに、写真も撮らず帰ってきました。
後からネットで調べると、素晴らしい歴史と建物のようで、確認出来なかった事が悔やまれます。

この後、鉄道記念館を訪れてから、門司港名物の焼きカレーを食べに出掛けました。
行ったお店は栄町銀天街の「カリー専門店 AL-ALあるある」さんです。


こちらの焼きカリーはちょっと変わっていて「熟成欧州カレーとインドカレーのあいかけ」となっています。

左側が欧州カレー、右側がインドカレーです。
注文のときは「どうかなぁ」と思っていましたが、最初は別々に、徐々に崩して混ぜ合わせて食べると、おいしくいただけました。

食事もしたので、さらに街歩きです。

関門トンネル門司港側。

面白いでしょう。
フグの口に車が吸い込まれ、吐き出されています。

後から調べると、関門トンネル人道も有ったようで、徒歩15分で本州までわたれたようです。
あぁ、ここも行きたかった。
ちなみに、門司駅構内で関門トンネルの入り口を撮影するのも忘れています。
そういえば鉄道記念館にEF30が無いなぁ。
鉄道文化村にあるけど、交換してあげたらよいのに。

旧岩田酒店。

ガイドブックによると大正10年建築の市の指定文化財だそうです。
うちの親父と3年違い。

門司電気通信レトロ館。
旧逓信省門司郵便局電話課庁舎だそうです。

表に立派なNTTマークが掛かっています。
どうせなら旧電電公社のマークをかけて欲しかったな。

鉄道記念館から関門海峡めかり駅まで、トロッコ列車「潮風号」が走っています。

この機関車、以前は国鉄の構内によく転がっていた貨車移動機ですよね。
懐かしいです。

西鉄北九州線で使用されいた100型(148号)電車。

昭和15年製造。昭和60年廃止。
この車輌も戦火をくぐっている。
もう少し時間が有れば、その頃の話をゆっくり聞きたかった。

旧門司税関。

建物は明治45年に建てられ、昭和初期まで税関庁舎として使用されたそうです。
戦災で被災した後、平成7年にリニューアルオープンしたそうです。

門司税関の看板。


館内にあった鉄道記念館のポスター。

いいポスターです。

跳ね橋、ブルーウィング門司。


片側から上がるんですね。


と思ったら反対側もあがり始めました。


アナウンスによるとコンピュータで制御しているとの事です。

この頃から大分、歩き疲れてきています。

海峡プラザ前から。

高いタワーは「門司港レトロ展望室」、左側は先程見た「旧門司税関」。
浦安の有名遊園地を思い出しました。

最後は、旧大阪商船です。

このあたりに旧門司三井倶楽部とかも有りますが、疲れたので門司港駅に帰ります。

門司港駅から乗る快速電車。
歩きつかれたので、乗り換えなしの快速電車で行きます。

連結作業をしています。
最近はこういった作業も珍しくなりました。

この日は、博多で大学時代の旧友と博多で食事をすることになっていたのですが。

歩き疲れて、いつの間にか寝てしまい・・・・・・・

気がついたら、南福岡でした。

「しまった~」と慌てておりたら・・・・・・・

何と目の前に411系の国鉄塗装車がありました。ラッキー。
クハ411だと思います。車番わからず。


モハ415-15。

どうも廃車待ちのようで、塗装もかなりあせていました。

モハ414-15。

一部の窓を残して、はめ込み式に改造されています。

多分、意図的にこの位置に止めているのでしょうねぇ。
JR九州さんの配慮に感謝。

寝過ごした上に、こんなことしていたので、待ち合わせの時間に20分位遅刻してしまいました。
ごめんなさいM本さん。

さて、今回で門司港レトロ編は終了です。
予想より楽しむことが出来ました。
もう少し、事前調査をしていればもっと楽しめたと思いますが、それは次回のお楽しみとしてとっておきます。

福岡通信。
もう少し続きます。
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福岡通信 Part3

2012年03月25日 00時10分23秒 | 日々の暮らし
福岡に来てそろそろ2週間。
福岡自体はまだまだ楽しめそうなのですが、本業のほうが飽きてきました(笑)。
そろそろ、関東に帰りたいです。

