皆さんにご覧頂いているブログには、不適当な記事なのかもしれませんが、私の老後の備忘録として。
先週、身内で不幸が有り、この一週間、その対応をしていました。
昨年から入院しており、先日、療養型の病院に転院したばかりでした。
高齢(90歳)でほぼ寝たきり、しゃべることもままならない状態でしたから、親族も心構えが有ったのですが、いざ、その事実に直面すると、強い悲しみと何とも言えない空虚感/脱力感に見舞われました。
通夜は惜別の涙雨でしたが、翌日の告別式はどこまでも澄んだ青空で、満開の桜から花びらが舞い散る素晴らしい天候でした。
これこそ「故人の徳」がなせる技なのでしょう。
私(あえて私と書きます)は「何となく明日も生きている」事を前提で生きています。
現実、それを前提としないで生きていく事は難しいと思います。
しかし、明日生きている保証など何処にもありません。
ましてや私の歳ならば、日々、老境への道のりは短くなっています。
にも拘らず「おバカ」な私は、周りで不幸でもない限り、自分の残り時間について意識することが出来ません。
さらに「おバカ」なのは、この様な機会に折角意識出来た残り時間を、継続して意識することが出来ない事です。
こうして、最初の「何となく明日も生きている」事を繰り返して、日々を過ごしてきたのです。
この歳になり、容易く自分の価値観や生活を変える事は難しいと思いますが、それでも、こういった事をきっかけとして、まだ間に合う範囲の中でも、自分にとってより良い生活が送れるように、努力したいと思います。
闘病生活、辛かったでしょう。
お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
先週、身内で不幸が有り、この一週間、その対応をしていました。
昨年から入院しており、先日、療養型の病院に転院したばかりでした。
高齢(90歳)でほぼ寝たきり、しゃべることもままならない状態でしたから、親族も心構えが有ったのですが、いざ、その事実に直面すると、強い悲しみと何とも言えない空虚感/脱力感に見舞われました。
通夜は惜別の涙雨でしたが、翌日の告別式はどこまでも澄んだ青空で、満開の桜から花びらが舞い散る素晴らしい天候でした。
これこそ「故人の徳」がなせる技なのでしょう。
私(あえて私と書きます)は「何となく明日も生きている」事を前提で生きています。
現実、それを前提としないで生きていく事は難しいと思います。
しかし、明日生きている保証など何処にもありません。
ましてや私の歳ならば、日々、老境への道のりは短くなっています。
にも拘らず「おバカ」な私は、周りで不幸でもない限り、自分の残り時間について意識することが出来ません。
さらに「おバカ」なのは、この様な機会に折角意識出来た残り時間を、継続して意識することが出来ない事です。
こうして、最初の「何となく明日も生きている」事を繰り返して、日々を過ごしてきたのです。
この歳になり、容易く自分の価値観や生活を変える事は難しいと思いますが、それでも、こういった事をきっかけとして、まだ間に合う範囲の中でも、自分にとってより良い生活が送れるように、努力したいと思います。
闘病生活、辛かったでしょう。
お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。