それでは前回の「門司港レトロ」の続き、今回は「九州鉄道記念館」編です。

門司港駅から徒歩5分(公式発表)。
門司港駅の電留線に止まっている電車を眺めながら楽しく歩きます。

ゲートのとなりに有るのが「59634」ゴクローサンヨです。

九州に来る前は、米坂線で活躍していたようで、廃車になる前年に九州に来たようです。

保存状態は良好です。

足回りから落ちる油が、活きているカマを想像、昔訪れた機関区を思い出させます。

2両目はC59-1です。

うそっぽいくらい、ピカピカです。
フロントデッキの長いヘッドマーク掛けが特急牽引機で有った事を物語っています。

春の柔らかい陽射しを受けて、輝くナンバープレート。

ピカピカです。
製造銘板には「汽車会社 昭和十五年製造 製造番號2000」とあります。
製造からわずか24年で廃車になっています。
意外と短いですね。

次はEF10-35。

EF10がここで展示される理由はわかるのですが、門司側が交流電化された以降、この機関車はどこにあったのか、不思議でした。
調べると、廃車時は飯田線で使用され豊橋機関区にいたとか。
あの方が詳しいのではと思ったりしています。
窓周りがオリジナルと異なりますね。

小学校の頃、EF10は、近所の中央線をEF11、EF13等と貨物を牽引していました。
この頃の客車列車は、EF13が暖房車を連れて牽引していました。
EF10は色々な形状の車体が有ったことを覚えています。

次はED72-1。

現役時代は見たことが無いのではと思います。
ED73は何回か見た記憶がありますが。

かっこいいですよね。

正面非貫通で鳩胸型。

漆黒の闇を切り裂いたライト。

瞭機のED73が1000番台で20系を牽引していたのに比べると、やや地味な存在。
でも現役時代は10系寝台車を連結した急行列車等を引っ張ったのでしょう。

5両目はキハ07-41。

この国鉄気動車標準色、良いですよね。明るくて、柔らかで。
どんな車両に塗っても似合うと思います。

「日本車輌会社 昭和12年製」とあります。

さっきのC59-1よりこちらの方が古いですね。

最後は豊後森機関区に配属されていたので、このサボが掛かっています。

う~ん、良いなぁ。
サボの色が車体色に合っています。

この車両は車内が見学できます。
スリッパに履き替えて車内に入ります。


肘掛も取っても何も無い、素朴な座席。

背もたれの高さも低いようです。

多くの旅人が、この取っ手を使って窓を開けて、外の風を車内に入れたことでしょう。

戦前、戦中、戦後と激動の日本を走り続けたこの車輌。その車内を吹きぬけた時代の風はどんな風だったのでしょうか。

昭和12年製の窓の外を平成生まれの787系がよぎる。

「やぁ、爺さん、元気か?」「元気にやっとるばい」そんな会話かな。
つばめ運用を降りた787系は、以前の華やかさが失われ、かつての精彩が無いような気がします。
「つばめ」という花形列車を担った車輌の宿命です。

天井部分。

特徴ある丸屋根。本当の網棚。そして車内を暖かく照らした室内灯。

木製の床にあるエンジンの点検口

エンジン上部は相当高温になったと思うのですが、木製床で大丈夫だったのでしょうか?
大丈夫だったのでしょうけど。

運転台。

右下の黒いつまみが変速機レバーでしょう。
乗り心地の殆どが、機関士の腕次第だったのではないでしょうか。

キハの車内でレトロにどっぷり浸かっていると時間がどんどん過ぎていきます。
先を急ぎましょう。

時代はここで新しくなって(?)クハ481-603です。

番号から判るように東北で使用されていたクロ481からの改造車。

この角度、非常に美しいです。

惚れた者の弱みなんでしょうが「本当に美しい」。
その一言に尽きます。

運転台周り。

481系列では床下に高圧機器を収納する為、151系列と比べて床板が高くなっている関係で、ボンネットから屋根に続くラインが一直線になっていません。
個人的には151系列のほうが好みですが、それでも美しいです。
いつかは、絶対、模型化しようと強く心に誓いました。

この車輌も車内が見学できます。

国鉄特急電車の標準的な車内ですね。
昭和50年代の長距離移動は、殆ど急行列車でしたので、この車内にお世話になることは殆どありませんでした。

こだま型電車のシンボルである冷房装置(AU12)を室内側から。


このAU12は運転切り替えのスイッチがついていた。

急行電車のグリーン車はこスイッチが窓柱にあり、乗客が操作できる構造だった。
東芝のロゴも懐かしい。

当時の特急車輌のステータス。

冷水機。
あの紙コップがなかなか上手く取れないんですよね。
まとめて数枚取れてしまう。
そんな思いでも今は懐かしい記憶です。

先ほど入ってきた787系が出て行きました。

「ちょっくら、行ってくるわ」「おう、気をつけて行ってこいよ」

そして最後はちょっと微妙なクハネ581-8


サボは月光です。

星2つの電車寝台。懐かしいです。

運転室直後の機器室。

カツミのクハネ581は、この部分がブレスで表現されていたなぁ(私は持っていません)。

外観はクハネ581ですが、中身はクハ715です。


一部区画が寝台になっていました。


寝台では禁煙。

今じゃ、殆どの列車が禁煙ですから、隔世の感があります。

車端の広告枠

特急時代には無かった設備だと思うのですが。ヨンサントウの頃の広告でしょうか。

581系列用のAU15を車内から。

かなり高い位置についています。

鉄道記念館の本館


この鉄道記念館は車輌展示場が電留線の隣にあるため、頻繁に車輌の出入りする音が聞こえます。これが展示車輌を活き活きと見せている一つの要因ではないでしょうか。
実際、各展示車輌にはスピーカで現役時代の音が流れるギミックがありますが、それ以上に出入りする車輌の音を聞いていると、展示車輌なのか現役なのか、ちょっと錯覚する気分で、面白いです。

大分長くなったので、鉄道記念館編はこれで終わり。
門司港レトロ最終回は、街歩き編です。
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福岡通信 Part2

2012年03月21日 00時01分00秒 | 日々の暮らし
福岡滞在中です。
休みを利用して門司港に行って来ました。

きっかけはこの車両です。

811系「門司港レトロ」ラッピング編成。
先日、久留米へ移動した際に見かけて「そう言えば鉄道記念館があったな」と思い、出掛ける事にしました。

博多から門司港まではJR九州の「九州鉄道記念館きっぷ」を利用します。
この切符は「鉄道記念館までの往復JR券と、入場券をセットにしたおトクなきっぷ(JR九州HPより転載)」で、特急の自由席が利用できます。

行きは小倉まで、初乗車のこいつで行きます。

ソニックにちりん883系です。例の車内にねずみ耳が並んだ車両です。
先日の快速「みえ」といい、この「ソニック」といい最近の列車は早いですね。
この列車も振り子しながら、ガンガン飛ばしていきます。

小倉から各駅停車に乗り換えて門司港駅に到着です。


ここが非常に良い感じの駅でして。
思わず撮りまくってしまいました。


丁度、隣には411系が。

良い感じです。

車止めが終着駅を物語っています。

この景色、411系でも似合うのですが、出来れば国鉄色・・・・それもやや塗装の褪せた475系あたりがぴったりだと思いますがいかがでしょか?
無いものねだりですね。

もう一枚

いいでしょ?

構内にある屋根の支柱部分。

レールの補強が入っています。

同じく構内にある札掛け(だと思う)。

以前はこの場所に、色々な列車の案内板が掛かって、風に揺れていたと思います。

そんな構内の電留線に佇むJR九州の車両達(駅の外から撮影)。

ここに古い駅舎と新しい車両のアンバランスがあります。
でも、これが現実です。

こんな角度で写真が撮れるのも終着駅ならでは。


改札の外には「関門連絡船通路跡」が有ります。

この通路は明治39年から昭和39年まで、連絡船の桟橋までを結んだそうです。

通路の壁と説明看板。

多くの乗船客がこの通路を、歩いて行った事でしょう。
旅立ち、出会い、別れ、喜び、悲しみ。
それぞれの人生を背負って、それぞれの時代を駆け抜けて行った事を想像すると、胸が熱くなります。

消防車もあります。


古い「小倉工場」の文字と、年季が入り始めたJR九州のステッカー。

最近思うのですが、JRも発足から25年も経ち、それなりの重厚感が出てきたと思います。
趣味としての国鉄型はとても良いと思いますが、あえてJRを毛嫌いする必要も、もはや無いのかなと思います。
まぁ、残り少ない国鉄型車両は、出来れば、国鉄時代のまま、最後まで走って欲しいとは思いますが。

構内から外部への通路。

以前は、この通路を使って、多くの荷物が運び出されたのでしょう。
門司港駅の最盛期には「ターレット」なんて無かったでしょうから、全て人力で運び出していたのだと思います。
ここに立つとその頃の喧騒が聞こえてきそうです。

やっと外へ出てきました。

門司港駅の外観。すばらしいですね。

駅名看板のアップ。


さぁ、これから門司港レトロの始まりです。

つづく・・・。
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福岡通信 Part1

2012年03月17日 02時05分16秒 | らーめん
今年になってから、『西』方に縁があるようで。

 1月に相模線沿線
 2月に米原
 3月に名古屋~伊勢
と西への移動が続いています。

今度は一気に福岡まで来てしまいました。
事情があって、福岡周辺に長期滞在中です。

で、今回から不定期でお送りする「福岡通信」。
(仕事の都合で1回で終わるかもしれませんが)
今回は、らーめん編その1です。

まず、初日に食べた「元祖博多だるま」さんのらーめん玉子入り(だったかな)。
有名店です。

一言「濃い!濃い!濃い!」
写真で見ても濃そうです。
最近は、どこでも濃いらーめんが流行のようで。
このお店は駅ビルの博多デイトス2F(博多めん街道内)にあり、交通至便です。

次の日に食べた「博多一幸舎」さんの一幸舎味玉ラーメン。
こちらも有名店。

こちらも濃い!濃い!濃い!
写真で見ると、どんぶりの左側のスープが表面張力で盛り上がっている!
う~ん。
連日、この内容はちょっと体に応えます。
こちらのお店も、博多駅から徒歩7~8分です。

その次の日に食べた久留米の「久留米大龍ラーメン」さんのらーめん。

地元出身の方のお勧めで、隠れた名店のようです。
前2回の「激濃」から比べれば、本来のとんこつスープの感じがしました。
麺は、博多ラーメンと異なり、中太のツルツル麺でした。
こちらは西鉄大牟田駅から徒歩7~8分の距離です。

ついでに久留米の駅前でこんな物を発見しました。

「とんこつラーメン発祥の地 久留米」


豚骨ラーメンは偶然から生まれたんですね。
ふ~ん、知りませんでした。

福岡通信の1回目はここまでです。

あぁ、こんな時間だ!
早く寝なくちゃ。
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夫婦でお伊勢さんへ その2

2012年03月13日 00時47分45秒 | 旅行
前回の続きです。

翌日はホテルの送迎バスで鳥羽駅まで出てから、ミキモト真珠島へ向かいます。

駅から5分位と聞きましたが、カートをガラガラ引きずりながら歩いて行ったため、結構時間が掛かりました。

こちらでは海女さんの展示遊泳(?)が、見学できます。


真珠島の前にはJR線と近鉄線が並行していますが、来るのは近鉄電車だけです。


ミキモト真珠島からは、三重交通の「伊勢二見鳥羽周遊バス(CANばす)」を使用して、一気に内宮を目指します。
(写真ありません)

本当は、昨日の観光案内人さんに説明をして頂いた個所を復習しながら、もう一度、内宮を廻りたかったのですが、既にこの頃から、昨日の歩き疲れが蓄積して、夫婦そろって疲労状態の為、おはらい町に逃げ込みました。

牛肉の串焼き。


献上酒の白鷹を立ち飲みでぐぃっと。

主に嫁が飲んでおりました。

おはらい町通りに隣接するおかげ横丁。

こちらも楽しそうです。

お昼は、横丁ラーメン。

あっさりしたスープが上品な味でした。

豚捨(ぶたすて)さんの美味しいと評判のコロッケ。

いや、確かに美味しかった。お勧めです。

伊勢醤油本舗さんの揚げ醤油饅頭。

これも美味い。お勧めです。

さらに、うどんやふくすけさんの伊勢うどん。

たまり醤油はかなり濃いように見えますが、店内の案内にあったように、最後まで飲み干すと・・・意外とあっさりとしています。これもお勧め。

美杉郷八知玉屋さんのこんにゃくようかん。

上品な甘さで美味しいのですが、こんにゃく好きとしては、他の物をチョイスすれば良かったとちょっと後悔。

さすがにこれだけ食べればおなかいっぱいですよね。
早めに伊勢市駅に戻って、構内を見学しておりました。
ここからは鉄ネタです。

キハ11。

キハ11ってバス窓で両運転台で便所付きですよね?

キハ48。
一見すると非冷房車のように見えますが、冷房車らしいです。

車番を見るとキハ48-5302+キハ48-6816とあり、旧国鉄の番台区分では、どういう車両なのか判りません。

キハ40。

こちらは、冷房装置を屋根上に載せています。

伊勢市駅の跨線橋で。

これ、どう見たって「足元注意」じゃなくて「架線注意」ですよね。

帰りももう一度、快速みえ号。

途中、キハ40系気動車の国鉄標準色塗装とすれ違いましたが、写真無しです。

名古屋では、乗り継ぎの新幹線まで1時間30分を準備して、矢場とんさんで名物の味噌カツを頂きます。
昼間にあれだけ食べたので、おなか一杯で、最も量の少ない「みそかつ丼」にしました。

う~ん、も、もう食べられない。

さて、帰りものぞみ号のグリーン車で帰ります。


もう食べられないと思っていたのですが、車内販売のお姉さんの綺麗な声につられて、デザートにアイスクリームとホットコーヒーを購入。

御存じだと思いますが、新幹線のアイスクリームは買って直ぐは「ガチガチ」に凍っていて食べられません。
少し時間をおいてから食べます。
美味しい。

最後に、家に着いてから、お土産の「赤福餅」。

う~ん、辛い。

久しぶりに夫婦で遠くへ出かけて、楽しむ事が出来ました。
これを読んでいる皆様も、夫婦で、家族で、恋人と、友人と気ままな旅行に出られては如何でしょうか。
きっと新たな発見があると思いますよ。

長文、お付き合い、ありがとうございました。
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夫婦でお伊勢さんへ その1

2012年03月08日 21時40分45秒 | 旅行
このところ、旅行ネタばかりで、模型がちっとも進んでいません。

ちょっと事情があり、平日に休みが取れ、夫婦で初めてお伊勢さんに行ってまいりました。

ツアーは激安ツアーで往復の交通費、ホテル代含めて\20,000を切る金額でした。
これにもらった旅行券を使って、往復の新幹線をグリーン車に、伊勢神宮の内宮では「観光案内人」を手配して頂きました。

いつものように品川から新幹線に。

最近は、珍しくも何ともないN700系です。

いつもと違うのは、乗車する車両の出入り口にクローバーマークが付いている事。

写真の下側に「50」とあるのでZ50編成でしょうか。
最終編成はZ80編成とか。
知らない間に随分、増殖していたんですね。

名古屋からは伊勢市までは、「JR快速みえ号」。


このプランの特徴がここにあると思います。
私は伊勢神宮へは、一度も行った事は有りませんし、中京・三重県地方に知り合いは居ませんが、伊勢志摩に行くなら『近鉄特急』+『まわりゃんせ(近鉄の周遊きっぷ)』ですよね。

関東でも
 日光に行くなら→東武のDRC(最近はスペーシアという)
 箱根に行くなら→小田急のロマンスカー
 秩父に行くなら→西武のレッドアロー
って決まっていますよね。

今回の旅程では、その定番ではなく「JR快速みえ号」なんですよ。

ちょっと残念でした。

ただ、この快速みえ号のキハ75(後から調べました)。
走り出すと速い、速い。
加速も電車並み、最高速度も120km/h。
後で時刻表を調べてみると、近鉄特急と大差ない事が判りました。

JR伊勢市駅到着

ご存知の方も多いと思いますが、伊勢観光の中心駅は、お隣の近鉄宇治山田駅です。

下宮を参拝。


お昼は、おはらい町通りでてこね寿司。


豆腐庵山中さんの豆腐ソフトクリーム。

55%が豆乳でできているそうで。
優しい甘みと豆腐の味が絶妙です。お勧めです。

この後、内宮参拝に行きます。
今回は、事前に「お伊勢さん観光案内人」をお願いしていました。
一緒に回って頂いたのは橋爪清さん。
内宮の見どころを、クイズや説明を交えながら、拝礼の仕方やその意味まで、楽しく説明して頂きました。
この「お伊勢さん観光案内人」を頼んだのは正解でした。

五十鈴川に掛けられた宇治橋を渡ります。


ここが御正宮(ごしょうぐう)です。

手前の石段以上では、撮影できませんので、この位置からが精一杯です。

帰ってきて、宇治橋を五十鈴川の下流側から。

綺麗な橋です。

この後、内宮からバスで伊勢市へ、そして念願(?)の近鉄電車で鳥羽まで移動し、ホテルに宿泊。
温泉につかり、しっかり食べ、メールを処理し、早めに寝ました。

その2へ続きます。
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久留里線 - 通票閉塞廃止(長文)

2012年03月04日 16時12分13秒 | 撮影紀行
今度の改正で、久留里線のタブレット閉塞が無くなるとの事で、知人と一緒に出掛けてきました。

この「タブレット閉塞」なる言葉ですが、どうもしっくりこなかったのでネットで調べると「国鉄では通票閉塞式とよばれていた」とあり、そういば、昔の現場では「ツーヒョー、マル!」とか確認していたのを思い出しました。

久留里線では、木更津、横田、久留里、上総亀山(終点)の各駅で、列車交換が出来るようです。
まず、手始めに横田に出掛けました。

駅事務所の入り口には、タブレットが現役である事を示す表示。

わかりやすい。

事務所の中の閉そく機。

当然ですが2台あり、左側が木更津方、右側が久留里方です。

上り、木更津行き到着。

4連です。長いです。

続いて、下り、上総亀山行き到着。
すると車内から突然「テツ」が運転席廻りを包囲して、壁が。

写真には写っていませんが、画面右側にも既に列が出来ています。
実際に、タブレットを持ってきた駅職員も「何だこりゃ!」とびっくりしていました。
当然、タブレット交換の写真等撮れるはずもありません。

撮れた写真は、精々、こんなもの。

一応、写っています、タブレット。

このバカ騒ぎで、殆ど撮る気が無くなり、このまま、いすみ鉄道にでも行こうかと思ったのですが、折角来たので、駅周辺で数カット。


この日、唯一見た、キハ30でした。

次の交換駅である久留里へ。

途中の小櫃に何となく立ち寄り1枚。

当日の天候は、快晴!・・・とまではいかず、曇ったり晴れたり。
でも、春の風に吹かれながら、快適な撮影が出来ました。

小櫃の駅前にはC12が保存してあります。

屋根はありますが、ボロボロです。
キャブに乗ったり、台枠下部にもぐりこんだり。
気がつくと、無邪気にここで40分くらい、遊んでいました。

久留里で見かけた横断幕


既にタブレット交換の撮影はあきらめて、ホーム先端から進入する列車を狙います。


そのころタブレットは・・・・

やっぱりね。

駅待合室にはこんなものがおいてありました。


上総亀山に向かう途中で、もう1カット。


で、上総亀山に着いたら既に4時。
駅には折り返し待ちの列車(約1時間)が、初春の夕日を浴びて止まっておりました。

構外の公園から。

先頭のキハ37は検査上がりのようで、ピカピカの車体が夕陽に映えていました。
手前にいろいろな物が写りこんでいますが、日本の秋~冬の情景が感じられ、好きなカットです。

構外の踏切から望遠レンズで。

とても千葉県とは思えない、山奥の駅に見えます。

上総亀山は終着駅です。

駅の外れで線路は終わりです。


列車の周りを見てみましょう。

久留里線の列車の前サボ。

以前から「何か変なマークだなぁ」と思っていたら、タブレットのマークなんですね。
タブレットが無くなった後は、これ、どうするのでしょう?

車体側面です。

久留里線のステッカーと、号車札差しと行き先札差しがあります。
最近の車両には無いですね。

ジャジャーン。

キハ38がキハ35系の部品を使っている事の証明です。
『DT22C、製造年月 昭和41年3月、富士重工』とあります。
キハ35系の何号車のものなのか、考えると楽しいですね。
※後で調べたらキハ38 1002はキハ35 201の改造で、キハ35 201は富士重工 昭和41年製造でした。
 ちなみに改造時の配置区は高崎第一で、キハ38が八高線用として使用された事を考えると筋が通ります。

発車時は大分、陽も傾いていましたが、何とか写しとめる事が出来ました。


その後、到着した列車で、タブレットも、まぁ、何とか撮影出来ました。


最後に上総中野に立ち寄り、いすみ鉄道のキハ200型を見ます。

日没まで、わずかです。


いすみ鉄道は不思議な世界で、車体に描かれているムーミンを見たりしていると、何となくのんびりした、癒しを感じます。

運転士の「発車します」の声で、排気を残して、出発していきました。

最後にいすみ鉄道をみて、嫌な気分も抜けて、楽しい一日を締めくくりました。

教訓:
まぁ、自分もその一人なんでしょうが「葬式鉄には近寄ることなかれ」でしょうか。
久留里線も、今年の秋には新型車による置き換えが発表されていますので、それまでに早めに撮影したいです。

長文、お付き合い、ありがとうございました。
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